夜のスプリーン
プリンが大好きである。
この気持ちにしっかりとフタをしたい。
そう考え、一文の最後にしっかりと句点をつけさせていただいた。
プリンが大好きである。
これまで、あまり考えずにプリンと向き合ってきた。
しかし、最近になって、プリンへの愛に気がついてしまった。
プリンは昔から私の側にいてくれたのに、私は今までやれケーキや、やれフルーツ大福やと、派手な相手と浮気を続けてきた。
しかし、結局のところ、最後はプリンだ。
つめたい
ぷるぷる
あまい
かわいい
この三拍子超えて四拍子。
何かどうしようもなくなったとき、
むしゃくしゃして堪らないとき、
あと3秒で涙がこぼれ落ちそうなとき、
騙されたと思ってプリンをゆらしてみてほしい。
ぷるぷるぷるぷるぷるぷるぷるぷるぷるぷるぷる
特段何が生まれるでもない。
ただあまくて柔らかい物体が、目の前でゆれている。
その瞬間、何もかもがどうでも良くなる。
スピリチュアルプリンタイムだ。
プリンをスプーンですくえば、スプーンの上に、またちいさなプリンが生まれる。
この不思議な現象に、私は「スプリーン現象」と名前を付けた。
この功績に見合う賞はまだ無いらしい。
スプリーンもまた、ゆらせばゆれる。
そして変わらずあまくて愛らしい。
世の中のかわいいが全てここにある。
近ごろ、無性にさみしい夜がふえた。
おそらくこれは秋のせいなのだろう、と思う。
虫の声も聞こえなければ、金木犀の香りもしない。
衣替えもまだ済ませていないし、焼き芋だって食べていない。
それでも、私の心は一足先に秋に気がついて、なんだかひとりでに寂しくなっている。
本当にかわいい。
うまく説明できないけれど、ずっと在ったものがなくなって悲しいと思っていたら、そもそもはじめから何もなかった、みたいな寂しさだ。
伝わるだろうか。
そんな夜は、頭の中のプリンをゆらすのだ。
ぷるぷるとゆれるプリンをスプーンでそっとすくうと、スプーンの上にスプリーンが生まれる。
羊を数えるように、プリンからいくつものスプリーンを生み出していく。
スプリーンが1つ…スプリーンが2つ…スプリーンが3つ…
しかし、そんな風にたくさんのスプリーンが生まれているはずが、いつのまにか大元のプリンはなくなっている。不思議。
こうして夜は少しずつ気付かぬうちに明けてゆき、さみしさも知らぬうちになくなってゆく。
そして最後のプリンがなくなる時、わたしたちはキラキラとした冬の扉をひらくのだ。
追伸
毎日プリンを食べていたら体脂肪率が3%増えました。
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