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ミュージカルだからこそ —音楽家の矜持、絶望の連鎖、報われぬ恋。それでも運命はこの手で— (『ベートーヴェン』 感想)

※notレポ、not研究、not考察。ものすごい偏ってる感想だと思います。
※この作品も、芳雄さんが演じるルートヴィヒも、個人的に大好き。大変に刺さりまくったので大千秋楽まで引き続き楽しみ尽くしたい所存。

あけましておめでとうございます。そして日生劇場12月公演『ベートーヴェン』東京千秋楽!…のタイミングで更新したかったけど、あっという間に年越しも済み、福岡公演も終わってしまった。どちらも千秋楽おめでとうございました。
東京公演を少し早めに観納めてしまったけど、12月24日のソワレ公演の配信及びアーカイブ視聴も含めて、心ゆくまで満喫した。油断ならないこの季節の完走は喜ばしいことだし、海外ミュージカル上演時のWキャストが主流になる中、プリンシパルのうちシングルキャストが多かったことも本当に、ただただ凄い。勿論、Wキャストを務められていたカスパール役とフランツ役の皆さん、そしてWとトリプルだった子役さん達も素晴らしかった!
謹賀新年をSNSで記す以前に、元旦から容赦無く立て続けに大災害と大事故が発生してしまったので、何て切り出したら良いか悩ましく思ったりもしたけれど、各方面への心配、不安、そして祈りを抱えながら、2024年のおたくの譫言は推しミュージカルを語ることで始めたいと思います。


https://www.tohostage.com/beethoven/

一人の偏屈な男が愛を知ることで人生を変えていくことに焦点を当てたミュージカル…と形容すればとてもシンプルだけど、観劇や配信視聴を重ねる中で、「人生」や「愛」だけでなく、「絶望」や「自由」というキーワードも耳に残るようになってきた。勿論ルートヴィヒはトニを愛していたし、そのおかげで自分を大切にしてくれるカスパールとも向き合えるようになる。でもルートヴィヒにとっては、「愛」こそが自分を自由にさせ、絶望から救い出す存在だったわけで、「愛」という実態のない言葉で覆われた動機の部分で度々心を震わされた。
「絶望」というと、Twitterでもよくお見かけする木下龍也さんの短歌を思い浮かべてしまう。『あなたのための短歌集』という本に掲載されているとのことで、私が拝見したものはご本人のアカウントではないので引用は控えるけど、「その時に刺せ」というセンセーショナルな言葉で終わるもの。容赦無く襲い掛かられる「絶望」に、彼なりの方法で打ち勝つその人こそ、タイトルロールのルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。まさにその時に刺せと言わんばかりに、「絶望」へ一矢報いる彼の清々しさと美しさ、その過程で渦巻く苦しみと悦びが鮮やかに描かれたミュージカル。後述するけど、この作品がミュージカルである意義を本当に大切にしたい。
自分の言葉ではない部分を続けるのもどうかとも思うけど、この作品における「自由」と聞いて思い浮かべるのは、元々とても好きで普段から聞いている、東京事変の『緑酒』。「自由よ いいように搾取されないで安く売らないで」「自由 フェイクじゃない元来の意味を見せて」という歌詞に常々背筋を正されているけど、父親の檻からは出られても才能の檻からは逃れられないルートヴィヒの自由、貴族達に自由を搾取され続ける彼の運命、そして「自由になりたい」と乞うトニについても考えるきっかけをくれた。

長い長い推し語りに進む前に二つほど、思っていること。
まず、個人的にこの作品は非常に感想が書き辛くて、観劇後の自分のオリジナリティが濃縮されたおたくの呻き声を140字に凝縮して放出!というよりも、内容に心が動かされる以前に、歌や舞台美術の使い方に圧倒されて放心してしまうようなところがある。
次に、観た者それぞれによって、賛否を含めて感想が綺麗に分かれそうだなと。福岡公演の観劇は見送ってしまったけど、引き続き別の劇場でこの作品を楽しむ予定があるからこそ、一旦自分の感想を固めておきたかった。(にも関わらず、もう福岡公演も終わってしまった……東京で観た時よりもまた進化を遂げているのだろうなぁ。)
ひたすらに長いので目次をつけました。


1.なぜ“ミュージカル”?(非日常を通して知る有名音楽家の苦悩と悦び)

プログラムに掲載されている、音楽監督の甲斐正人さん、ルートヴィヒを演じた井上芳雄さん、トニを演じた花總まりさんの鼎談で芳雄さんが発言された「有名な音楽家の人生を紹介するのではなくて、一人の苦しみながらも生き抜いた人間を演じられたら」を受けて、ああほんとにだから好きなんだよ(この作品もあなたも)…!って噛み締めるなど。幼い頃の虐待、音楽家としての成功、絶頂期に奪われる聴力。ノンフィクションにしてはあまりにも劇的で、「苦悩を背負った彼の人生がどうだったのか」という歴史の勉強ではなく、「彼はどう生き抜いたのか」副題がBEETHOVEN'S SECRETなのも味わい深い。
クンツェ氏とリーヴァイ氏の新作。日本初演。かつてエリザベートでシシィとトートを演じた二人の共演。そして、ミュージカル界で活躍する豪華なキャスト陣が勢揃い。そういう謳い文句からも分かるように見どころは本当に多いけど、“ミュージカル”という起爆剤を使って盛大なエンターテイメントを打ち上げているのが今回のベートーヴェンだと思う。教科書を通して学ぶのではなく、ミュージカルを通して感じ、考え、想いを馳せることで、鮮明な情景が浮かび、交わされる心に体温を感じ、より一層劇的になるのだと、改めてこの作品で気付かされたし、自分がミュージカルに求める真髄に触れて何度でも唸りたくなる。
バイマイに急遽ゲスト出演された小野田さんとの、
芳雄さん「龍之介はミュージカルの何が好きなの?」
小野田さん「普通に生きてたら味わえないような感情みたいな衝撃を音楽と共に誘ってくれるところが特別」
この秀逸なやりとりを噛み締めたくなる、まさにそんな作品。

2.不滅の音楽

人の生命は有限だけど、偉大な音楽家に生み出された作品は不滅。それは多くの人が感銘を受け、楽譜とともに語り継がれてきたからだろう。「不滅の音楽、不滅の愛」と、本編ラストのルートヴィヒの葬式シーンと本編後のカーテンコールでコーラスが沸き起こるけど、この絶唱が耳に残るし、この歌詞に合わせる原曲が歓喜を歌う第九(交響曲第9番 第4楽章)という構成があまりにも良い。彼の最後の交響曲、そして独唱や合唱付きのため声を乗せることを前提とされている曲という点においても。

魅惑的で感性に刺さるルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの楽曲

この作品が何にフォーカスされていると、それはルートヴィヒの人生だの愛だのだけでなく、苦しみや悦びといった喜怒哀楽だけでは表せない人間としての振り切れた感情で、それを彼の叫びとするためにほぼ全曲ルートヴィヒの楽曲を使用される、という何も驚異的なからくり。
元々ピアノソナタ等のため歌唱用として作られたわけでない旋律がほとんどである中で、歌詞をつけ声を乗せることは、とても難しいことだと思う。私自身もこの壮大な旋律の渦に初見はかなり飲まれてたけど、これを個々の役の声として感情として届ける皆さんの技量よ。
特筆したくなるのは、二幕のトニの『魔法の月』(原曲名はプログラムから引用させていたただくと、ピアノ・ソナタ第14番 第3楽章 「月光」)と、ルートヴィヒがトニに今も曲を作ることが苦しいんだと吐露する『再会 そして告白』(ピアノ・ソナタ第4番 第3楽章「グランド・ソナタ」)。ゆっくり旋律が進み、息をするように歌われるからこそ、他の曲と異なり旋律が劇的な動きではないからこそ沁みる。何かに怒っているキャラクターが多い中で、緩急で例えるとこれらの曲は「緩」に当たる。それにしても、『再会 そして告白』は原曲を聴くと軽やかな感じに聞こえるのに、ルートヴィヒはずっしりと辛い過去をなぞるようにそしてトニに救いを求めるように歌うのだから、リーヴァイさんがピックアップされミュージカル化した旋律にセンスが光ってるなぁ。
それと相反するのが、同じく「月光」の第3楽章が使われている『金こそすべて』。本来であればピアノの超絶技巧であるこの曲を企みに合わせて歌いあげるフィッツウォークとフランツね!壮大なドラマが繰り広げられる「愛」と引き合いに出されるように「金」も出てくるけど、そこに音楽があるのがとても心地良くもあり、胸糞悪くなりもする。音楽の浸透力ってすごい。「あいつは音楽、私は金だ。世界が違う」とフランツは歌い上げるけど、二つのキーワードが相反する事実はまさにそのとおり。

圧巻の歌声

そしてもう語るまでもないけど圧巻の歌声に埋もれる、というか溺れる。ミュージカル界のタカスペかな?と思わざるを得なかったプリンシパルキャストの解禁時からわかっていたことだけど、アンサンブルさん達も含めて全員がとにかく上手いから、ただひたすら耳福時間が続く。「歌うめぇぇぇぇぇぇぇ…………喉つよ…………………………!!!」って唸ってたら3時間の公演が終わる。初見は2階席にいたのだけど、有名な楽曲の渦の中に埋もれない突き抜ける声が聞こえてくると、ああこれは紛れもなく“ミュージカル”だな〜と、一ファンながらとても誇らしい気持ちになる。

オーケストラの皆さんの活躍

強く書き残しておきたいのがオーケストラの皆さんとオケピの存在。プログラムの岡本プロデューサーの手記によると28名構成なのかな。指揮の上垣先生が舞台から登場されてオケピに入る幕開きや、オケの皆さんがカツラをかぶってルートヴィヒが指揮するオケの一員になる展開など、オーケストラ自体がプリンシパルとして尊重されている、とても好きな演出。

唯一のオリジナル楽曲 『千のナイフ』

トニの最大の見せ場とも言っていいくらいだけど、この時の花總さんはもう歌ってるのか泣いてるのか区別つかないくらいの域に達してる。後述したいけど、トニは本当に花總さんにしかできない役だと思う。あのシシィあってのこのトニだよね、と納得しかない。
家族とルートヴィヒ、どちらを選ぶべきか、彼女の中で答えは決まっていたかもしれないけど、心の葛藤を経た最大の絶望を爆発させるに相応しい、大変にドラマのある大曲。リーヴァイさんの音楽がなぜこんなに心に刺さり、多くの人を魅了してきたのか。それを証明するような楽曲。もはやマッシュアップミュージカル(『ムーラン・ルージュ・ザ・ミュージカル!』ならぬ『ベートーヴェン・ザ・ミュージカル!』な感じ笑)の中で異彩を放つような曲だけど、物語のクライマックスにこの曲がある説得力にひれ伏したくなる。ラストのロングトーンは、花總さんが裏声に映らず地声歌唱(多分裏声に移行するギリギリのラインかな)で歌い上げるのも本当に胸に来る。地声だからこその懸命な嘆きに感情を掌る糸を掴まれて離れない。

3.不滅の愛

「僕達が出会った愛は不滅だ、乗り越えよう」とルートヴィヒ自身も『さよなら絶望』の中でトニに歌いかける。前述した音楽と同じく、形に見えないものを「不滅」と形容することに、そう信じさせたくなるものがあるんだという強い信念のようなものを感じる。

この作品で言いたい不滅の「愛」って何だろう。有名な8種類の「愛」に例えるなら、ルートヴィヒとトニについては「情欲的な愛」「無償の愛」「永続的な愛」かな。
まず「情欲的な愛」。こちらもプログラムからの引用になるけど、「ドストエフスキーの小説『アンナ・カレーニナ』を考えてみてください。」にも激しく膝を打つ。そうなんだよ。叶わぬ恋だとわかっているけれど、思わず踊りたくなってしまうほど浮かれてしまう二人。もはや大人のお伽話のような域に達しているので、「僕と二人っきりで行きましょう、テプリツェへ!」「どうかしてるわ!」「あなたのせいだ!」のやりとりが大好きだ。
ルートヴィヒとトニ、二人が本当に求めていたものは何?いっときの安らぎのためなのか、本気で将来を考えていたのか。それを考えても答えは出ないし、答えがないからこそお伽話なのだと思うけど、まさに己が抱える絶望をリレーするかのように順番に絶望に襲われる二人が、身を寄せ合うことでその苦しみを少しでも軽減しているようにも思える。そんなかりそめの幸せを求め、やけになっていたところもあるのか。はたまた恋に盲目となり向こうみずとなっていたのか。
二人が、というよりルートヴィヒの最後の選択は「無償の愛」そのものだし、彼らが願ったのは「永続的な愛」=つまり「不滅の愛」に辿り着くのね。どんな手を使ってもトニをそばに置いておきたいフランツと違い、自分が身を引くことでトニの(完璧とはいえない)幸せを守り抜くルートヴィヒは、その方法もトニへの愛も、フランツとは天と地ほど異なることが、やるせないけど美しくもある。この後の展開で、全てを描かず余白が残されているところもとても好き。(この作品全体を通して「余白」が好きなので太字にしておく。書き込みが足りないと思えばそれまでだけど、そこをどう思うかは観劇者ごとの自由な感想じゃないかな…と思っている派です。)

そしてルートヴィヒとカスパールについては、「家族愛」。個人的には、最後の最後に涙しながら抱擁し合う芳雄さんと海宝さん/小野田さんの演技力に脱帽だよ!って思ってしまうほど突然の展開ではある。いくら余白が好きとはいえ、出番がない中での余白は埋めようにない。
とはいえ、ここの涙が本当に綺麗で、特に海宝さんのぽたりと落ちる泣き方が印象深い… 自分を無視し続けたのにようやく助けを求めてきたルートヴィヒに対して、カスパールの「遅くなってごめんね」が本当に優しくて、どこまで眩しいんだ… 彼はこの作品の良心。思えばルートヴィヒが一幕で彼に対して放ってきた言葉が自分自身にブーメランのように返ってくる愚かさに苦しくなるけど、ルートヴィヒの感情が稲妻なら、カスパールの包容力は宇宙並みだよ。
思い返せば二人が仲違いするきっかけは、街で悪い噂が流れているヨハンナとの結婚だけど、それは母親との約束で父親から守るためにカスパールを親代わりに支えてきたからであって…と、負のスパイラルの視点は結局父親に繋がるところが、ルートヴィヒも気づいているのか、気づいているからこその『再会 そして告白』なのか、気づかないようにしてるのか。二幕の『恋をしたなら』が、実は一幕で完成してカスパールに一番に弾いて聴かせる新しいピアノソナタ(メヌエット)だった、というのは本編でセリフとして語られることはなくとも観劇者は皆わかるはずで、弟との日常のやり取りがトニとの逢瀬にも繋がっていたんだという伏線のような構成も、筆舌に尽くしがたい良さがある。

4.象徴的な稲妻と雷鳴

各々の激しい感情に引っ張られるような激しい演出が、本当にかっこよくて好き。セットに凝られているだけでなく、背景の映像の使い方が絶品。舞台上の映像演出は最新鋭の機能ゆえ、無限に表現できるけど、ともすれば時代背景を考えると浮いてしまいそうなリスクもあるのに、既存のセットとうまく中和しながら19世紀に引き込んでくれる。
そんな中でも印象的なのが、ルートヴィヒの心の友達のような雷。プログラムでのルートヴィヒについての紹介ページに「死の瞬間、先行と共に雷鳴が轟き、彼(ルートヴィヒ)は右手を上げて、拳を握りしめた」という記載があったけど、そんな言い伝えからきっとインスピレーションを受けたであろう、轟音と共に何度も現れる稲妻。雷が好きだと嬉々としてルートヴィヒの心の浮かれ方に比例するように、幼さが見え隠れしていて、そんな姿に音楽から解放された彼の真髄を見出し人間として向かい合ってくれるトニ。ヨハンナに「あなたのお兄さんは怖い」と言われてしまうほどの能面のような姿から見え隠れする彼の幼さが、作品のスパイスになってるなぁ。

5.ゴーストの存在

いやーーーこの6名の皆さんが最高に素敵です……史実に基づく配役ばかりの中、このファンタジーなキャラクターが生み出される意義と存在感よ!
クンツェ&リーヴァイ作品だと、『モーツァルト!』のアマデや『エリザベート』のトートダンサーなど、特定の役と客席にしかその姿を認識されていないキャラクターが出てくるのが面白くて、今回のゴースト達もきっと同じような位置付けかな。6名の構成が男女3名ずつなことも(女性だからスカート、というわけでなく1名パンツスタイルでカテコでハンドスプリングをされる姿もかっこいいね…)、1名ずつに名前がついていることも、ルートヴィヒが奏でる音楽の1音ずつのようで愛おしくなる。
きっと公式解釈もあるんだろうけど、ゴースト達はルートヴィヒの才能そのものなのかな。彼を音楽家たらしめるために働きかけ、現実を教え、彼が絶望しピアノに縋り付けばゴースト達も力が抜ける。身体能力で魅せる可能性の奥深さよ。表現の幅広さよ。一幕で新曲のメヌエットをカスパールに聴かせるルートヴィヒの横でピックアップされるゴーストが毎回異なるのも嬉しい。二幕ラスト、取り憑かれたように羽根ペンを走らせるルートヴィヒを取り囲むようなゴースト達の構図がとても好き。
特殊メイクのゴーストだけでなく『秘密の花園』に現れる概念的な恋人まで演じられ、そのパフォーマンスの幅広さには唸るばかり。

6.実力派&個性派揃いのキャスト陣

正直誰にも共感できない。唯一の良心とも思えるカスパールに対しても、そんな兄を見捨ててヨハンナと幸せになりなよ!ってけしかけたくなる。ごめんねルートヴィヒ、でも私は幼少期の辛い過去故に拗らせまくるルートヴィヒが好きだよ。しいて言えばトニ…本当にかわいそう、モラハラ夫のフランツのせいで。でも「かわいそう」で終わらないトニが好きだよ。
誰にも共感できないからこそ、前述した小野田さんの「普通に生きてたら味わえないような」という枕詞が効いてくるし、これぞミュージカル!非日常!と、ぞくぞくするんだ。これ、大事なことだと思うのでこちらも太字にしました。もちろん価値観は色々あれど、私がミュージカルに求めるのはここだなぁ。
こういう言い方することは非常に憚られるけど、ルートヴィヒとトニに出番や歌唱曲が偏りすぎてるのはこのテーマを考えると仕方ないことかもしれないけど、とはいえポスタービジュアルの配分そのままに本編中の役の出番数も配分されてるとは思わなくて。どうせルートヴィヒ役のファンだから楽しんでるんでしょ?って言われないために自衛してるつもりもなくて、この作品を楽しみにしていたミュージカルファンとして素直にそう思うので(岡本プロデューサーの手記にも記載があったとおり、バイマイで芳雄さんが話してた「1、2曲もらってくれない?」はネタじゃないよね、きっと。)強烈な個性を残して公演を務め上げる皆様には感服しかない。
プリンシパルのみになってしまうし分量は偏ってしまうけど、僭越ながら少しずつ感想を書かせていただきます。

ルートヴィヒ/井上芳雄さん

絶望し、愛を知り、自由を夢見て、人間として向き合ってもらえたことに対する悦び。それを自分のエネルギーにして、再々の恋人を失えど愛に目覚めたルートヴィヒは自分の手で運命を掴み、運命を切り開く。その過程が本当に見事。芳雄さんのことは「生きるエンタメ」だと昨年のムーラン・ルージュで強く思ったけど、その感嘆の気持ちをさらに新たにさせられただけでなく、芳雄さんが見せてくれる「生き様」に夢中になってきたんだなと腑に落ちた。
とにかく歌い上げる大曲ばかりが続くけど、声に乗って溢れ出る感情も滲み出る境遇も、なぜこんなに心を掴んで離さないんだろう。ミュージカル界のトップを走り続ける芳雄さんが、人生ゲームを一番でゴールするような存在とは程遠いルートヴィヒに心血を注ぎ込んで息吹かせるその技量と光景に、圧倒されるだけでなく私自身も生きるためのパワーを貰えるよ。それだけでなく、楽譜やピアノ、オーケストラに向かい合う時、音楽への尊敬と矜持を胸に、彼にスイッチが入る陶酔感もたまらない。
ルートヴィヒが俗世と離れた領域で音楽と対峙する時、過去・現実・幻想の狭間を漂い微睡む時、役と俳優さん本人の境界が曖昧になる時、そういう一瞬の狂気的な瞬間が孕む色気が本当に好きだ。舞台が生物(なまもの)であるからこそ。年始に博多座でエリザベートを拝見し、その後の今年のミュージカル4作品を追いかけて、改めてそう思う。
…と、理性的な言葉を書いたところで、実際観劇中は脳内で「感情の引き出しオンパレード!濃度10000パーセントの洪水!最っっ高!!これが井上芳雄だァァァ!!年間5作品にも出演したミュージカルイヤーの集大成!!!」と叫びながら観劇しました(誰)。
初見は2階席で観ていて、オーケストラが奏でる往年の名曲の渦に飲まれそうになる中で芳雄ルートヴィヒの声が日生劇場の天井めがけて突き抜けそうになる中(聴覚の回復が見込まれないという診断を受け、絶望の淵に立つトリガーとなる、あの「嘘だ!」から始まるナンバー『崖っぷち』を聴きながら)を聴きながら、井上芳雄ここにあり!!Fooooooooo!!!!!みたいな気持ちでオペラ構えてたんだけど(立ち位置)、この熱量であの数の歌を歌い上げた後のカテコで、誰よりも「Foooooooooooo!!!!!!!!!」って叫んでくれる芳雄さんに信頼しかないです。
愛を歌わせ、愛に苦しみ、愛に悦べば日本一です。今回もありがとうございました。そして、年間5本目のミュージカルでようやく主演ということで、カテコで最後に一人で真ん中から出てくるのを拝見する機会、多分私はガイズ&ドールズ以来だったんですけど、主演って凄いな!!となった(新参者)。あと、主演はずっと出ずっぱりなので大変なんだなと(小並感)。
好きなシーンとかナンバーとか書ききれないのでこの続きは次の項目へ…

トニ/花總まりさん

全てを持つ幸せな女性のはずなのにこの虚しさは何?そんなふうに自問自答し、心ではずっと泣いているような役が何故こんなにも絶品なのだろう。エリザベートの花總さんの、笑顔の裏の憂いが拭いきれないシシィがとても好きで、その時のどこか儚いヒロイン像をとても彷彿とさせられる。どこかの回のカテコでお話されていたと思うけど、まさに「命を削る」という表現が相応しい役。苦しみ、苦しみ続け、苦しみ抜いたその果てで待つ幸せを本当に信じてるのか、初めから全てを達観していたのか。いくらでも解釈ができそうなほどのお芝居と、どんなに明るいメロディでも叫びに近いような想いが乗る歌声に夢中です。タイトルロールであるルートヴィヒだけでなく、“不滅の恋人“であるトニの物語でもあるんだという説得力を持たせられるのは、花總さんだからこそ。
主にフランツとの関係でとても苦しむことになるけど、苦しくて悲しい時だけ泣くのではなくて、心の琴線に触れた時に涙するようなトニの心の動きが好き。二幕の花火の前のルートヴィヒの独白(『再会 そして告白』)を聴きながら涙を浮かべていたトニの慈しみの表情が忘れられない。
一幕の雷の夜である『雷雨 〜救いを〜』で幼い子供のように振る舞うルートヴィヒを抱え込むようなトニが印象的だった。でもその手を取り彼女と向かい合うルートヴィヒによって、母性ではなく性愛の関係になるのも好き。プラハで再会できて酒場に飲みに行ったルートヴィヒに対する「それだけじゃないわ。わかるでしょ?」の一言に花總さんの凄さが詰まってて、ルートヴィヒへ滲み出す、目の前の人と再会できた嬉しさと、ここで終わりたくないとでも言いたくなるような下心。繊細なトニだけど、こういう正直でしたたかなところがあるからこそのヒロイン像だなとさらに好きになる。花總さんは、演じられてきた役柄も相まってよく高貴だと表現されがちでその印象は事実だけど、それだけじゃない、惨めな境遇の中でも決して消えないプライドが光る瞬間に圧倒される。「ルートヴィヒが愛した存在としての最有力候補」とトニが語られる史実とリンクするように、儚くて、幻のような存在だったな。
カテコの恒例になった、
芳雄さん「トニ、これはあの時渡せなかった手紙だ」
花總さん「まぁ……『不滅の愛をあなたに』」
のやりとりと、この後に芳雄さんにハグしにいく時の花總さんが可愛くて可愛くて本当に可愛くて…大好きだ… 役が解けた瞬間に綿菓子みたいにメルヘンな世界観になるの可愛すぎる。そんな一面も相まって、やっぱり同じ人間とは信じがたい、女神のような崇高さがひたすらに眩しい。

カスパール/海宝直人さん・小野田龍之介さん

このキャストなのにこの出番数なの何事だよ…と初見では虚無の感想を抱いてしまったことは否めないけど、ルートヴィヒに掴み掛かられても力ではやり返さず、歌唱力でやり合うような『僕らは兄弟』がとても好き。ヨハンナへの変わらぬ愛を歌い上げる『何があっても』、思わずルートヴィヒの椅子の上に立ち上がるカスパールが可愛いよ〜。この曲以外は、自分にスポットライトが当たるような行動をまずしない彼だからこそ貴重。(ルートヴィヒ兄さんの「良い声だな〜」に続く言葉が毎回アドリブなのももう何なんだろね!とことん極められたホスピタリティをありがとうございますとひれ伏したくなるわ!)
「カスパールのテーマは”囁き“」だとバイマイでも仰っていた小野田さん、ルートヴィヒと分かり合えないことに力づくで抵抗するのではなく、心に訴えかけ続けるような、どんなに拒否されても決して折れない強さが眩しかった。『僕らは兄弟』のクライマックスのルートヴィヒとのハモリ(カスパールは「自分に言ってるだけだ」のパート)は、小野田さんだと、柔らかい大らかな声ごとルートヴィヒを包み、諭すことを諦めないまっすぐさの中に一瞬ピリつきを感じてぞくぞくした。
逆に海宝さんのカスパールは終始繊細な作り込みに感じて、『僕らは兄弟』は、ようやく暴力でない手段でルートヴィヒと衝突する手段を得られたんだと、満を辞して声ごとぶつかりに行った印象。海宝さんと芳雄さんの声がぶつかった瞬間の激しさと緊張感、この劇場も客席もどうかなってしまうんじゃないかとさすがにひりひりした。東京my楽が海宝さんの回かつ手持ちの中で一番の前方席だったので、二人の取っ組み合い(というか一方的に乱暴するのはルートヴィヒだけ)も大迫力だったけど、和解を諦めない健気なカスパールが初めてルートヴィヒを罵るために口にした「愛を知らない哀れな兄さん」ほど真髄を突くものはないよね、ぶれない美声だからこそ尚更。二幕終盤でトニと決別し聴力も弱まり、もはや極限状態にいる中のルートヴィヒに話しかける時、自分の唇に指を当てて訴えかけるような海宝さんのカスパールの仕草が素敵だったな。ルートヴィヒ自身にノートを渡されるのだから筆談という手段もある中で、声と声でのコミュニケーションを諦めないその気概に惚れた…

ベッティーナ/木下晴香さん

アナスタシアぶりの晴香ちゃん。おそらく一番難しい役なのでは?と思うくらい立場が迷子になりそうだけど、それを見事に華麗に演じる晴香ちゃんが流石すぎる。トニと正反対になるような役で、ルートヴィヒとトニの逢瀬を応援するような導入部分から、恋人達の秘密の花園を信じ、最終的にトニを裏切ることになるわけだけど、どの瞬間にも彼女だからこそのピュアで夢見心地な部分があるからそう行動してしまうんだという説得力がある。心ではずっと泣いている花總さんのトニと比較するのであれば、まだ自分の中であらゆる選択肢が残る可能性や、若さゆえの勢いも相まって、ずっと笑っているような晴香ちゃんのベッティーナ。やっぱりエリーゼのためにの旋律に載せた『秘密の花園』が好きだなあ。

フィッツオーク/渡辺大輔さん

いやーーーーーー最初から最後まで、従属する相手を変えてでも徹頭徹尾ここまで嫌な奴をやり切れるのすごいな………!!というあっぱれの気持ち。あまりにも胡散臭い動きや最高の顔芸がもの凄いので見逃したくなくて、オペラで追ってセルフフィッツオークアングルをしてる時もある。歌も演技も表情管理も、何もかもが最高です。
渡辺大輔さんは、直近の舞台だと『IN TO THE WOODS』の王子役で拝見したけど、個人的には『ウェイトレス』のアールが本当に強烈でめちゃくちゃ怖かった思い出。今回も同じく悪役的な立ち回りだけど、ずる賢さやひょうきんさも加えながら、ルートヴィヒやトニを苦しめていくのがさすがです。

ヨハンナ/実咲凜音さん

正直なところ、もっと歌ってほしかったぞランキング1位です。みりおんの美声をもっと聴きたかった…素直に勿体ないよ…
でも、カスパールをあれだけ夢中にさせる存在としての誠実な振る舞いや、それと相反するように、カスパールが信じてやまないルートヴィヒに対して嫌悪感や憎悪を示すその正直さがあるからこそ、“人間らしさ代表”のような役だなと思う。あと、『愛さえあれば』で「父親から金を盗んで逃げたらしい」と噂される時の札束をひらひらさせながらカスパールと腕を組み去ってい姿が、悪い噂の再現とはいえ可憐でとても好きな構図。

キンスキー公/吉野圭吾さん

悪役か…?と一瞬思わせるけど、自分を辱めた音楽家に対して一矢報いたことでルートヴィヒに(多少強引ながらも)礼儀を教えこんだとも言えるし、実際良心的な貴族。吉野さんのクセ強なイメージが若干マイルドになる役で、このビジュアルがギャップに感じるほど。あの泣きぼくろとゴージャスな貴族の出で立ちが似合う方はそうそういないし、存在感が半端なかったな…もっと歌ってほしかったぞランキング2位です。『モーツァルト!』で芳雄さんと花總さんと共演歴があることも感慨深い。

フランツ/佐藤隆紀さん・坂元健児さん

フランツ自身のソロも、フィッツオークとのデュエットも、どちらも元が超絶技巧のピアノソナタだと思うので、原曲のピアノの音全てに声を乗せていないとはいえ、この勢いで彼の怒りや悪巧みが益々加速するような化学反応が凄いなぁと唸る。ルートヴィヒの楽曲と、フランツという傲慢な役と、二人の歌唱力お化けさん達の化学反応。そして、共に日生劇場の屋根を吹っ飛ばしそうな声量の持ち主であるフランツ二人の、怒りのアプローチが似て非なるものであることも面白くて、Wキャストの醍醐味がとてもよく出ている役。
シュガーさんは、割とスマートに、容赦なくトニを突き放していくイメージ。突き抜ける歌声と「黙れ!」の怒号。正直言って私の内臓まで震えてたわ……びりびりくる。
サカケンさんの、怒りの沸点の持って行き方がとても好き。徐々に苛立ち、追い詰め、爆発!という、演技としての苛立ちの摂理の表現も含めた歌い上げ方が本当にお見事。

7.どのルートヴィヒが好き?選手権

いやほんと全部なので順位付けできないけど、好きなシーンやナンバーが多すぎて困る。主演って凄いね…(2回目)
ここから更に長くなるし益々ニッチになっていくけど…お付き合いいただければ幸いです!

『最後の希望』『崖っぷち』

「英雄」のマーチのような旋律に乗せてこの曲が歌われる構成が憎いなと思ってる。史実上でルートヴィヒが心酔していたナポレオンに捧げた曲として有名で、その後ナポレオンは皇帝になりルートヴィヒは彼に失望する。そんな状況と皮肉なようにリンクするというか、音楽に身を捧げて地位を築いてきた自分に対する世間の失望を一番に恐れているのがこのシーンの彼。「耳が聞こえないことは誰にも知られてはならない」と懇願する姿は、音楽へ敬意を払いたい純粋な気持ちだけでなく、名声に執着している証拠でもあるのでなんとも苦しい。
しかしこのシーンのルートヴィヒをオペラで追ってると、視界から消えるんだよね……突然蹲り後ずさりし、立ち上がり、また力が抜けて蹲り。全身を蝕む恐怖が悍ましいほど伝わってくるので目が離せないけど、最後に目から光が消えてまたキッと睨む余韻が好き。まだ彼の中では終わっていない。背中の後ろで手を組み猫背で去ろうと、青い炎が再び燃え上がるような気迫に引き込まれる。

『運命はこの手で』

もう……本当にお見事!歌い上げでショーストップしそうな大拍手が沸き起こるのも忘れられない。究極の「I Wish Song」、まさに歌い上げるにふさわしい楽曲。大好きなので芳雄さんの持ち歌になったら良いな、まだ大千秋楽を迎えてないけどそんなことまで考えてる。
ルートヴィヒが「愛」を実感するために、歌い始めでトニとキスしたばかりの自分の唇を拭うところがシンプルに好きです。彼女と過ごしたベンチに頬を寄せてみたり、そういう直接的な表現が続くのも本当に好きだよ私は… 史実ではルートヴィヒと関係を持った女性は他にもいたようだけど、作中のルートヴィヒの不器用な愛し方がこの仕草で裏付けられるところもくすぐられるんだよおたくの心はよぉ…(萌えポイントになっちゃって若干気持ちが迷子なところも否定できないが…)
一つ前のナンバーの、雷の夜にトニと心が通じ合う『雷雨 〜救いを〜』で、「自由になりたい」と乞うトニに、ルートヴィヒ自らも自由とは程遠い位置に居ることにで気付かされて、互いに感化されたところもあるんじゃないかな。東京my楽で下手前方に座ってたので、キス前にトニを覗き込むその瞳に吸い込まれそうになっちゃった。これはもう完全にムーラン・ルージュのせいなんだけど、キス待ちの数秒を使って、後半加速して相手との距離を徐々に狭めるその緩急の付け方がとても好きで、くるぞ……あと何拍……来た!!と距離を拍数で測ったりしてしまうおたくに成り果てたところがあるよ……(狂)

『よろしく絶望』

「絶望よ、またお前か」の嘲笑が含まれた語尾、最高すぎませんか……?あと5億回くらい聴きたい。
ルートヴィヒを追ってると、舞い上がって、落ち込んで、の落差がとにかく激しくてジェットコースターみたいなので、演じている方の消耗も半端ないんだろうなと思うけど、今年5作目にして一番大変なのが来ちゃったとバイマイでも語られていたほど舞台から捌けないけど、ファンにとってはこんなご褒美公演あっていいのかな、と。ひたひたに浸ってる。
『よろしく絶望』の中で、ルートヴィヒは自分を嘲りながら絶望を受け入れるけど、トニは「さよなら夢の人」って決別を歌うのも凄い構図。相手役となるトニとのデュエットって意外と少なくて、この『よろしく絶望』と、リプライズのような構成になっている二幕の『さよなら絶望』くらいかな。二人で歌っているのに、前者は別空間にいる演出だからこその顔を合わせずに手紙のスルーパスとか、そこにいるのに触れられないもどかしさが演出上で伝わり、込み上げてくるものあるけど、『さよなら絶望』は二人の間に障害がある事実は変わらずとも、顔を見て直接歌いかけられている状況こそ救いで、最高のリプライズだな。
このナンバーから一幕ラストまで出ずっぱり。酒瓶を投げ、トニの手紙をぐちゃぐちゃに丸めて投げ捨て、弟とも仲違いし、もはや何も残らない。いや、残ったのは音楽だけ。しかし、丸腰の白シャツ姿で、酒瓶を投げ捨てカスパールに掴み掛かり、自ら散々怪我したその手で覚醒後にタクトを持つ演出も、唸るほど良い。

『ルートヴィヒの宿命 〜叫び〜』

一幕ラストにして視覚的に最高に楽しい!!!脳汁出て瞳孔開いで頭パーンってなる。どんな言葉を使うべきか悩ましいけど、演出も、音楽も、キャストも、何もかもがとにかくかっこいいんだよね…
「みんな消えていった 音楽だけが残った」という溜息のような旋律の声を乗せ(なのにちゃんと歌にするのが芳雄さんだなぁと何度でも唸るよ)、鍵盤に向かい、遠くなる意識の中で、ゴースト達にけしかけられ向き合い、蘇る過去の記憶。ルートヴィヒを精神的に支配する父親が唯一登場する回想シーンでは、暴力を振るわれる幼少期のルートヴィヒ(子役さん)と現在のルートヴィヒ(芳雄さん)が連動していて、とても辛いシーンではあるけど、父親を見据える表情が衝撃的で本当に好き。怯えだけでなく、罵りや軽蔑のようでもあって。この辺りは呟いていたのでそのままツイートを載せちゃう。

https://x.com/xxx3220amo/status/1739680958201356657?s=20

https://twitter.com/xxx3220amo/status/1739684082571936112?s=20

貴族達の「我らもてはやせ」の歌詞の終わりに合わせて乱暴に鍵盤を叩きつけるような、和音ではない音が入るのもとても好き。自由を搾取され、才能の檻の中で支配されることに対する反抗。そしてかつて自分の両手を乱暴に叩きつけた父親への報復。

女神のようなトニが頭上から現れ、ルートヴィヒは彼女を愛したことの象徴とも言える自らの唇に触れた手を天に伸ばし(『運命はこの手で』と同じく、唇をトリガーにして雪崩のようにシーンが動き出すのがとにかく綺麗で好きだな…)、それをきっかけとしてトニが大量の楽譜を投げ、舞台天井からはさらに舞い始める楽譜は300枚くらいだと、こちらで語られていたね。

ここのエレキギターのソロが本当に泣きたくなるほどかっこいい。クラシックとの融合。ミュージカルの可能性。色んなものを噛み締めたくなる中で、大量に降り注ぐ楽譜を這いつくばりながら抱える今にも泣き出しそうなルートヴィヒはもはや幼さを極めてるし、大きめの白シャツが映えるほど突風が勃発する。「指名などうんざりだ」と覚醒した彼がタクトを手に取りピアノの上に立ち上がったことを歓迎するかのように、稲妻と雷鳴が全力で彼を迎え入れるので、彼が大好きだとトニに語った雷が、彼の感情と連動する友達のように思えてくる。

『愛こそ残酷 〜LOVE IS CRUEL〜』

史実として残っている手紙の文面に記された状況をリンクさせるために、ベッドの上で歌わせる構図が生まれたんだとは思うけど、ベット上の仰向け歌唱は芳雄さん自身の提案だったなんでまじかよ……しかも舞台に向けて歌うように若干顎を上げてるなんてまじで……と芳雄のミュー最新回を見てから頭抱えてる。シンプルに最高です。「やってみようかな〜」のテンションであの神技作り出せるなんて天才か?
原曲が誰もが知ってる「悲愴(ピアノ・ソナタ第8番 第2楽章)」だから、ミュージックフェアでも歌われていたけど、まさか恋文を書きながら思いを募らせ身をよじりながら歌う曲だとは思わなくて、まさに最高オブ最高。表現の幅に唸ることばかりだけど、トニに今すぐ会いたくてたまらない時に、想いを絞り出すかの如く、身悶えしながら歌う窮屈さもあって、曲終わりに向かってそれが爆発していくような効果的な効かせ方と観せ方、そして魅せ方が至高。

『さよなら絶望』

この先もトニと一緒に居たくて、郵便馬車に乗って追いかけてくるルートヴィヒ。床に膝をついてまでトニに縋りつうような、その必死さと、向こうみずなまっすぐさ。でもそんな切迫感とは切り離されたような雄大な音楽に声を乗せる構成。とにかくピュアな一面が明るみに出るナンバーであることが印象的。
トニに言葉を届ける中で、絶望に対しても呼びかけるのは、一幕の『よろしく絶望』と対にさせるような効果を出すだけでなく、絶望を相手取り立ち向かうような彼の覚悟を感じて圧倒させられるだけでなく、絶望にも人格を与えるロマンチストな部分も感じてやっぱり好きだなこのキャラクター…とメロってしまうところがあることは何度でも白状したい。

『再会 そして告白』

自分の弱さをここまでトニにさらけ出すのは初めてじゃないかな。前述した「今も曲を書くのが苦しい」に繋がるまでの、過去を淡々と吐露していく旋律が派手ではないからこそ沁み渡る。自分が醜いのに演奏をした罰なのだと憂うほどの、自分の醜悪さに対するコンプレックス。彼が異常なまでの固執を「欠点じゃない」と受け入れるトニの海のような愛の深さも素晴らしい。
『花火の夜』も大好きで、二人の幸せがずっと続けば良いのになと祈りたくなる気持ちにさせられることも含めて、一瞬の煌めきこその美しさそのものである花火を盛り上がって絶頂期の二人に見せるって、皮肉で残酷な演出。アンサンブルさん達が歌う「幸せとは儚すぎる 命の輝き 花火の煌めき」の哀愁が残るのも良いなぁ。雷が好きなルートヴィヒなら花火も好きそうだけど、幼少期に見に行ったりしたことはなさそうだから、トニのおかげで見れた景色だったのかもしれなくて切ないな。

『ゴーストの声—3』『運命はこの手で—2』

ドナウ川に架かる橋でトニと別れた後、ルートヴィヒの葬式が始まる直前までずっと舞台に残り続ける芳雄さんに、主演ってこんなに出ずっぱりなんだなと改めて実感する。
袖へ捌けずにカスパールとの縁も取り戻し、涙し、ぼろぼろにされて横たえられているピアノと戯れる。もはや鍵盤を弾くのではなく弦を爪弾くので精一杯な極限のルートヴィヒに、哀愁と、それでも消せない幼さを感じて、胸にくるものがある。この状態から最後どうなるんだろう…ってなるけど、一幕ラストと同様に「運命」に合わせてゴースト達が登場し、ルートヴィヒを囲う展開がリプライズのようになる構成に鳥肌が立つ。でも一幕と違って、ピアノの上にぴょんと飛び乗るのではなく(ピアノが横たえられているからだけど)ここではまさに懸命によじ登る姿や、一幕で苦しんでいたルートヴィヒが、ここではゴースト(才能の化身かな)が走らせる羽根ペンに身を任せ、運命を自分で切り開くことを誓う。この対比、あまりにもぞくぞくして大好き。
一幕ラストは過去の呪縛のフラッシュバック、二幕ラストは自らの手で運命を切り開く開放、と対比になっているのも素晴らしい。

負けはしない 二度と自分を憐れむな
生き抜こう あの愛を胸に秘め
人生と闘う覚悟を武器にして生きよう

『ベートーヴェン』第二幕『運命はこの手で—2』からの引用。

この歌詞がとても好き。シンプルながら、クライマックスを噛み締めるのに十分な、核心を付くような歌詞。怯え続けた「絶望」と決着をつけ、「自由」を彼なりに再解釈して残りの人生を闘っていく覚悟が、ルートヴィヒの高らかな歌唱と相まって見事に昇華され、カタルシスを残すこのラスト。本当に綺麗に決まるゴールだな。

ミュージカルという畑で、歌と身体と心を武器にして生きる芳雄さんと、ルートヴィヒ。「陽」の魅力を封印して「陰」に振り切った芳雄さんの引き出しの多さを実感しながら、孤高の天才としてリンクする部分も感じたり、カテコては秒で役が解けて雄叫びのような声で客席の声出しを煽る芳雄さんに安心するほど憑依的な演じ方だった。バイマイで語られていた「タイトルロールを演じる時の恍惚感、トランス感」「こういう役にしかない悦び」という心情に益々心臓掴まれて仕方がないです。これこそ本望。
個別には書ききれなかったけど、悪化し続ける聴力のせいでオーケストラを指揮できなかったルートヴィヒが、本編終了後のカテコで上垣先生からタクトを譲り受けキャストのコーラスと指揮し、稲妻と雷鳴が光る中、彼のトレードマークとも言える後ろ手に腕を組み舞台奥へ後ろ姿だけを見せて去り、上からまた楽譜が降ってきて…という、カテコまで本編の続きのような演出がとにかくかっこいい。このカテコと、一幕と二幕それぞれのラストは、今まで観たことがない派手な演出で、視覚的にもとても記憶に残るものだった。ミュージカルで、特に今回は歌を武器にしたキャストが集まる中で、「見せ方」に拘るこの作品は、ミュージカルの新たな可能性を提示してくれたと思ってる。

8.井上芳雄さんと花總まりさん

大作の『モーツァルト!』そして『エリザベート』での共演歴がある二人の再共演。姉弟、皇后と黄泉の帝王の関係を経て、ついに恋人同士だなんて、二人の歩みの集大成みたいなところがあるし、芳雄さんが「花ちゃんと呼べるようになった!🤗」とバイマイや芳雄のミューで嬉しそうに語っていた姿がとても微笑ましい。あと、初日を控えた会見の中で花總さんが、「芳雄さんと今回やっと人間らしいやり取りができる」「表情を独り占めできる」仰っていたのも、“尊い”を超えた女神の金言のようだよ。
個人的に印象深いのが、Blu-rayで見た『エリザベート』で、拮抗し合う力で声をぶつけ合って駆け引きをしていたシシィとトート。芳雄さんと花總さん、二人の共演を劇場で観劇できたのは今回が初めてだったので、ずっと楽しみにしてたベートーヴェンを観れている陶酔感を思いっきり味わえた。
『ベートーヴェン』も、エリザと同じくらい「泣いた、笑った、挫け、求めた」の要素があるけど、最終的にお互いに愛してることを確認した上で別れるこの展開は、不倫なら当然だとは思うけど、「僕らの想いは月だけが知ってる」と、愛が不滅だという要素を残していくのもいじらしくてとても好き。
今回は二人の“歌のアプローチの違い”が、溶け合わない異物であることこそが、エリザと違って二人がはっきりと別人格であることを示していて、異物だからこそ似ている部分を探して惹かれあう説得力があって、心と心で縛り付けられるような関係性に本当に惹きつけられた。
そして並びが”絵画“なのよ… 腕を組んで後ろ姿だけ残し去っていく二人という構図が二度あったけど(花火のシーンのラストと、お別れのドナウ川の橋の上)、幸福と哀愁の落差がすごい。しかしとにかく絵になる二人。
満を持しての「恋人同士」という関係性で、究極の人間ドラマを観せてくれる幸福たるや。


俳優さん目当てでチケットを取ることが自分の中の基本ルーティンになってきた中で、俳優さん目当てで観に行った作品自体にハマる時に漲る嬉しさに支配されるのもまた一興だなぁと噛み締めるような2023年。ミュージカルが豊作で渋滞していた年だからこそそう思えたのかな。いや、突然沼堕ちした先が年間でミュージカル5作品に出演するというとんでもないスケジュールだったからこそかもしれない。今年こそは投稿したかった「2023年観劇まとめ」も結局未着手だけど、そんなことを考えた年の終わりに観るに相応しく、日生劇場60周年のラスト、そして個人的にあまりにもどデカい沼に入ってしまった年のラストとして非常に光栄な公演でした。東京公演の思い出の写真を貼ってこの投稿の結びとします。

日生劇場のホスピタリティ…!ラグタイムに続いて作品のキャラクターに扮して迎えてくれるリスさん達。
ルートヴィヒの誕生日観劇となった12月16日。ここまで趣向を凝らしてくれるの凄すぎて!
誕生日は諸説あるとのこと。この日は東方公式Twitterが盛り上がったり、カテコでもルートヴィヒの誕生日を祝ったりして楽しかったな!
12月24日のクリスマスイブ。もう本当に凄いよ日生劇場さん!
日比谷シャンテのフードファイトという名のコラボメニューチャレンジ。ランダムコースターは狙ってたルートヴィヒも来てくれたし、ベートーヴェンさん達が勢揃いで嬉し!🫶

2万字近くなってしまったこの投稿に需要があるかはわからないけど、久しぶりに長文を書き切って、自分の感想を世に放てて、ものすっごい達成感。自分の欲求を満たすために、好きな作品や俳優さんの名前を出すことこそ“搾取”ではないか?と、ふとした瞬間に頭をよぎることもあるけど、夢中になれる存在に出会えた悦びをルートヴィヒが音楽で表現したように、私も自分なりの方法で示していけたら良いな。

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