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27歳の"大人"って何者?


1995年6月10日、僕は生まれた。ちょうど今から27年前の話。
当時、ニュース番組で梅雨入りが発表された日だったらしい。
どうりで僕は雨男なハズだ。
湿気やなんとなく寂しく閉鎖的な雨の日が苦手だけど、不思議と嫌いではない。

自分が思っていた27歳という大人とはかけ離れているなんて、皆んなが口を揃えて話す。この1年はたくさんこの台詞を聞く事になるだろう。
ちなみにもれなく自分もそこに当てはまる。

過去を悔やむ事なんて死ぬほど経験してきたこの年齢だからこそ、過去の人間や出来事や運命に感謝して、思い出を美しいものとして宝箱にそっとしまおうと強く思う。



現実的な話、休職している独り身の27歳の誕生日は非常にシンプルな1日だった。
 ・睡眠薬の影響で昼前に起床しシャワーを浴びる
 ・中央線にに揺られ好きな街(中野)へ行く
 ・美容院で人生について語り、髪色をブルーブラックに染める
 ・noteを書く

シンプルな1日ではあるけど、中野という街に微かに残っている様々な過去を懐古し、未来に希望を抱いた。全身で過去を肯定できるようになったのは去年くらいから。それはれっきとした成長だ。
改めて今日を全て一人で過ごしてみたけど、
素直を振りかざして、優しさで対話していこうと強く感じた。



ここ数年、様々な物事に関して視野が狭くなっていたと感じる。
かさぶたの下で新たな皮膚が生まれるように、27年間でこびりついた固定概念がしっかり自分の一部になってしまっていたようだ。こんな日にわざわざ連絡をくれる親や友人がいる事によって、何気ない日常の何気ない1シーンにもっと想いを馳せるべきだと改めて感じた。
もっとたくさんの人や匂いや音、景色を察知する力をつけたいとすら思った。間違いなく27歳の目標としたい。

年齢を重ねるにつれて、周りへの感謝や恩を心に深く刻むようになる。
我ながらとても良い年齢の取り方だと思う。

だからこそこれからは、そんな感謝を胸にとどめ「恩返し」という行動を起こせる人間になりたい。シンプルだけどそれが僕の思う"大人"である。

誕生日が過ぎれば364日、再び何も変わらぬ日常が続いていく。
そうやって昨日をやったり今日を迎えたりしながら、
幸福には敏感に、不幸には鈍感に、記憶を紡いだり時には忘れたり、恐れないで日々を過ごしていきたい。



何はともあれ、27歳という絶妙な節目ではあるけど、2022年6月10日に自分が強く感じた事や、これからのあり方をここに残しておこうと思ってnoteを書いた。特別な日にしか感じられない考えられない事がたくさんあった。
それは実際に縁のある土地に足を運んで、考える時間をとったからこそであって、誕生日にそれができて僕はとても満足した。とても良い1日だった。

もし今後、道を踏み外してそうになったり、人生の迷子になった時はこの記事を読み返して、今日の自分を思い出してほしい。
残酷だけど人間は大切な事も忘れてしまう。それを回避する為に、こうして残してく行為は人生においてとても大事で、だからこそ僕は書き続けていく。


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