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重力とはいのちの智慧と力だ

「重力とはいのちの智慧と力だ。」
こう書いてから戸惑っている。

どう表現するのか?
どうして重力とはいのちの智慧と力なのか?
それを自分自身に訊ねてみたい、自分のいのちに。

重力を知らないと答える人は少ないと思う。
誰でも知っている。

ではその働きは?重力といのちとの関係は?
まして人体と重力の関係となると、私が知る限り日本で僅か三名の方がその関係性について言及しているに過ぎない。
一人は武道家もう一人は治療家、そして医療関係者である。
このうち二名にはお会いしている。
それは必然としか言いようがない。

 

今の仕事をやる以前、
「本物の武道を試してみたい」と、
50過ぎにしてようやく「この人物」という武道家を見つけ師事した。

その稽古には様々な方が集い、眼前で繰り広げられる師匠の達人技に皆釘付けになっていた。

当初、師匠の言うことが理解できず、その武道の本質が何処にあるのか理解不能であったが、師弟関係がなくなった後、師匠の著書で重力に技の秘密があることを知った。

もう一方は、治療の観点から重力バランスの大事さを解き、独自の調整法を教えていた。

お二方とも、それぞれ独自の道をゆく専門家であり、前人未到の域に達しておられた。
個人的にも近しい関係となり、短い期間ではあったがさまざまご指導いただいた。
お二人の先達との出会いがなければ今日の心境はなかったと、今でも出会いに深く感謝している。

三人目の方は、ある医療関係の専門書の中で偶然ご意見を読ませて頂いたが、直接お会いすることはなかった。



前述したお二人の元を離れたのには、それぞれ理由がある。
ひとつは「師弟関係」であり、もうひとつは「治療関係」にある。

一般的に何事も「未知」を目指すには師弟関係が当たり前であり、治療の道にも「治す側」と「治される側」という上下の関係が出来てしまう。

この『未知の微妙』を感じ取るために、師弟や上下の関係が醸成されてくる。

当初はそうでなくとも、関係が深まるほどに過度な上下関係が生まれる。
本来の未知の微妙を、人間中心のレールに乗せ、やがては周囲の重力バランスを狂わせる忖度を生む。

これらのことが、もっとも大事な未知の解明を目指す上で無用なものと感じ、お二人とは距離が離れていった。

それぞれの道において独自の技や調整法を発見されたことは奇跡に違いないが、それは元々あるものであって、イチから創り出したものではない。

 

重力は意識に直接の影響を感じないが、無意識下の深層世界に大きな影響を及ぼす。
それは感覚で確かに捉えられるが、経験がなければその微妙を感じ取ることはできない。

武道の世界では、明らかに重力の変化で桁違いの技を見た。
治療の世界でも、重力バランスを整えることで身体の不調が即座に改善された。

ふたつに共通するのは、
「決して意識では説明できない」ということだ。
だが感覚の上に、やがて変化が感じ取られ確知できるようになってくる。

重力は自然にあるもの。
これは誰人も、どんないのちにも元々存在し、
無意識の深層世界でひとつに繋がるもの。

全てのいのちの記憶にあり、本来的に影響を及ぼすものが重力。

故にいのちのルールを人間のレールにのせ、師弟や上下、支配や従属の関係を生むことは本末転倒にあたる。


一般的な解釈は専門家にお任せするとして、わたしの感覚では
本来は自由で自在な(人間)関係のための
『いのちの智慧と力』である。

そのことを皆さまと追求していきたい。
                              

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