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3月17日(水)

@channel おはようございます。ようやく、春めいてきました。花粉はつらいですが、それでも自転車通勤で海岸沿いを滑走できる贅沢をかみしめております。これって、決して当たり前のことじゃないんですよね。
さて、今日は「上手な別れ方」について。

人生には様々な別れがありますね。旅たちによる別れ、自然消滅的な別れ、双方の合意による別れ、一方の決断による別れ、そして悲しい別れ。
人と関わる以上、「出会い」と「別れ」を繰り返します。「ワクワクする出会い」「奇跡の出会い」といったポジティブな響きを持つ「出会い」に対して、「ワクワクする別れ」「奇跡の別れ」と言うと心がざわめくように、「別れ」にはネガティブな要素があると思います。

では、「別れ」は必ずしもネガティブで出来ることなら避けたい、避けるべきことなのでしょうか?

答えは、そうでないと思います。
新たな旅たちといった前向きな別れにはもちろん、悲しい別れにすらポジティブな面を見つけることができると思います。そして、悲しいかな、別れは避けることはできません。では、別れのポジティブな面とは?
私が経験した別れのポジティブな面は、三つあります。

① 他者の気持ちがわかるようになる→別れを自分で経験することによって、類似する別れを経験している他者の気持ちを理解・共感することができる。

② 人とのつながりが当たり前とは思わなくなる→別れることの辛さを体験することで、今目の前にある関係性や今後の出会いが、当たり前に続くものとは思わなくなる。

③ 別れに対する自分の感情や反応を理解すること→別れを経験する時に自然と出てくる感情や自分の行動を観察し、自分のことをより理解することができる。


結局は別れのポジティブな面は結局「成長」ということにつながるんだと思います。


しかし、これは決して、別れに対して耐久性が生まれることや、鈍感になることではないと思います。何度別れを繰り返しても、新たに訪れる別れに「慣れる」ことはなく、逆にそうあるべきではないとも思います。それは、人間の自然の感情に蓋をしてしまうことだと思うからです。
なので、まとめると。


別れには色々ある→出会いと比べて、別れはネガティブな要素が強い→しかし、ポジティブな面もある→それは、成長につながるから→でも、それは「別れ」になれるべきではない→その時の感情に素直になるべきだ。
ということです。


自分の感情に向き合ってある程度経つと、もう一つの生理現象が生まれます。それは「お腹がすく」です。どんなに悲しくても「お腹がすく」という、この自然な人間の反応に素直になれた時に、すでに別れのポジティブな面はスタートを切っているのではないでしょうか?


別れを自分なりに理解して、前へ進む方法やタイミングは人それぞれだと思います。誰にも通用する上手な別れ方はないのかもしれませんが、私なりの「上手な別れ方」で締めます。


① その時の感情を忘れないモノを残す→どんな別れであっても、その時感じた感情は良くも悪くも時間と共に風化します。その時の感情を思い出そうとしても、なかなか思い出せないものなのです。これ、本当に。でも、その感情を思い出す手がかりがあると、それが助けになります。自分を成長させてくれる感情は思い出す価値があると思います。その手掛かりが、その時の感情を記した日記や聞いていた音楽、その人を思い出させてくれるものetcなんでもいいと思いますが、記憶というあやふやなものに頼らずに、何か残しておくことが、その時の感情を忘れないコツだと思います。


② 神Boxに入れる→長い人生、要所要所に「もはや、神頼み」な瞬間が訪れます。僕は特定の神は信じていない人なのですが、その瞬間が訪れたときには自分の中の神BOXにいる、「100%応援してくれるであろう神々」に託します。そこには、芸能人的に有名な神もいれば、自分だけの神もいます。そこに入れておくことで、自分が本当に必要な時に手を差し伸べる存在になるわけです。普段の信仰心が災いして、芸能人的な有名な神にはそっぽを向かれるかもしれませんが、少なくとも自分だけの神は耳を傾けてくれると、なぜかそう思えます。


③ そして、最後に。これは月並みですが、時間が解決してくれます。これは経験上事実であり、感情に向き合いながらも、その事実を受け止めること。これが上手に別れ、次の別れ、そして出会いに向き合うためには必要な心構えだと思います。
ということで、水曜日から中島みゆき大先生の「時代」的な重い文章ですが、この感情も風化する前に下記のことしておきたいなと。ということで、今日も頑張りましょう。

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