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本屋さんとして、大切にしたい100のこと(#5~9) #5

こんにちは。
この記事を覗いてくださってありがとうございます!
Grass Pillow Booksのまるへいです。

この記事は……
ピース又吉直樹さんの公式YouTubeチャンネル【渦】の企画「百の三」が元ネタです。
お題に対して100個くらいの答えを出せば、自分の能力を超えた回答が出てくるかもしれない。そんな考えが背景にある企画です。
 僕が、本屋さんとして大切にしたいこと(あるいは大切にしたくないこと)を100個くらいあげます。
そうすれば、自分の価値観を再認識できたり、本屋として自分に何ができて何ができないのかを具体的に把握できそうな気がするからです。

前回の記事はこちら。



#5 植物に関心を持ち続けたい(花の名前を覚えたい)

 僕は昔から植物が好きです。たぶん初めは色に惹かれていたんだと思います。僕の育った環境には、ありがたいことに自然が溢れていて、祖母や隣の家の人が植える色とりどりの植物はもちろん、親戚のいる山へ出掛けた時に見る野性味溢れる植物など、(当時は当たり前すぎて気が付かなかったけど)多種多様な自然に囲まれていました。
 いつからか、その植物の構造にも惹かれるようになり、葉の形や手触りが気になってボーっと眺めたり触れたりして、なんかすごいなとぼんやり思っていました。
 
 大学の時、「地下世界」に興味があり調べていた時期がありました。
何の本だったか忘れたけど、そこに書かれた木と木同士の関係性に僕はとても心が踊りました。木と木は、種が異なっていても、根を通じて養分をいきわたらせているそうなのです。
 例えば、森の中である1本の木(トモキさん)が少し弱っているとします。トモキさんは種であったときに遠くから風に乗ってその地に根を張り成長しました。だから周りの木々とも話す言葉が違っていて、友だちと呼べるような関係性も築けずにきました。今まではタフに生きていたので、それで困りはしませんでしたが、異常気象の影響で体調を崩してしまいます。
すると、隣に生えている1本の大きな木(マッキーさん)がそれに気が付きます。マッキーさんはトモキさんを助けたい一心で、言葉は全く通じませんが、地下深くに張った根を通じて、自分の栄養を少しトモキさんに分け与えます。するとそれを見ていた近くの木(マリノフスキーさん)も、根を通じてトモキさんに栄養をあげます。こうして、トモキさんは無事元気になりました。
 ざっくり言うと、上記のことが僕たちの目に見えない地下の世界で行われているようです。素晴らしい。

 植物は、僕たちの目に見えるところだけではなく、目に見えないところでも活発に活動をしていて、植物同士何かのメッセージを送り合っていたり、我々人間とコミュニケーションを取っています。植物は生命の根源でもあり、癒しでもあります。だから植物に関心を持ち続けて、大切にしたいと思います。

(花の名前をパッと言える人、かっこいいですよね。僕もそうなりたいけど、どうにも覚えられません……。)

#6 環境への配慮を怠らないようにしたい

 植物関連で、環境のこと。
環境への負荷をなるべく減らすような生活をしたいと思っていますが、今乗っている平成初期のガソリン車をすぐに手放すのは現実的ではなさそうだし、きっと気付かないところで地球環境へ悪影響を与えるようなことに加担していると思います。
 僕が生業としていきたいと思っている「本」も、紙という貴重な資源です。
 
「モノがあふれている時代に、モノを売ること」をもう少し自分で考えないといけない、と思っています。

 僕個人ができることは少ないけど、少しずつ正しい情報を知って、自分の生活感にあった実践をこれからも心掛けたいです。

#7 相手の「好き」を応援する

 自分がそれほど興味のないことでも、相手がそれを好きというのなら、理解できるようになりたいなと思います。僕は、自分の好きなものを他人に話すとき、少し勇気がいるし、本当に好きなものだったら何となく軽々しく言えないなと思ってしまいます。もちろんその人との関係性やその会話が繰り広げられた環境にもよりますが、基本的にはそんな心の状態です。
 例えば、僕はMr.Childrenが好きです。とてつもなく好きです。でも、どうして好きなのかと問われると、しばらく「……。」となります。だって好きな要素はたくさんあって、その時々によってそれぞれの要素の好き度は変わるし、いくつか例を挙げたところで、本当に僕の感じる魅力が伝わるのかが不安になります。そしてそれを言ったことで、相手が僕に抱く印象も少なからず変わるだろうし、それが悪い方向へいっていたら嫌だなとか思ったりして、勇気が必要になります。考えすぎかもしれません……。
 だから、相手の「好き」はしっかり受け止めたいし、後押しできるようになりたいなと思います。

#8 相手の「嫌い」も否定しない

 「嫌い」は負の感情なので、他人の嫌いにはなるべく触れたくないし、自分の嫌いをさらけ出すのも極力避けたいです。
 と、思っていました。でも今は少しその感覚は変わってきているような気がします。たとえそれが、どれだけ濃い負の色をしていたとしても、それは紛れもないその人(自分)から出た感情なのだから、見て見ぬふりをしたりして逃避するのではなく、向き合えたらいいなと思います。もちろん、逃げることも時には必要です。バランスが大切。

#9 「個」の時間を過ごせる場所を大切にしたい

 村上春樹さんが、学校にまつわるエッセイの中で、「個の回復スペース」というワードを出していました。
 「個の回復スペース」とは、簡単に言うと、自分が心地良くいられてゆったりと深呼吸のできるスペースのこと。「場所」ではなくあえて「スペース」と言っているのは、そこが実際に存在する(目に見える)場所でなくてもいいからです。例えば、村上春樹さんにとってそれは、本、あるいは読書でした。
 「個の回復スペース」は、個人が社会(共同体)との接点を放棄することはなく、でも個人を襲ってくる社会のしがらみから距離を取って、自分だけのカスタムされた空間を確保することです。
僕はこの話にとても共感しました。エッセイの中では、今の学校教育とその背景にある社会性みたいなものが「個」の逃げ道をなくしてしまっているのではないかという文脈で、「個の回復スペース」という言葉が出てきました。ただ、これは何も学校教育に限った話ではなく、大人も含めたすべての人に当てはまることなのではないかと、そのエッセイから受け取りました。
 
 「サードプレイス」という言葉が出てしばらく経ちましたが、「個の回復スペース」は、それとは少し位相が異なるような気がします。サードプレイスの一般的な定義は、自宅や職場(学校)とは別の居心地のいい「第3の居場所」を指すと理解しています。それは例えばカフェであったり、共通の趣味でまとまったコミュニティーであったりします。ゆっくりとリラックスして呼吸ができるという意味では、同じようなものの気がしますが、「個の回復スペース」はもっとその奥にある根源的なスペースだと思います。
 「サードプレイス」からは、1の場所(家)、2の場所(職場など)、3の場所(サードプレイス)と区切られていて、1から2に移るときはその境界線をえいっ!!と越えて、2から3の場所に行くときには、また境界線をそいやっ!!と越えていくようなイメージがあります。サードプレイスに身を置いている時は、まるで2の場所にいる自分は存在しないかのように解放される。それはそれで全然ありだと思います。
 ただ、「個の回復スペース」は、個人の中に常に用意されているものであって、1の場所に身を置きながらでもそのスペースに入ることができるし、2の場所にいても自由自在に入ったり出たりすることができます。僕はそう解釈しています。

 僕は、「個の回復スペース」を大切にしていきたいです。でも、僕自身そのスペースがあるかと問われると、自身をもってイエスと言えないし、いきなり「では、今から個の回復スペースを見つけて、手放さないようにしてください」と言われても無理な話です。

 だから、意気込んで無理して見つけようとは思わないし、他人にも強要はしたくないです。ただ、自分の作り出す空間が、その「個の回復スペース」を見つけたり、維持したりするヒントになればいいなと思います。

 まだ本屋さんとして何か形になるようなことをできていないので、ただの妄想ととられるかもしれませんが、僕はその理想を心にもっておきたいです。



今回はここまで。

読んでいただきありがとうございました!!

それではまた。

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