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本屋さんとして、大切にしたい100のこと(#1~4) #4

こんにちは。
この記事を覗いてくださってありがとうございます!
Grass Pillow Booksのまるへいです。

今から、本屋さんとして大切にしたい100のこと、書きます。

元ネタはピース又吉さんの公式YouTubeチャンネル【渦】の企画です。

企画の名前は「百の三」。
「百の三」とは、ある1つのテーマや質問に対して、100個の答えを出すことで、普段の自分からは出てこないような答えを導きだそうという企画。
出た100個の中から、最終的に3つのベストアンサーを決めるので、「百の三」。

例えば、
「又吉直樹が考える自分を大人にしてくれた名言と迷言」
「又吉直樹が考える繊細さんの気になるリスト」
「『人間』テーマソング作詞初挑戦の前に・・・「人間」とは何か」
などのテーマが過去にはありました。

又吉さんは、取材などで何かの質問に答える時、
「本当にこの回答でいいのか?もう少し考えたら、もっと良いのがあるのでは?」と思っているそうです。
だから、「100個出せば、そのうち3つくらいは自分の能力を超えた回答があるのではないか?」
そんな気持ちがこの企画の背景であると初回に話していました。

僕はその又吉さんの謙虚さや探求心とも言うべき姿勢にとても共感し、いつも動画を楽しんでいます。
僕はまだ胸を張って本屋ですとは言えないので、僕も本屋さんとして大切にしたいこと(あるいは大切にしたくないこと)を100個くらいあげようと思います。
そうすれば、自分の価値観を再認識できたり、本屋として自分に何ができて何ができないのかを具体的に把握できそうな気がします。

まだ店舗もなく、本屋としてふわふわとした存在ですが、
将来店舗をもった時を想像したりしながら、書き進めていきます。

又吉さんは、収録時間が10時間(!!)を超すこともあるそうですが、
僕はそんなにタフではないので、気の向くままに文章を綴ります。

それでは、スタート。



#1 完璧を求めない

 僕はこれまでの人生の中で、自分の中でよくやった、頑張ったと思えることがいくつかあるのですが、今考えてみると「よくそんなことできたな」と嫌味でも何でもなく純粋に思います。
 例えば、部活で全国大会に2年連続で出場したことや、絶望的な状況から一年浪人をして大学に行ったことなど、その当時の努力とかは今じゃできないと確信しています。それには周りの支えとか環境面の要素もあると思うけど、たぶん僕自身の核となる姿勢が今とは違っていたから。
 その当時の僕は、限りなく完璧に近づこうとストイックに目標に向けて動いていました。自分の弱さ、足りない部分を分析して、その改善に手を尽くす。改善しなかったら次の方法で徹底的に叩きあげていく。その過程でまた次の改善点が見つかるからまたそれを修正していく。その繰り返しでした。
その過去があって今の自分がいるし、そのお陰で素敵なご縁に巡り遇うことができているので、その当時の自分に、そしてその周りの環境に感謝をしています。
でも、その完璧を求める姿勢は、今の自分には合っていないのだと最近になって気が付きました。完璧にしようとするあまり、自分を苦しめることになったり、結果的に周りの人に迷惑をかけてしまったりして、これはちょっと良くないなと思ったのです。
もう少し肩の力を抜いて、"best"じゃなくて"better"を求めることにしました。
だから、本屋としてもそれを大事にしたいし、誰かに完璧を求めることはせず、完璧じゃなくてもいいのですという価値観を共有できる場を作りたいなと思います。

#2 感謝を忘れない

当たり前のことですが、自分の周りで起きることに感謝の気持ちを忘れずにいる人間でありたいなと思います。

 車を運転していると、時たま法定速度以下のノロノロ運転に出くわします。そしてそんな時に限って追い越しはできない状況が多い。少しイラッとしますが、いやいやそうじゃないなと考えを変えてみる。
 例えば、その人がゆっくり運転してくれたことで、運命の歯車がどこかでカチッと切り替わって、僕が交通事故に遇って帰らぬ人となる運命を回避できているのかもしれない。ありがとう。
 あるいは、前の車の助手席には(僕に見えていないだけで)凶悪な宇宙人が乗っていて、「速度を上げると即刻地球を侵略するぞ」と運転手は脅されているのかもしれない。その人が運転する車の速度と地球の侵略に何の関係性があるのか分からないけど、とにかくそのノロノロ走行のおかげで地球は侵略されずにいる。ありがとう。

 と、少しふざけてみましたが、でも考えようによっては何もかもに感謝の気持ちを持つことができると思うのです。
だから、当たり前のことも、当たり前じゃないことにも感謝の念を。

#3 経年変化を愛でたい

 「使うほどに味わいがでて深くなっていく」というような文言に弱いです。
革製品とか、染物とかですね。買ったときは他の同じものと変わらないのに、使っていくうちに自分の色に染まっていって、世界に一つとないものに変わっていくのが嬉しくて、つい惹かれちゃいます。今も高校の時に買った革のブックカバーを使っていて、手触りとか、色味とかが何とも言えない味を醸し出していてお気に入りです。
 時間という幾重にも重なるフィルターを通過してきたものは、その過程であるものを失くし、またあるものを獲得し、今存在しています。それは新品のものや使い捨てられるものにはない魅力があり、僕はそれを愛でたいです。

 古本も同じなのではと思っています。誰かが一度だけ目を通した本もあれば、メモがびっしりと書かれているほど読み込まれている本もある。ページに何だか分からないシミが付いていたり、押し入れの匂いがしたりする。そういった誰かが手にした痕跡があって、それが誰かの手へ渡り、本棚に加えられたり、また誰かの手へ渡っていったりする。
そういう古本をめぐる循環を大切にしたいです。

#4 「非効率」を肯定する

 非効率であったり、非生産的なことを肯定していきたいと思います。
この資本主義社会の中にあって、効率的であることやスピードの速さの価値はものすごく高く、それが讃美されています。つまり「楽に、早く」が求められている。その効率性とスピードへの指向は、技術の進歩を促し、社会を変えてきました。それによって、前よりも生活がしやすくなったり、光の届かなかったことが明るみに出てきて、良い結果を生み出しています。
ただその一方で、その効率性への指向があまりに広がり過ぎてしまうと、窮屈に感じたり、ほころびが出てくるのだと思います。

 本を例にとってみると、よくビジネス書なんかでは「〇〇をすれば成功する」とか「〇日でできる〇〇法」とか、そういう絶対あなたもできますよ系や、あなたも簡単にすぐできますよ系の本がありますが、そういったものからはできるだけ遠くの位置に腰を据えたいなと思います。もちろんそういった即効性のある本はあっていいと思うし、それで人生が良い方向に向かうこともあるだろうから、全否定したいわけではありません。
ただ、僕個人としては、そしてGrass Pillow Booksとしては、そこからは遠ざかりたいというあくまでもひとつの姿勢です。
 だから、その効率性や即効性の対極に位置している小説を大切にしたいです。僕の好きな村上春樹さんは、あるエッセイの中で、小説を書くというのは、回りくどく効率の悪いことだとした上で、その回りくどさや不必要さの中に大事なものがあるのではないかと書いています。
 
 それは小説を読むときも同じです。僕個人の話ですが、小説を読むのは時間のかかることだし、読み終わっても結局何だったのかすぐには分かりません。その物語がもつメッセージも明確には説明できない。でもそれが大事なのだと思います。説明できないけど、何かこころに残るものがあって、それをあーでもないこーでもないと考えたり、考えなかったりする過程こそが愛おしいと思うのです。
 今までにこんな会話を何度かしたことがあります。

僕:本が好きです。
相手:へ~。どういった本を読むの?
僕:小説とかいろいろです。
相手:好きな作家とかいるの?
僕:村上春樹です。
相手:あ~聞いたことある。何が一番好きなの?
僕:『ダンス・ダンス・ダンス』かな。
相手:それってどんなお話?
僕:……。

いやどんな話かって聞かれても説明できんよ!!!!!!と心の中で呟きつつ、ごにょごにょと当たり障りのないことを言ってごまかします。僕の中では説明してって言われても説明できないのが小説だと思います。簡単にあらすじとか、登場人物とか、舞台とかは言えるけど、それでその物語を説明したことにはなっていない(相手が求めている情報の深度にもよるけど)。まあかといって時間をかけてじっくりと考えたら説明できるかと問われるとそうでもなく……。
でもそれでいいのです。楽しいから。心地いいから。

長くなりましたが、「非効率」を肯定したいという話でした。ここではひとくくりに「非効率」と言っていますが、無駄とか、不必要とか、遠回りとか、そういった価値観を大切にしていこうという姿勢です。



#5にいこうと思いましたが、思ったより長くなってしまったので、今回はここまでにします。

これ、100個いけるのかな……。

ま、いけなかったらそれはそれとして。


ここまで読んでいただきありがとうございました!

それではまた。

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