見出し画像

毒親と田舎と貧困から逃げた話

里親に虐められ、親権者に引き取られるまでの過程は前回の記事で。


実家の環境

12歳の時に里親から逃げるために親権者、つまり実家に引き取られた訳ですが、とても不便で貧しい生活を送りました。
親権者からハラスメントも多々受けました。
以下に特に私が嫌だったことについて挙げます。

環境面について

・上下水道がない
上下水道がないということは、当然トイレはボットントイレですし、飲み水も山の湧き水を使っているため衛生基準を満たしいているか不明です。
生活排水はすべてそのまま川に垂れ流していました。行政が下水道を通してくれないので仕方がありません。

・エアコンがない
私が暮らしていた土地は盆地なので夏は平気で30℃を超えるのですが、貧乏な我が家にはエアコンがありませんでした。

・電波が無い、インターネット回線がない。
山奥なのでスマホの電波が入りません。(auだけは微妙に入りました)
当然インターネット回線も引かれておらず、あったとしても貧乏な我が家では月額料金を支払うことはできません。
思春期にインターネットを使えないというのは大きなストレスでした。

・最寄りのコンビニ、スーパー、バス停まで徒歩1.5時間
更に雪が降ると、2倍時間がかかります。

・高校までの通学時間片道1.5時間
自転車、バスを乗り継いで通っていました。
電車は最寄り駅まで徒歩6時間かかるので使えませんでした。

・マクドナルド、セブンイレブンなど有名チェーン店まで車で2時間
テレビCMを見て興味を持った商品があっても、何一つ手に入れることが出来ません。

このように、都心で生活保護を受けていたほうがよっぽどマシと言える生活を送っていました。

家庭面について

・ゴミ箱を漁られる
ゴミを捨てる度に、何を捨てているのかチェックされていました。

・風呂を覗かれる
私が嫌だと言っても勝手に風呂を覗かれていました。

・毎日学校に電話して私の様子を聞く
親権者は毎日学校に電話して私の様子を聞いていました。
学校の先生からやめてくれと伝えるように頼まれて伝えましたが、それでも親権者は辞めることはありませんでした。

・腐った食べ物を食べさせる
みなさんは虫の湧いた野菜やハエがたかる米を食べたことが無いと思いますが、私はそれらを食べるように強制されていました。
醤油の中でウジがウネウネ動いている姿は未だに忘れません。

このように、ありとあらゆるハラスメントに耐えながら生活していました。

実家から抜け出す計画

こんな環境から抜け出すために、高校生になった私は計画を立てました。
まず前提として、当時は成人の年齢が20歳だったので、親の同意なく家を借りることができるのは20歳からでした。
つまり高校卒業後すぐに就職してしまっては、親に家や職場がバレてしまいます。
なので、一度大学に進学して20歳になったら中退して消息不明になり、一人暮らしをしようと決めました。

そして大学に入り、上京するためのアルバイト生活を始めるのですが、それは次の記事で。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?