いつもマイノリティ

自分の事を整理したい人。

いつもマイノリティ

自分の事を整理したい人。

最近の記事

進学校の決め方

ノストラダムスの予言が外れて、生きて行くことが決まった中3の春、進学を余儀なくされた私は夢見ていたお菓子屋さんの道を歩もうと希望の科が付随されている農業高校への進学を決めていた。 成績も常に学年では真ん中らへんで、良過ぎず悪すぎず。学校の選択肢は割とある方でもちろん志望校も偏差値も充分だった。 三者面談が始まる頃志望校について親と話す機会を設けるよう担任からの話があり、意気揚々と志望校を母に告げると、『姉が進学した商業高校に行きなさい。制服もあるし、姉がいるから安心よ。雨の

    • 家族と私

      2つ上の姉からはいつも服がダサいや、歌を歌うな、静かにしろ、頭悪いな、など冷たい言葉を浴びせられ、一緒にいるのも苦痛だった。一瞬たりとも一緒にいたくなかった。 いつも母は妹のお世話で忙しく相手にされず、毎日無言の圧をかけられていた。 だから毎日学校から帰ってきたら家にはいない。 外で友達と遊んで気を紛らわす。 友達と別れて家に帰ると、あんまり記憶は残ってないけどご飯と大皿のおかずの食事をする。 仕事から帰ってきた父は私達と同じ食事をせず、母に『箸』、『お茶』と単語を放ち自

      • 私の事

        小学生3年生くらいだったと思うけど、妹とお留守番を頼まれていた時、祖父がドライヤーを買い物に行くが行かないかと誘ってくれた。もちろんお留守なんかより買い物に行きたい。 妹を置いて買い物について行った。 帰宅すると母に猛烈に怒られた。 もちろん、約束を破った私が悪い。 何か用事があって私に妹を見ていてほしかったらしい。その時、もう私の存在意義は親の顔色を伺って、先回りして役に立たないと家にいる意味が保てないんだと思った。 それから、母の動きを見てやっていない所に手を出し手伝

        • 家族と私(断片的)

          私の誕生日は年末でいつも親戚の集まりの日で有耶無耶にされ、私の記憶にある内にケーキを買って食べるということはなかった。ある年、たまたまケーキ屋さんの近くを通った時、年末に空いているケーキ屋さんがあり、父に『私今日誕生日だから、ケーキ買って欲しい!』と、頼むと『俺の金で買いたくない』と言われて絶望した。何年も我慢して、いつもケーキ屋さんが閉まってるからという理由でなかったケーキ。 でもケーキは嫌いにならなかった。 むしろ今でも作るのは好き。 父とも今は普通くらいには会話する。

          私のこと

          幼稚園の園庭にある土の土手をパンツで滑って真っ黒になって母に怒られたこと。 小学校の入学式に妹(障害がある)が来て可愛い〜って皆んなに言われて嫌だったこと。 小学校2年生の時に阪神で大きな地震があって、その数日前に阪神からお友達が引っ越してきてミラクルだ!と驚いたこと。 掛け算が言えないと教室に入れなかったこと。 小学校の帰り道雨がひどいとお迎えに来てくれることがたまにあったが、友達に見られる事が嫌だった。たぶん車がボロだったから。 姉妹の話をされるのが嫌だったこと