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家族と私(断片的)

私の誕生日は年末でいつも親戚の集まりの日で有耶無耶にされ、私の記憶にある内にケーキを買って食べるということはなかった。ある年、たまたまケーキ屋さんの近くを通った時、年末に空いているケーキ屋さんがあり、父に『私今日誕生日だから、ケーキ買って欲しい!』と、頼むと『俺の金で買いたくない』と言われて絶望した。何年も我慢して、いつもケーキ屋さんが閉まってるからという理由でなかったケーキ。
でもケーキは嫌いにならなかった。
むしろ今でも作るのは好き。
父とも今は普通くらいには会話する。
でも、子供の頃のあの一言は今でも忘れられない。

だからケーキは自分で作るようになった。(でも、自分の誕生日には作らない。自分に向けたケーキを作るのには抵抗があった。)お友達や家族にはつくるのは大好き。同じ思いはしてほしくない。


いつも私の意見は通らないし、すご怒るって言われて育ったけど単純に親と意見が合わないだけで。
親と合わないと反発してるんだなと思われてきた。
『違う意見』があるっていうことを認めてもらえなかった。だから大人になって、社会に出て自分の意見の違う人を『意見の違う人』という目で見る事ができなかった。意見が違うだけで、悪いとは限らないし、むしろこちらが間違えている場合だってある。『意見が違うんだな〜』でなぜ許されない家庭だったのか。家を出て本当によかった。

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