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【恋愛短編小説】 今だけは私だけを

「さむっ」
 寒風が無防備な脚を冷やし通り過ぎていく。
 2月の夜は厚手のコートに身を包んでも熱が足りず、シバリングで無理やり補完する。
 上着のポケットに手を入れカイロを握りしめながら、いつも通り遅刻してくる彼を想う。

「お待たせ」
 落ちつた声が左の鼓膜を揺らした。
 その声は、雑多とした街中でも鮮明に聞き取れた。
 まるで、周囲の音が消えてしまったかの様に、明瞭に響く声。
 
「ハルくん。遅いんじゃないのかな?もう10分も過ぎてるよ」
 形式だけの嫌味を吐きながら、抑えることのできない喜びが声に弾みを持たせる。
 待ち時間に感じていた少しの不安や苛立ちは既に消えかかっていた。
 貴方はワイヤレスイヤホンをケースにしまいながら、謝意を微塵も感じさせない笑みを見せながら「ごめんね」と連呼していた。

 新宿東口の『みらいおん像前』
 ありきたりな場所だが、彼との待ち合わせはいつもここだった。
 会うのはいつも新宿で、いつも夜だ。

「ごめんね。仕事が長引いちゃって」
 眉間みけんを上に寄せ、困ったような申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
 仕事と言われたら文句なんて言えない。
 それも分かっての言葉だろう。
 
「お店どうする?行きたい所とかある?」
「うーん。それなら」
 考えるフリをしながらスマホを操作する。
 場所なんてどこでもいい。貴方だってそうでしょ。

「ならねー、ここ行きたい」
 インスタのブックマークを開き、幾つかピックアップしていた店から、適当にひとつ選んで見せる。
「いいね。俺、魚介系好きなんだよね」
 知ってる。
 肉は脂身が多いものは苦手で、逆に魚は油が乗っている方が好き。
「え、ほんと?じゃあ、ここにしようよ」
 ちなみに、私は魚介はあまり得意じゃない。
 初めて会った日、そういう話もしたけど、きっと覚えてないよね。
 
 私の一歩前をゆく彼の後ろ姿に、視線を奪われる。
 広い肩幅、刈り上げられた襟足。
 不意に横を向いた時の、鋭利えいりな輪郭。
 その全てが私には無いもので、愛おしく感じる。
 繋いだ手から、体温と一緒に私の情動が伝わればいいのにと、少しだけ指に力を込めても、貴方は振り返ってはくれない。
 ただ人混みを掻き分け、前に進んでいく。
 貴方の冷えた手に、私の体温がゆっくりと移っていく。
 

 


 
 出会いはマッチングアプリ。
 正直、暇つぶし程度の軽い気持ちだった。
 今までも何人かと会ってみたが、特にかれる人はいなかった。
 むしろ、見え透いた感情に嫌悪感を抱く事の方が多かったかもしれない。

 改札を抜けて、みらいおんを目指して歩いていると、首元に薄らと汗が滲みだす。薄手のジャケットでも、まだ早かったかと後悔する。
 時間ぴったりに到着したが、それらしき人物は見当たらなかった。
 ドタキャン。の文字が頭に浮かび、眉間に力がこもる。
 5分待ってみたが現れず、ため息を漏らしながら歩き出した時だった。
真穂まほちゃん?で合ってる?」
 振り向くと、目の前にやけに整った顔を持った男性がいた。
「ごめんね。仕事が押しちゃって」
 アプリの場合、写真より実物の方が数段劣る。それは経験を通して学んでいたため、元より期待なんてしていなかった。
 それだけに、揺さぶられた。
 漫画の世界から出てきたような綺麗な顔に、さとられないように内側だけ狼狽ろうばいする。
「ハルくん、ですか?」
「そうだよ。なら行こっか」
 そう言って、なんの躊躇ちゅうちょもなく手を握られ、引き寄せられた。
「行こう」
 その瞬間に、もう負けていたんだ。
 
 


 
 店を出たのは、21時を少し過ぎた頃だった。
「どうする?明日は仕事?」
「仕事だよ」
「なら、終電までには帰らないとね」
 手を引かれ、歩みを誘導される。
「どこいくの?ハルくん」
 なんて。分かり切った質問を問いかけながら、困ったような顔を作ってみせる。
 貴方は何も答えずに、口元だけ笑って返す。
 今度は、彼の手から高い体温が伝わってくる。
 それが私の熱とは違っていても、別に構わない。
 清らかでなくとも、刹那︎せつな的なものだったとしても。
 
 タッチパネルに照らされた横顔からは何の感情も読み取れなかった。
 こちらを向いて、低い声で「行こう」と腰に手を回され引き寄せられる。
 正直歩きにくいが、悪い気はしない。
 これを幸せな不自由と言うのだろうか。

 


 湿気を帯びた身体で待っていると、シャワーを終えた彼が雪崩︎なだれ込むように私を押し倒した。
 耳元で囁かれ、一気に感情がたかぶり、視線が交わる。
 ゆっくりと近づいて、ぼやけていく。
 
「真穂ちゃん」
 今、貴方は誰よりも、何よりも私を求めている。
 今日、初めて名前を呼んでくれたことが嬉しくて、それ以上にかなしい。
 重なった手を強く握り締められる。
 アルコールを含んだ吐息が、素肌を優しく通り過ぎていく。
 こんなにも密接しているのに、致命的な距離を感じる。
 
 何度体を重ねても、未だに苗字すら知らない。
 その事実が、口惜くちおしい。
 


 

 二人の境界線が曖昧あいまいになっていく。その心地よさに心酔しんすいする。
 
 近づいては離れてを繰り返す貴方を、縛︎しばるように両腕で抱き寄せる。
 
 



 揺れる世界で貴方を必死に見つめる。
 
 貴方が私を好きじゃなくても、甘い言葉が全て嘘でも。
 それでもいい。
 
 でも、それでも、そうだとしても。
 

  

 今 だけは
 
 今だ けは
 
 私   だけ を
                          



 見て。
 
 



「To be continued」・・・

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