【ともにつくるひと】たかた工房|髙田将人さん
インタビュー「ともにつくるひと」。
graftの仲間である、さまざまな分野のつくるひとをご紹介します。
私たちの強みは、最高の腕を持つ職人さんと一緒にものづくりをしていること。そんな職人さんたちのことをもっと知りたくて、graft・スタッフの武田由梨が、リスペクトしている職人さんに、普段は聞けないあれこれを伺います。
第3弾は、たかた工房の髙田将人さん。大工の腕はもちろんのこと、現場を風通しの良い雰囲気にしてくれるムードメーカーでもあります。普段は冗談で場を和ませることが多い髙田さんに、大工になるまでの道のりや家づくりで大切にしていることなどを、内子町に構える工房で伺いました。ちょうど、夕暮れ時。まずは、差し入れのパンをつまみながらのスタートです。
パンと建築との共通点
髙田さん:実は僕、パンにすごいはまっとるんですよ。三津(愛媛県松山市)で仕事をやったんだけど、そこがboulangerie hulot(ユロ)さんとか、パン屋さんの激戦区で。僕はハードパンが好きなんですけどね。
――ユロのパンは美味しいですよね。
髙田さん:ユロは、通っていたら、話しかけられるようになって。それで僕も「ユロのパンのファンなんです。飾らず、その素材自体を追求していて、粉自体の味が美味しい。僕は粉の味が好きだけど、素朴なところを追求しているところに感銘を受けてます」というような話をしたことがあります。
僕も同じで、大工という仕事でそっちを目指したい。素朴なところで勝負したいという感じですね。そう、嘘をつかないでいきたいなって。ユロのパンって、多分ね、生地を練るところ、それよりも前からおそらくこだわっている。そういうのがダイレクトに伝わるやん。だから、美味しい。
人とは違う道を歩みたい
――髙田さんは、いきなり宮大工に弟子入りしたそうですが、そのきっかけは何だったのですか?
髙田さん:建築関係の専門学校に行っていて、その頃は大工になろうとは思ってなくて、なんとなく設計士とかデザイナーとかになるんかなって。若いから、定まってなかったんですよ。
その時にロッククライミングに出会ったんです。当時はロッククライミングのジムもなくて、岩場しかなかったけど、ものすごくはまりました。どちらかというと登山の要素なんですよ。若いし、体も動くし、周りからもプロになれよって言われるぐらい頑張ったんです。
だから、いざ就職となった時に、就職課の先生に、「僕、就職しません。プロクライマーになるんで、お世話になりました」って言ったら、「いやいや、ちょっと待て。どうにか就職してくれ。お前、なんか他になりたいことはないんか」と。それで、「先生、宮大工にはちょっと興味があるかな。先生が宮大工の就職先を見つけてきてくれたら就職するよ」って約束したんですよ。そしたら先生が本当に見つけてきてくれてね。
――大工の中でも、なぜ宮大工だったのですか?
髙田さん:もともと実家も、親父も大工なんですよ。だから大工自体に興味はあった。まあつくることが、好きやったねえ。
多分その頃から、ロッククライミングもそうですけど、自然が好きなんですね。自然の中にこう体を、身一つを入れるっていうか、一体化っていうか、それがすごく落ち着く。結局、今、趣味にしているバイクも、山の中を走って落ち着いているわけやけど。そういう意味でも、古風な人間やったっていうのはあったかもしれん。古いものが好きで、子どもの頃は草鞋を履いて遊びに行っていたからね。冬も寒いけど、下駄とか。ちょっと変わっとった。
髙田さん:そんな風に昔から、人と同じことをしたくない人間やった。みんながサッカーや野球をしているところに、俺が今更やったって、みんなには勝てない。負けず嫌いもあったんですけど、今更勝てんよね、みたいな諦めや潔さもあった。だから、部活動が大嫌いで、喧嘩はしないけど、正直言うと、みんなと同じことをすることに、どこか冷めたところがあった。それでロッククライミングをやり、宮大工というところかな。
宮大工って結構少ないじゃないですか。その仕事にもちろん興味はあったけど、どちらかというと少数派だからというのが大きいかな。自分のエゴというか自己満足なんですけど、そこで今もやっています。格好良く言うと、ブレずにね。変わってるだけなんやけど(笑)。
――やっていて面白かったというのもあるのでしょうか?
髙田さん:ロッククライミングは面白かったですよ。よくクライマーが、岩と対話とかそういう言い方するんやけど、自然と対話するんですよね。良い岩って1本のラインしか見えないんです。もう、それだけしか弱点がないっていう岩がすごく美しくて。何個もラインが取れる岩っていうのは、僕的にはあんまり魅力的に感じない。
自然の岩を登り、自然と対話しているのに矛盾しているところもある。チョークをつけるから、どうしても岩を白くしてしまったりとか。だから、できるだけ落として帰るようにしていた。自分らが入った時点で自然を破壊しているんだけど、それを言ったら何もできんから、せめて感謝の気持ちを込めて掃除したり、ゴミが落ちていたら拾って帰るようにしていた。
そういうのが今の仕事にも繋がっている感じがするよね。環境のことがどうしても隣にあって。そういう話をすると、なんでそこまで考えないといけないのって、みんなから言われるけどね。
――建築の現場で、ですか?
髙田さん:僕らは似たような考えの人が集まってるから、なるべく、そういう感じでいきましょうっていう暗黙の了解があるというか、そういう自然素材を使ったり、伝統的な志向の人たちだから、自然とそうなってるけど。
別に他の大工さんが悪いって言うわけじゃなくて、考えてくれた大工さんもいっぱいいるけど、考えてない人もいるっていう。もう少し考えてくれたらいいかなって。まあ大工さんが悪いわけじゃないけどね。素材自体をつくるところとかになると、きりがないでしょう。経済の話になってくるし、なかなか難しい問題だと思います。でも、微力ながらも抵抗していくのが僕らであって。だけど、完全には無理だよね。
みんなでつくった三津の家
――印象に残っているのはどんな事例ですか。
髙田さん:三津の家は、僕の中での代表作っていう感じがする。今までは、いいものができても、設計士さんがいて、僕が入ってという建築が多かったけど、三津の家に関しては、僕と施主さんが一緒につくった。すごくいいものになったね。
もう、あそこに住みたいくらいで。子どもたちは、住んでいいよ、土間が空いとるよって(笑)。そうやって言ってくれるのは嬉しいよね。
――どこを一緒につくったのですか?
髙田さん:壁に漆喰を塗ったり、真鍮の釘を打たせてあげたり。要所要所の釘は僕が打ったけど、でも曲がってもいいんよね。だって自分たちでやったから楽しい感じ。あと、ヒノキの天井と杉の腰板に柿渋も塗った。
コロナ禍でなかなか集まることもできんし、どこかに遊びに行くこともできない中で、ひっそりと家族全員で。なんか、子どもたちもいい経験ができたと思うんよね。自分が一生懸命つくった家って、多分、大切にすると思う。
今の家って1世代で終わってしまうことが多い。でも、あの三津の家は、古いけど、お子さんたちが、大切にしてくれるんやないかな。住めなくなったら、僕が買い取るって言っとるんやけど(笑)。あれは、僕のモデルルームでもあるから、特に思い入れがありますね。
そのご家族とは今でも付き合いがあるし、行ったらご飯を食べさせてくれるし、ありがたいよね。僕らの仕事は、工事が終わったら、はい、さよならじゃない。一生付き合っていくものだと思ってるから、心配事が増えるんですよ。仕事をすればするほど、自分がやったところが増えていく。リフォームや古民家改修だと、ボロボロの家が多いから、結構、強度は出したつもりではいるけど、まあ心配だよね。
――三津の家は、髙田さんの持ち味を生かした、髙田スタイルと言えますね。お施主さんの思いを汲み取れたからできたというのもあるのでしょうか。
髙田さん:僕はね、そこ、得意なんだ。コミュニケーションから得るものって結構多くて、施主さんがどういう物が好みとかを会話の中で汲み取るようにしています。例えば、洋服とかもちゃんと見て、この人ってなんか抜け感がある脱力っぽいということは部屋もそういう感じが好きなんだなとか、パリっとしていたら、ちょっと厳格なとか。三津の家みたいなテイストを、還暦のお客さんに勧めるわけにもいけないし、その辺はちゃんと会話をしますね。
――お施主さんのテイストを引き出して、それを空間にできたら大成功なんですね。設計士が間に入る場合はどうでしょうか。
髙田さん:そういう場合は、その設計士さんのやりたいことがあるだろうし、設計士さんと施主さんがお話していることだから、そこは忠実に、あんまり自分の主張をしたらいけないところかなとは思う。graftの酒井さんに関しては、そこを自由にやらせてくれたり、やってみたかったんですよと言うとすごく喜ぶ。どんどんやってくれと。そういう意味ではすごくやりやすい人かな。なんかちょっと違うよね。普通の設計士さんってこう自分の考えがあってね、それが設計士なんやけど、酒井さんはいい意味でそういう主張が少ないというか。
気になる年上の親友
――酒井とはどこで知り合ったのでしょうか?
髙田さん:リフォームの住宅になります。当時、自分の方向性ですごく悩んでいた時期だったんです。もともと自然が好きだったり、環境に配慮したいのに全然できないところにいたので。自分がしたいことが、なかなかできんなあという感じで悩んでいたんですよ。
そうしたら、15年ぶりにみずき工房の水木さんから「水木ですけど」って電話があって。水木さんはもともと宮大工のところで、半年間だけ一緒に仕事をした仲。もう大先輩で、なんかこう、憧れていたんですね。飄々としてるし、超マイペースなんよね。あの頃から、今と同じ、頭ボサボサで、ネズミ色のボロボロのスウェットみたいなのを着て。でも、そういうのが格好いいなあって思ったんですよね。そんな話を水木さんにしたことはないんだけど。
水木棟梁のインタビュー記事はこちら▽
髙田さん:水木さんから電話がかかってきて、「何しよん? 大工しよん?」「大工してます」「独立したらしいな」って、まあ僕が独立したことをどこかから聞いたらしいですね。ある設計士さんがいて、大工さんを探してるんだけど、絶対赤字になるでって、水木さんから誘われたんです。
――すごい誘い文句ですね。
髙田さん:だけど、伝統構法や自然素材を追求した設計士さんなんよって言われて、俺も興味が湧いてしまって。お金云々じゃないなと。勉強しに行こうと。まあ、それはそれはしんどい工事でしたね。そこに監督としていたのが酒井さん。酒井さんもあの頃、すごく苦しい時代で、僕も苦しかったんで、なんかあの現場から徐々に気が合うなあって感じが勝手にしていて。だけど2人共通して言えるのは、得るものは得たよねと。僕はそう思っとるし、やってよかったと思う。そのリフォーム事例に行って、あ、やっぱり僕こっちの方やなって思えた。
それで住宅リフォームの次に、古民家改修の話があって、その時、自分もまだ若くて、酒井さんに申し訳ないことをしてしまった。東京から来た設計士と僕が馬が合わなくて僕がその仕事を降りたら、酒井さんも降りることになってしまって。逆に僕はあの事件があって、酒井さんに対する気持ちがだいぶ変わりました。それって僕のことを信じてくれていたから、自分も損得勘定なしで抜けたわけじゃないですか。そう思うと申し訳ない気持ちもあるし、ああ、なんか返してあげないといかんなと、今もずっと思っている。
悪い事件だったけど、僕と酒井さんの関係という点では、いい事件やったな。その後は、内子町・小田の納堂さんの事務所だったりとか。あと上島町で、由梨ちゃんに出会った。あれも面白かったよね。まあ、楽しくやれてるよ。
髙田さん:酒井さんは、まあ色々相談にも乗ってくれるし、あの人って、人の懐に入るのが上手。で、引き出すのが上手というか。自分がなんか悩んでいたら、毒を吐かすのが上手で、なんかね、楽ですよね。仕事も別に言うことはないですし、酒井さんがやりたいようにやったらいいんじゃないって。
だってあの人、頭いいから、僕には何を考えとるかわからん。先を見据えて、僕が想像してるところより、一歩も二歩も先に行ってるから、見守るっていう感じやね。そこで協力してほしいことがあったら、もうそれは協力しますよっていう感じかな。
酒井さんとは、短いようで長い感じ、濃いよな。どっちかって言ったら僕が相談する方かなあ。メンタル、めっちゃ弱いから。繊細すぎて、強いようで弱いんよね。人が思っていることが分かりすぎて、気を遣いすぎて、しんどいんですよ。多分、人の倍は情報量が多いと思う。
――それを汲み取ってくれるのが酒井なのでしょうか。なんか髙田さんと話したいなと思ってたら、ちょうど電話かかってくるとか聞いたことがあります。
髙田さん:まあね、あの人もそんな感じだな。同じ特殊能力を共有し合えるというか、楽しさを共有しあえる人。距離感もいいかな。酒井さんの信号をキャッチしているのか、いいタイミングで酒井さんと話したいなってなるんよね。
だからgraftの現場はやりやすい。で、提案したら、僕の考えを汲み取ってくれるというか。これを話すと多分、家守屋と同じ話になるね。大石さんらも同じで、結局そこなんよ。みんな同じことを感じるから、やりやすい。まあ、人に愛情があると思います。今後もいい関係でいたいですね。
家守屋・大石さんのインタビューはこちら▽
――なんか2人の仲が良くて、私は、間に入り込めないなと思うことがあります。悪いことじゃないんですけど。
髙田さん:酒井さんもですが、水木さんともなんですよ。どっちも年上ですけど、なんか親友ができたなっていう。失礼に当たるかもしれないけど、そう思っていて、宝物って感じがする。だから心配はするなあ。酒井さんも落ちる時は落ちるし、水木さんも落ちる時は落ちるし、俺も落ちる時は落ちるし、みんな繊細なんよね。そんな感じで心配し合ってる。
今後は、髙田スタイルを
――髙田スタイルを極めるなど、今後の展望はありますか。
髙田さん:三津の家がやりたかったことをやらしてくれた現場で、もう2軒ぐらい同じような感じでやってみたい。そうしたら自分の中でもういいと思うか、このスタイルでやっていくか、その辺の判断ができるかなと思うんよね。
髙田さん:僕はどちらかというと新築より、リフォームとかリノベーションを今はしたくて。なぜかというと、根本的に古いものを大切にするとか、伝統を守るとか、そういう気持ちが強い。郷土愛とか。まだ使えるのに壊してゴミにして、新しくしてしまうのも、一つの手なんでしょうけど、エコじゃないって思う。もちろん雨漏りがひどいとか、家のダメージがひどかったら、それはもういかんけど。
なんかね、最近の建築の傾向って、つまらないのよね。ちょっと古くなったら壊そう、みたいなのが多い。元々の家に対して、思い出とかもあるだろうに。まあ、縛りはあるかもしれんけど、その不自由さの中で、自由を見つけるというか、リフォームってそういうところが面白いよね。だって新築だったら、予算の都合はあるけど、ある程度は自由。でも、リフォームだと決まっているからね。抜けない柱は抜けないし、でも、そこが面白くて、俺は好きだな。だから、解体した時に学ぶことも多いですね。あと新旧のバランスを取るのがすごく好きで、なんかそこに美しさを感じる。なんかね、そんなところに興味があります。
――新旧のバランスって、どんなバランスなのでしょうか?
髙田さん:例えば、柱は結構難しい。抜けないような元々ある柱って茶色かったり黒っぽかったりするじゃないですか。その横に新しい柱を入れるとまあ白いですよね。同じ色に塗りがちだけど、結局、時間が経てば合わないんですよ。そんなことをするより、潔く、これは変えてない、これは変えましたっていう、まあ潔さかな……。バランス、これ難しいね。
三津の家は、もともとは在来構法で建てられて、昭和40年代に1回リフォームされていて、その時のプリント合板を剥いだら、土壁が出てきた。隠すこともできるけど、僕はありや、施主さんもありやと思ってくれた。そういう行き当たりバッタリで古いものを生かしている。新しいものを入れるけど、それは古いものを生かすためや補強のために。そういう意味で言うと、新しい方を主張するんじゃなくて、古い方を生かすようなやり方っていうのが、1番バランスを取りやすいかな。
新しいものが主張するからいかんのですよ。なんかそこだけギラついて見えるというか、そこら辺が難しいですよね。どうしても新しいものって綺麗なんで、主張してくるんですけど、控えめに見せるっていうのも技じゃないですかね。難しいですけどね。自然に、けれど色は塗らない。新しいものが自然に溶け込む感じ。
だけど、その塗るものが自然なものやったら、僕の中ではそれはありなんですよ。柿渋とかはその面で見て、全体を柿渋で塗るとかいうのはありなんですけど。
――今後は住宅のほか、寺社仏閣も手がけていくのでしょうか。
髙田さん:お話があったら。それも伝統を守るとか、そういうところに繋がるんやけど。まあ、建物自体を守っていくのも、伝統や歴史を守ることになるけど、技術もそうだと思うんですよ。合板でパパって建てたら、早くて安く簡単に家は建つかもしれんけど、なんかそこじゃなくて。もっと未来に行くと、それも伝統になるのかもしれないけど、そうじゃなくて。合板の建物って、多分、30年後40年後は見れたもんじゃないよね。
昔ながらの伝統構法ってすごくサステイナブルで、再利用ができるというのもあります。本当はね、みんな興味は持っているんですよ。なんかお高いんでしょうって敷居が高い感じに思われがちなんやけど、そうでもないような気もするけど。
――古材の柱を別のお家で使うと、柱にほぞ穴が開いていたりするのが、それもなんか面白いですよね。
髙田さん:それもありなんよ。今の人って、なんでそこに穴があるの?ってゴネるやん。別に、昔の穴だよねっていう、一つのお酒を飲むネタにもなるし、昔の大工さんってこうやって穴を開けていたんだという話をお客さんともできる。そういう風に思ってくれたらいいかなっていう感じがするね。楽しむっていう。その穴自体が欠陥に繋がるわけでもないし、なんか味として捉えてくれたらいいな。
自分の心に素直に
――最後に、皆さん道具を大切にされていますが、大工道具の中で思い入れがあるものはありますか?
髙田さん:あるね。あるね。そんなの相当長くなるよ(笑)
――道具は大工になってから買ったのですか?
髙田さん:今ある道具は、水木さんと再会してからですね。それまでも持っていたけど、全部売り捌いて、新調したんですよ。申し訳ないけど、なんか昔の自分を捨てるかのように。昔の自分は立派な大工じゃなかった。今もそう思いますけど、どうしても劣等感の塊です。劣等感でしか生きてない。だからこそ、人と違うことをしないと、並べないぞって考えていた。岩登ったり、山登ったり。
でも山に生まれて、今は好きなものに囲まれて、僕、幸せだと思う。恵まれとるかもしれん。仲間にも。
――それは信念を曲げること、好きではないことはやらないと決めてからでしょうか。
髙田さん:楽だからって逃げたらいかん。しんどいけど、好きなことをする方が幸せなんよ。結局、しんどいことは慣れるから、何を思って動くかよね。お金を取るか、仕事の質をとるか、私生活をとるか、それは人それぞれ。どれも正解だと思うけど、自分は、好きなことをすること、信念を曲げないでいることが、大事って思う。そう、人と同じことをやらんので天邪鬼って言われてましたけど、自分の心には素直なんですけどね。
そんな自分をちょっとでも知っていただいて、ありがとうございます。
インタビューを終えても話が止まらない髙田さん。
ジーンズを履き古して育てるかのように、家を育てていく––。そんなふうに家も仕事や暮らしの道具も、体に馴染む一生モノとして付き合っていく楽しさも語ってくれました。古さを生かす仕事は、ケースバイケースでチャレンジの連続。それでも、難しそうな現場ほど燃えるそうです。今後も追求していきたいという髙田スタイルに興味のある方は、ぜひ、コンタクトをとってみてください。graftにご連絡いただいてもお繋ぎします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?