ARらしいUX、ARじゃなくていいUX #UXとAR
AR技術はもうSFの世界のものではありません。本当に便利にARを使える時代がもうすぐ来ます。
映画やアニメをみているとARらしい表現はたくさん出てきます。TwitterなどでもARプロダクトのプロトタイプ映像が定期的に広く拡散されています。しかしよく考えると、「で、何に役に立つんだ?」と思わされることもしばしばあるのではないでしょうか? 「これ別にARじゃなくてよくね?」と。
ではARらしいUXとは?
僕は「"現実世界ならでは"を活かす」という点に尽きると思っています。
※ こちらの内容は先日の「UX JAM Online #2 」にてお話した内容の一部をnote向けに編集したものです。
ARではないほうがいいUX?
まずはじめに、ARであることによって価値を失っているユーザー体験について紹介したいと思います。
簡単に上の例を挙げてみました。「人が目の前に出てきてしゃべるSNS」です。どこかの映画で見たことのあるような夢の体験だと思います。しかしこの体験、僕はアンチパターンを踏みがちな例だと思います。少し深堀りしましょう。
左: 僕のTwitter / 右: イメージ図
こうなるのが理想です。しかし、インターネット上には数え切れない膨大な人が居て、もちろんSNSにもたくさんアカウントがある。これをそのままARで表現してしまうと…
行列のできるSNS。これはひどい例です。
きっと現実世界にこんなSNSがあったら一瞬でみんなが疲れてしまい、スマホのTwitterへと帰ってしまうことでしょう。まさにこれが、ARではないほうがいいUXの一例です。
【補足】どうしてこうなった…
キーワードは「情報構造と表示方法」です。
Twitterの場合は「多くの人の」「ちょっとした一言」だけを追いかけることが多いかと思いますが、こういった「数が多い」情報構造の場合は2次元の画面でのリスト表示のほうが情報把握がしやすいです。
140字をリスト表示によりドンドン読み飛ばせる。そんなUIならではの体験設計になっているのですが、AR化することでそこが取り除かれているので破綻してしまっています。
ARじゃなくていいUX
それでは、上記の例を1対1のコミュニケーションに限定し、行列ができないようにすればどうでしょう?
一見よさそうですね。目の前にいる人と楽しく会話できそう。情報量も破綻しておらず、AR技術が体験を阻害はしていません。
しかし世の中にはすでにビデオ通話アプリがたくさんあります。ビデオ通話アプリではダメなのでしょうか? このままでは「ARならでは!」「ARでなくてはならない!」とは強くは言えないように思います。
では「ARらしいUX」とは
冒頭で述べたとおりですが、僕は「"現実世界ならでは"を活かす」という点に尽きると思っています。下記が例です。
VR実家帰省アプリの例です。
例えばVRで実家に帰れるアプリがあったとして、実家に実際にいるお母さんが息子さんの姿をARで確認できたらどうでしょう?
もちろんお母さんと息子さんは、普通のビデオチャットで会話することも可能です。息子さんと会話することのみを目的とするならば、それで十分。ARもVRも登場する必要はないと言えるでしょう。
しかし、実家帰省となると話は別です。家族の思い出の場所である実家の空気を、息子さんは擬似的に体験できる。より没入感が高く、かつ自由に移動ができる点において、圧倒的にビデオチャットよりも優位性があります。
お母さんのARアプリも同じです。まるで息子さんが本当にそこにいるように知覚できればうれしいはずです。息子さんが今まさに目の前に居るように知覚できるし、家に居る息子さんを見て、昔のいろんな思い出を思い出したりすることでしょう。現実世界に現れるARだからこそ生まれる価値があるのです。
「"現実世界ならでは"」 というコンテキスト
現実世界に息子さんの姿が見える、この実在感こそ、"現実世界ならでは" なものの一つといえます。
思えば、ARとは「Augmented Reality」「拡張現実感」のことです。現実を拡張するのがARなのであれば、「"現実世界ならでは" の要素」というのは無視することはできません。
むしろARらしい体験設計には、どんな「"現実世界ならでは" の要素」を大事にするのかを明確化することが必要になると言えます。
【ここまでのまとめ】
・ARではないほうがいいUX = AR技術が体験を阻害しているもの
・ARじゃなくていいUX = ARなものとnon-ARなもので優位性がないもの
・ARらしいUX = "現実世界ならでは" の要素が活かされているもの
以降ここでは、「"現実世界ならでは"の要素」のことを「現実世界のコンテキスト」ということにします。
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ここからは「現実世界のコンテキスト」には一体どんなものがあるのかを、軽くだけ紹介します。ホントはこれひとつひとつでnoteが書けるものだと思っているので詳しくはまた。今回は一部のみ、ざっと紹介に済ませます。
1. 場所
まず簡単なところからいうと場所が挙げられると思います。
たとえばブラブラと買い物に行っているときに、お店のドアを見ると食べログのスコアが確認できるなど。現実世界における場所というコンテキストを生かしたプロダクトなどはARらしい体験づくりをしやすいように思います。
【といいつつ、ちょっと補足】
この理屈は正直弱いです。
なぜならばARで見えずともMapUI上で同じように確認できるGoogle Mapsで代替できるからです。場所というコンテキストを生かしたUIはなにもARだけではありません。自分で出しておいてアレですが、この例の場合はもうひと工夫必要といえるでしょう。
2. 親近感・実在感
たとえばデジタルなペット。いつも隣にイルカが居るような。デジタルな疑似ペットと一緒に過ごす体験を考えた場合に、スマートフォンの中にこもりきりの状態よりも現実世界で一緒に触れ合えるほうがいい。
上のVR実家の例もそうですが、現実世界に「居る」という実在感が親近感を生み出し、ユーザーに愛着をもってもらえ、結果良い体験になることがあります。特に温かみのあるプロダクトには、ARは非常に向いています。
【といいつつ、またもや補足】
ただ単に動物に会うことを考えるのであれば、ARである必要はありません。VRのほうが向いてる場合もあります。僕が言ってるのはあくまで「ペット並みの親近感が求められる場合」についてです。下記は参考例です。
3. 身体性
最後に自社プロダクト登場となりますが、ARといえば実は身体性です。
スマホの場合は、画面をタップしたりスワイプしたりが入力になります。VRでも、そこまで自由度の高い入力方法はありません。それがARともなると、現実世界のあらゆる行動を入力動作として使えます。
たとえば僕らのアプリ「HoloBreak」の動画をみると、ユーザーが実際に体を動かす、その空間内での位置の移動そのものが入力動作となっており、ダイナミックな動きを伴ったゲームづくりができています。
端末やUIの制約から一定以上開放されているARだからこそ、現実にある僕ら自身の身体をコンテキストとして活かすことができるのです。
まとめ
・場所
・親近感 / 実在感
・身体性
これら、現実世界のコンテキストを活かしてこそ、ARプロダクトは「ARらしいUX」を体現できる。そんなプロダクトこそが、次のAR時代に台頭してくるのではないかと思います。
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あとがき: #UXとAR はじめます。
ARバトルをつくる「Graffity」のUXデザイナー、でなりです。
ARにちょっぴり興味のある人へ。ARというものについてもう一歩深く考えてもらうための連載「 #UXとAR 」始めてみようと思います! (いつまで続くかな?)
AR技術は何年もまえから注目度が高く、「なんとなく知ってるけど、深くは考えたことないな」という方が割と多いかなと思っています。
そこで今回は、「なんとなく知ってる流行りのバズワード、AR」というところから一歩踏み込んで考えてもらいやすいように記事を、僕なりに書いてみることにしました。
ほんのちょっぴりARに興味はあるけど、仕事ではやってない!みたいな。そんなIT系の人たちが楽しく読んでくれる連載を目指したいです。なので、もし読んでみて面白かったり、気になる内容があるのであれば、感想ツイートをお待ちしています。
月イチぐらいでゆっくり書くので、気がついたら読んでみてください!
(以下宣伝)
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ARなチャレンジに挑む会社、Graffityについて。
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