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差別は存在するし、偏見も存在する。

「差別は存在しない」とか「そんな人、周りにいないもの」とか、一見、中立であるかのようにさえ感じるように発言をされることがある。
僕はよくそういう言葉に対して黙ってしまった。

実際、そういう状況に合うと、相手の考え方を肯定できないのに反論もできないという状態になり、もやもやとしこりを残したままこの会話は終わる。

だけど、実際、差別(あるいは、無知ゆえの無配慮な発言)は存在しているし、僕自身だけでなく周りが経験した差別は心をよどませて、とどめられている。

そんな僕が反論できるようになるまでを書いていく。

なんかもやもや

「大丈夫大丈夫。私、そういうのに偏見ないから。」

僕自身がノンバイナリージェンダーであること、パンセクシャルであることを話すとそういわれた。
相手に肯定してもらえたし嬉しかったけれど、何か引っかかった。
結局は言語化もできず、なんとなくその場を流した。

家に帰って、考えてみると、”偏見”って言葉に引っかかったのか。
”偏見”は、「かたよった見方・考え方。ある集団や個人に対して、客観的な根拠なしにいだかれる非好意的な先入観や判断」
つまり、僕たちは生きている以上、偏見を持っているはずなんです。
なんかすっきりした。まぁまだいい方の返答なのではないだろうか…

ほかの人には
「そうなんだー。苦しかったよね。大変だったよね。」

「そうなんだー」だけだったら、うん、もやもやもしなかった。
でも、勝手に僕の人生が不幸なように言われるのはしんどいし、僕がノンバイナリージェンダーでパンセクシャルであることが、まるで不利益なもののように扱われるのが、なんでてめぇにそんなこと気にしてもらわなならんのじゃとなってしまった。

あなた自身が決める

苦しいかどうか、嫌かどうか、そういうことを決められるのは自分だけだ。
ほかの人に勝手に推測されるのは気分が悪いし、変な同情をされるのは違う。

今でこそ、もやっとしたときに言葉で伝えたりできるようになった僕だけれど、変に気を遣われたり、まったく理解されないと、
「説明が悪かったのだろうか」「もっとデータに基づいていれば、よかったのだろうか」「そもそも、僕が感じたものは存在しないのだろうか」などとついつい考えてしまう癖はまだまだ抜けない。

だけど、何よりも気にしなければならないのは、
差別においての当事者はあくまであなたであるということ、その経験を開示するかどうかも僕たちの自由だ。
あなたの思いを言語化して、それらの言葉をどう使うか、その選択権が自分にあるのだと自覚することがまずは自分の権利を回復する第一歩ではないかと思う。

だから、いろんな人に会おう。偏見が自分にないなんて思えなくなる恥だから。
そして、違和感を感じたら、戦おう。
無理でもいいから「そのくらい自分で調べて」で会話を終わらせたっていい。


言葉によって傷つけられ、自信を失い、自らの経験に確信を持てなくなったら、それは、言葉によってしか、傷を癒し、自信を取り戻し、確信を持つことしかできない。

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