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好きだった福祉業界を離れ、独立。収入への不安を感じず独立できた理由に迫る

自分の心が望むものを仕事にしたい!誰もが一度は考えたことがあるのではないでしょうか。しかし、その考えにはいつも「収入」への不安がつきまとい、新しい一方を踏み出せない方も多いと思います。

今回取材したのは、ボーカリストとして活動しながらカフェも経営している楠元 なおこさん。前職は保育士だったという彼女は、退職してフリーランスになる際に「収入」に対しての不安は全くなかったそうです。

どうして不安を感じずに独立できたのか。その考えが生まれた前職時代からのお話を詳しく伺いました。

楠元 なおこ(くすもと なおこ):兵庫県出身。プロボーカリストとして20年あまり。関西を拠点にライブ活動を続けている。大学卒業後、公務員の保育士として障害児の療育施設に勤務。その後、フリーランスになり、ジャズボーカルを勉強。現在は障害者との関わりを続けながら、“心を癒す空間づくり”としてカフェも経営する異色のボーカリスト。

“好き”を大事にしたから辞めた

——まずは経歴を教えてください。

ジャズシンガーの楠元なおこです。現在はプロのボーカリストとして活動しながら、歌の講師やカフェ経営などもしています。

私はもともと子どもが大好きだったので、大学は教育系へ進みました。実習先の障害幼児療育施設で、自分の“好き”や保育への熱意が芽生え始め、大学卒業後は民間の療育施設に就職。その後、公務員試験を受けて、再び実習していた施設で保育士として約6年働きました。

保育士を退職した後は、デイサービスに勤めながら『ばななくらぶ』(障がい者、障がいを持ったこどもたちの余暇活動を目的とした団体)を立ち上げ、ジャズにも出会います。

デイサービスを退職した後は、資格を取得して、ばななくらぶの活動のなかで、障がい者の家庭教師・ガイドヘルパーのような仕事を個人で9年ほど続けていました。そして、2007年に『ハンキーパンキー食堂』をオープンさせました。

——なおこ先生(歌の生徒からの呼び名)を見ていると、本当に子どもが大好きなのが伝わってきます。どうしてそれほどまでに好きだった保育士を辞められたのですか?

子どもが大好きだからこそ、保育士として働けば働くほどに、理想と現実の狭間で苦しむ自分がいたからです。

当時、保育士は私の天職だと思っていたので、朝から晩まで脇目も振らず働いていました。休みの日は職場の先生たちも誘って沖縄でダイビングをしたり、北海道でスキーをしたり……プライベートもかなりアクティブだったと思います(笑)。

自分なりの保育への信念も強かったですね。相手は子どもなので、やはり子どもたちの成長にとってダメだと思うことはダメ。そこは、たとえ相手が誰であろうと譲れない。熱意に溢れていた私は、保育や業務でマンネリ化している部分に対しても、周りの先生と一緒に話し合いを重ねながら、どんどん改善していきました。

でも、保育士には異動や担当クラスの変更が頻繁にあるんです。「やっといい方向に変わってきた」と思っても、また最初からやり直しになることも多々。

どれだけ努力しても、結局変えられるのはこれだけなのか——。

燃え尽き症候群になった私は、しばらく悩み続けた末に退職を決断しました。

——退職は「好きだったからこそ」の決断だったんですね。当時、収入への不安はなかったのですか?

退職時は収入がなくなることより、やりたいことを失う不安のほうが大きかったです。

私には「こんな仕事はできない」と思うものがないので、いざとなればスーパーのレジ打ちやお皿洗いなどのバイトをしながら、1人で生活できるだけの収入は確保できると考えています。

そんなことよりも、“熱意”や“好き”が消えて心が空っぽになった自分を、どうしたらいいのか分からず不安でした。

「なぜあれほどに好きな仕事を辞めたのか。」
「今あの時に戻っても、おそらく同じ決断をしたのではないか。」
「これから自分は何をしたいのだろう。」

退職後は沖縄や北海道への一人旅を続けながら、非日常な環境でひたすら思い返しをしていたことを覚えています。

自分と向き合い続けた先に生まれた熱意

——燃え尽き症候群になった自分に対しての不安が消えたのはいつごろでしたか?

ばななくらぶとジャスに打ち込むうちに、自然に気持ちが前向きになっていきました。

不安が完全に消えたわけではありませんでしたが、また何かに熱くなったり、自分の“好き”が動き始めたりしたのが、ばななくらぶとジャズで過ごした時間だったと思います。

ばななくらぶは「障がい者の子たちのおけいこの場」のようなもので、みんなで一緒にハイキングやお料理教室などの体験に出かけながら、学校とは違う場所で楽しいことを見つけられるようにサポートしています。

立ち上げのきっかけとなったのは、障がい者の方が通うデイサービスでのできごと。みんなに「これからどこに行きたい?」と聞いても、誰からも返事がなかったんです。

彼らには、そもそも選択肢や経験がないために、行きたい・やってみたいという気持ちが生まれてこない。身体的な理由以外で諦めていることがあまりにも多いと、改めて痛感しました。

そこで、社会にある二次障害と呼ばれるものを取り除きたい気持ちと、障がい者のご家族の方々からのご要望もあって立ち上げたのがばななくらぶです。

——「行動を起こしてみよう」という気持ちが再び芽生え始めた瞬間だったのでしょうか?

そうですね。今振り返ると、自分と向き合うなかで見つけた“福祉への想い”が、初めて一つのかたちになったのがばななくらぶだったのかもしれません。

そして、ジャズを始めたのもちょうどその頃でした。

久しぶりに聴きに行ったライブで、チラッと見えた譜面に「え!?たった1枚で10分も歌っているの?」と衝撃を受けたんですよ。1枚の譜面から奏でられるメロディーの豊かさと、日によってテンポもリズムも違うジャズに魅了され、「今からでもできることを始めてみよう」と熱量を注ぎ始めました。

——プロを目指し始める年齢としては、決して若いとはいえない時期だったと思います。なぜ、それほどまでに熱量高くジャスに挑戦できたのですか?

まずは、純粋に“好き”という気持ちがあったから。

そして、自分を必要としてくれている障がい者の子たちに、「何歳になっても、どんな環境でも挑戦はできる」ことを身をもって証明したかった。「私は自殺しようとしても1人ではできない」などと悲観的なことを言う子に熱量を届けたかったからです。

デイサービスで6年ほど働いた時にふと、保育士時代から心の糧にしてきた詩の“自分が夢を持たずして、人に夢を語れるだろうか”という言葉を思い出して。

当時働いていたデイサービスもとても楽しかったのですが、そこでの仕事は自分じゃなくてもできるものだった。一度は夢や希望を忘れかけていたものの、ばななくらぶやジャズに出会って少しずつ熱量を取り戻し始めていた私は、「ここで自分の夢を追ってはいけない」と感じて離職を決断しました。

その時に「今度何かを始めた時は、自分が本当に必要とされている限り絶対に辞めないでいよう」と誓ったんです。今日までずっと継続してきたばななくらぶとジャズは、保育士を辞めて、自分に向き合い続けた末に出した決意の表れでもあります。

——やりたいこと・好きなことのために突き進むなかで、周りの人と自分を比較することはなかったですか?

これまでの自分の人生と比較することはありますが、他人との比較は考えもしなかったかな……。

周りとは働き方も収入も違うかもしれないけれど、それは私が選んだ人生なので後悔はしていませんし、誰とも比較できないものだと思っています。

誰にもできないことでお金をもらうために修行が必要なのと同じく、誰にでもできることでお金をもらうにも修行は必要です。私も退職後は資格を取得し、今でいうガイドヘルパーの仕事とばななくらぶを続けながら、ジャズにはありったけの時間・労力・お金を費やしてきました。

その修行期間を乗り越え、今も一生懸命に取り組んでいるのならば、周りがどうであろうと関係ない。たとえば、ジャズの場合も「音楽大学を出ていると箔が付く」という意見もあるかもしれませんが、私は自分と向き合い続けた結果、これだけの熱量を注ぎ続けているので、その是非は問えないと感じています。

本気でやろうと思えば、行動に移せる

——なおこ先生のビジョンを聞かせてください。

自分と向き合い続けた先にあったジャズは、私の中心にあるものなので、これからも続けていきたいです。そして、歌を通して自分を表現することに関しては、収入などには関係なく追求し続けたいと思っています。

歌を聴きに来てくださるお客さんや、一緒にライブをするミュージシャンの方は毎回違います。プロとして、たとえ今日上手く歌えたとしても、明日はそれに満足できず、さらに上を目指して努力し続けられる人でありたい。歌詞を覚えて歌える間は、最大限の熱量を注ぎながらがんばりたいですね。

また、保育士時代から培われてきた教えるスキル・コミュニケーションスキルを活かしながら、レッスンや講師業も継続していきます。人に教えるのが好きですし、私自身かなり紆余曲折の人生を送ってきたので(笑)。音楽だけをやってきた人とはまた違った教え方ができると思っています。

もちろん、ばななくらぶも必要とされる限り継続していきますよ!

——最後に、読者へメッセージをお願いします。

もし、今あなたが「好きを仕事にしたいけど収入に不安がある」「将来が見えないから怖い」と思っているのであれば、まだこだわりきれていない証なのかもしれません。

自分のやりたいことに対して熱い想いとビジョンがあるのならば、そこへたどり着くための選択肢はいくらでもあります。やりたいことに近づけるのであれば、修行期間の収入は、たとえ無給でもお小遣い程度でもいい。お金を出してでも修行したらいいと思っています。

また、やりたいこと以外のアルバイトなどで生計を立てながら、別の時間をやりたいことにあてて成長していく方法もひとつでしょう。本気でやろうと思うのならば、人それぞれのやり方でアクションを起こせばいいのです。

ただし、“好き”を貫くには、必ず迷いや孤独が伴いますし、絶対的な努力と圧倒的な時間も必要です。私も自分と何度も向き合い続け、歌にはほとんどのお給料と時間、労力を注いできました。

世の中には、何もしていないのに売れている人などいません。本気で“好き”や“やりたい”を仕事にしたいと思うなら、自分が何に不安を抱いているのか、なぜ躊躇してしまうのかをじっくり考えてみてください。まずは自己と向き合い、深掘りした先に見えてくるものがあるはずです。

みなさんが踏み出す一歩を応援しています!

〈取材・執筆・編集=おのまり(@onomari_kor)〉



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