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「正欲」

朝井リョウさんの「正欲」を読んだ。
今まで感じたことのない感覚になったので、感想を書こうと思う。物語の内容にがっつり触れることは書いてないけど、ネタバレ敏感な方は注意です。


前評判を聞いていたのでおそるおそる読み始めたらあっという間だった。びっくりした。読んでる間中、自分の中にあるものを掬い取って差し出されているような感覚だった。私がだれにも言ってこなかった、言っても伝わらなかったことが、文字にして目の前に立ち上がっていた。自分の中で息をひそめて煮詰めていた言葉が、本の中で動いている。

「共感」というとすわりが悪い。状況や感情の手触りは完璧に同じではないから。でも、自分が考えていたことと同じこと、ベクトルは違うけど根本が同じこと、または煮詰めてた言葉と全く同じものがそこにはあった。

改めて小説のすごさを思い知った。私が煮詰めているものとは、飛距離がちがう。物語に内包させることで、多くの人に届いて想像力を引き伸ばせる強さ。小説はすごい。そして、小説からこんな種類の安心感をもらったのは初めてかもしれない。

ネットでいろんな人の感想を読んでいると、衝撃を受けたという内容も多かった。私が受け取ったものは、衝撃というダメージの一種ではなく、心を落ち着かせてくれる安心感だった。自分の中にある"これら"と通じるものや人に出会えるなんて思ってもみなかったから、出会えた驚きと感慨があった。

中学生のころ、「受験生が人間失格を読むと死にたくなるらしい」ということを聞いて、暗くて辛くて救いようのない話だと敬遠してきた。病んでしまうような話なんだろうなと恐ろしかった。でも成人して、好きな作家さんたちが太宰を語るのを見て、思うところがあって読んでみた。そして、腑に落ちた。

幸せなときや、何かを頑張ってキラキラしているような人が読むと陰鬱な気持ちになるかもしれないけど、苦しみや悩みを抱えているときに読むと、救われる話なんだと思う。正欲もそういう本なのかもしれない。ポジティブじゃ寄り添えない痛みや苦しみは、確実にあるよなと思う。


私にとって「多様性」は、自分が過去に傷つけてきた人とか、今傷つけているのかもしれない人とか、これから傷つける可能性のある人たちのことをまとめて眉間にぐりぐり突きつけられているような感じなんだよ、ずっと、何年も。ひとはみな誰かを傷つけずには生きていけないという事実を突きつけられて、しんどいけど一生それと向き合っていくのが「多様性」だと思っている。見かける「多様性」にときどき違和感を抱くのは、その人たち自身はまるで誰も傷つけてない人として振る舞っているように見えるからかも。(あくまで見え方です)

と同時に、声を上げてきた人たちのおかげで享受している権利もある。

多くの人は、全方向すべてに向き合うことはできない。私もそうで、体力も知力も足りない。だから、自分の身近なところから、自分が誰かを傷つけた・傷つけている・傷つけるかもしれない可能性を頭に置きながら、考えて、行動に移すしかない。

あーしんどい。それでも諦められない。できるだけ傷つけたくないし、誰かを踏みつけて何も見ずに生きるのはもっとしんどい。見ないフリできるほど神経鈍くもないし、割り切れるわけでもない。

だから、多様性は一生の課題として向き合うしかない。


この小説に気持ちを掬いとってもらえて、何かに期待しそうになっちゃったよ。そういうものは、すりつぶすようにしてきたのにな。とりあえずできることから。まずは自分の健康をどうにかしようと思います。

以上、初めての読後感だったので記録でした。


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