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夜空に浮かぶ一等星

Aという集団がある。その中からαを選び出す。
その母集団Aの範囲を広げても、狭めても、おそらく私はαを選ぶだろう。

たとえばこうである。
私はエビがこの上なく好きだ。寿司ネタはエビが最後と決まっている。
母集団を”食材”としても、”海鮮”としても、”甲殻類”としても、どの範囲をとっても一番好きなものを尋ねられたらエビを選ぶ。

人の好みとは何だろうとずっと考えている。
残念ながらこの記事を最後まで読んでいただいてもオチはない。

ある日、書店に行った時、私は1冊の新刊を手に取った。事前情報はまるでなく、本当にただブラブラしていたのだが、手に取った瞬間にほぼ買うことを決めたのである。

異性に関してもそうだ。
高学歴・高収入、まるで気にしない。気にしないどころかどうでも良い。
ただし、学歴はどうであれ頭の回転が速い人が良い。
私は人に養ってもらうという選択肢を持っていないし、ほどほどに生活できれば良いので収入も別に気にならない。なんなら自分が働けばいいと思っている。
容姿の好みはある。だが、その人が素敵であれば容姿が好みでなくて良い。
そして"この人"というのは何となくピンとくる感じがする。

そんなふうに、人の好みというのは誰に教わるわけでもなく、そして”好き”には理由がない。

エビが美味しいとか、食感が良いとか、良い思い出があるとか、後出しで理由付けをすることはできるが、そこには本人が明確に認識している理由はないのではないか。
天井近くまで陳列された無数の本の中から、なぜそれが目に留まるのか、数多いる異性の中で、なぜその人に惹かれるのか、私にはまるでわからない。
ただ、真っ暗な夜空に浮かぶ一等星のように、私にはそのモノが、その人が、光って見える。

大事なのでもう一度書きます。オチはありません。

私にはその人が一等星に見える。
ただ、それだけだ。

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