ブリリアントな彼もしくは彼女
ダイヤモンドが最も美しく輝くのはブリリアントカットである。
カットは、4Cと呼ばれるダイヤモンドの評価基準、カラット、カラー、クラリティ、カット(CARAT, COLOR, CLARITY, CUT)のうち、最も重視される。カットが悪ければダイヤモンドは輝かない。
面(ファセット)は、それぞれの位置に応じて、表面積、長さ、深さが数学的に定義され、それに従った良いカットはダイヤモンドが受けた光を正確に上向きに返し、私たちの目を楽しませる。
そのためのファセット数は、なんと58ある。
YouTubeのある動画を観ていて、そのことを思い出した。
出演しているその人を、便宜上「彼」と呼ぶことにする。お好みで「彼女」と読み替えていただいてもかまわない。
その動画を初めて視聴したのは1年ちょっと前になるが、久しぶりに視聴してみて、その時とは少し違う印象を抱いた。
当時はその動画の彼が彼の唯一の像であったのが、今ではその映像に映る彼は、彼が持つ1つのファセットにすぎないということに気づく。
初めて視聴した時よりも、もう少し彼を知ったからだ。
その一方で、彼を知る人から聞く彼の人となりは一貫している。
ちょっとした矛盾である。
人は様々な面を持つ、けれど誰もがその人に抱く印象は似たようなもなのだ。
ファセットのひとつひとつに、その人のコアが内包されるのか、それともコアは常に表出されていて、ファセットはその周辺を漂っているものにしかすぎないのか。
私が「コア」と呼んだその人の中心的な像も、もしかすると別のファセットかもしれず、結局私は彼のことも、周りの一切の人のことも、知っているようで何も知らないのだ。
いわんや、自分自身にさえ、自分の知らないファセットがあるかもしれない。
その動画の中で、彼は何だかとても頑張っているように見えた。
あの時は、その動画の彼が「彼」そのものであったのに、今は彼の別の一面を見ているような気がする。もし私が彼の友人であったなら、「なんか別人みたいじゃーん」と冷やかし、「にしても頑張ったよね」と労うかもしれない。
この1年ちょっとの間で、人に対する印象とはこうも変わるものかと感心する。
彼は、もはやダイヤの原石というような年齢ではない。
美しく磨かれた面もあれば、まだ磨かれていない面もある。
私の知らないファセットはまだまだ存在する。
とても素敵だ。
また1年後に、彼もしくは彼女がどんな光を放っているのか、私は楽しみだ。