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人生最期に纏う香り

アクセサリーと香水について書いたその日の夜、私はふとこんなことを思った。

人生の最期を迎える時、私はどんな香りに包まれたいだろうか。

なぜかその時、最期を共にするのは、キラキラ輝くダイヤモンドや情熱的なルビーを配したジュエリーではなく、香りだと思ったのだ。

さて、どんな香りを選ぼう。
森や草原や海、花、果実、そういった自然が放つ香りは大好きだが、思い浮かんだのは自然の香りではなく人工的な香り、つまり香水だった。

No.5は好きだ。でも華やかすぎる。
クロエは好きだ。でもありきたり。
ブルガリブルーやサムライやCK-one、やっぱり違う。
ディプティック、ラルチザン、ジョーマローン、ゲラン、シャネル、ディオール、エルメス…すべて違う。
メインストリームからニッチフレグランスまで、ありとあらゆる知っている香りを思い出す。

思い出と結びついている香りは、アリュールオムだ。1-24鈴虫もそうかもしれない。ジャドールは人ではなく体験と結びついている。
ただ、これらの”思い出と結びついた香り”を最期に纏いたいという感じはしない。

もし、今、最期に纏う香りを選ぶとしたら、サノマ『3-17早蕨』のような気がする。できることなら、棺の中にじゃぶじゃぶと早蕨を注いでほしい。
(ただし、アルコールは飛ばしておいた方がよさそうである。)

『4-10乙女』と迷うところはあるが、乙女は私をドキドキさせたり切なくさせたりして、感情に切り込んでくる香りなので少し違う。
早蕨の静けさ・清潔さが気持ちをニュートラルしてくれる、そんなところが人生の最期に相応しいのではないかという気がする。

多分、それだけではない。

早蕨の香りが特定の記憶と結びついているわけではないから、嗅いでも何かを思い出すことはない。
しかし、その香りは感情的な”何か”と結びついていて、その正体は当の本人もまだわからない。
そして、この先、早蕨と私の関係がどう変化するのかもわからない。

さて、なぜこんなことを記事にしたのか、お気づきの方がいらっしゃるだろうか。
この記事が投稿されるのは3月17日、『早蕨デー』である。
私はこれから人生初の香水の”おかわり”をする。
2本目の早蕨が私の生まれ変わりを歓迎してくれるようだ。

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