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彼の小さな優しい嘘

ガウディ展の帰り、丸の内に立ち寄るつもりだった私は、最寄りの竹橋から大手町までひと駅乗るつもりだった。
ヘルパーさんの1人が素敵な提案をした。

大手町って、将門候の首塚がありますよね。

以前から首塚には行ってみたかったのでその提案にのり、お堀に沿って徒歩で行ってみることにした。
曇りがちの空に、風が吹いて、百日紅からはハラハラと葉が落ちていた。


昨年の秋、知人のお母様がお体を悪くされ、に若干介護が必要になったとの話をnoteで知った。
どうされたのかと尋ねると、ヘルニアで手術すべきどうか迷うところだという。
転ばないように気をつけて差し上げるようにと伝えたが、私には少しだけ違和感のようなものが残った。

それからしばらくして、症状が改善するであろう頃に、彼女の体調を再び尋ねると、彼からの返信はなかった。

改修された将門候の首塚は、以前Googleストリートビューで見た鬱蒼とした森のイメージはなく、スロープが設置され、白い玉砂利が敷かれており、お参りのために人が通る所のみ白い石畳みが敷かれていて、全体的に明るい雰囲気となっていた。
「祟る」という都市伝説がまるでなかったかのような、しかし、大都会のビル群の中で、そこだけ観光地がポンと現れたような不思議な空間である。

お母様の様子を伺う前に読んだ、彼のnoteのある記事がずっと気になっていた。
数年前から、彼のお母様は大きな決断か、決意か、何かしら腹を括らねばならない状態にあるようだった。
彼からの返信がなかった時、そのnoteが思い出され、私が想像したふたつのことのうちひとつが当たってしまったのかもしれないと思った。

その答え合わせは、最初にお母様の様子を聞いた数ヶ月後のことだった。
ヘルニアよりはるかに深刻な病で、お母様の余命はもういくばくかであった。

彼は私に小さな嘘をついていた。


嘘ではなかったのかもしれない。
その深刻な病がヘルニアを引き起こしていたのかもしれない。
嘘だったにしても、人に言いたくなかっただけかもしれないし、彼自身がそのことから目を背けたかったのかもしれないし、さほど親しくもない私への社交辞令的な態度だったのかもしれない。
いずれにしても、私はそれを「優しい小さな嘘」と名付けて、今までそっとしまっていた。

それからまもなく、お母様は桜の花と共に天に召された。


将門候の首塚は、墓ではないものの、墓碑のようなものが建てられている。
将門候は一方では神として祀られていても、ここは神社のように願掛けをする場所ではない。
が、しかし、この場所で思わず願掛けをしてしまった失礼を、将門候なら許してくださるだろう。

手を合わせ、そして私たちは無機質なビル群を仰ぎ見ながら、次の目的地に向かった。
曇り空の隙間には僅かに青空があり、風はほんの少しだけ冷たさを含んでいた。

私に小さな優しい嘘をついた彼が、ずっと幸せでありますように。


将門候は何も言わず、静かに佇んでいた。

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