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〇〇監修の…

よくある「誰々監修の何々」という商品。
いつもならふーんとしか思わないのだが、今回はちょっと気になってしまった。

ある著名人が、あるブランドのあるプロダクトを監修する。
その著名人がそのプロダクトについて深い知見を持っていれば、おそらく私は気にも留めなかった。
いや、私が知らないだけで、その人には非常に多くの知識や経験があるのかもしれない。
しかし、どうもそうは見えないので、名目上の”監修”だろうと判断した。
少なくとも、その分野に関して監修が出来るほどの知識や経験を持っているならば、その人はその分野で名を上げているだろう。


つまりはプロモーションの一環である。そして、その人の名前が入ることでそのプロダクトは”売れる”のだ。


そのプロダクトは、監修者が恥をかかないような程度のクオリティで作るだろう。といっても、当該ブランドが抱えるプロダクトのほんの一部門、開発に数年を費やしているとは思えない。開発費用の大半は"監修者"であり"広告塔"であるその人のギャラに消えるだろう。
おそらくは期間限定品、長くマーケットに残る商品ではない。文字通り”恥をかかないような程度”であり、”その程度”のクオリティであると思う。

こういった時に思うのは、現場で商品開発を担う人達のことだ。
一定期間だけ売れれば良いという、いわば”使い捨て”のプロダクト開発に携わる人は、こういう売り方をどう思うのだろう。
作り手は、自分の作ったものを、長く愛してもらいたいと思うものではないのだろうか。
フリマアプリで一時は高値で取引されるかもしれない。しかし、いずれ投げ売りされてしまう未来を、作り手はどうみるのだろうか。

世の中に様々なプロダクトがあって良いし、それは否定しない。
だが、その裏で命がけで頑張っている人たちを想像すると、こんな企画や売り方をされることが少し寂しく思える。
こういうモノの売り方は果たしてブランドにとって良いことなのだろうか。


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