君はこんなものを仕事にするのか
今月も何とか給料が払えた。
2015年創業して、売上も仕事内容も変わりつつあるが、毎月、給料日は今月もちゃんと払えるのか、不安になる。
それでももう4年を超えて5年目に突入している。売上の桁が変わってもやることは同じだ。
会社設立当時は
こんな子供の幼稚なもので、商売になると?稼げると思っているのか?
大の大人が情けない。
そんな言葉しか聞かなかった。
容赦ない言葉を突き刺してくるのは、得てして肉親だ。肉をえぐって、掻き毟ってくる。
そりゃそうだ。全く関係もなければ、あら、それは大変ね。とか、面白そうね、頑張って。とも言えば、何とかその場の私との体裁は保たれる。
肉親や血縁者だからこそ、言わずにはおれないのだ。
だからこそ厳しく、激しい非難が私に集中する。
もういっそのこと、死のうかと思ったことが、何度もあった。
その日は出張を入れていた。資金繰の旅だ。
今日金策が立たなければこのホテルの吹き抜けから飛び降りるしかない。
溶けかけた氷上の上にいて、もはや氷は透明になりかけている。
そしてその金策は失敗した。
ホテルに戻って好きだったタバコを吸ったら、飛び降りよう。なんて人生だ。
順調だった人生を何故棒にふったのか。
私は大馬鹿野郎だ。もっと上手くいくはずだった。本当にこんなことになるとは夢にも思わなかった。
色んなことが思い出されて、小学生の頃の記憶や、大学卒業して入社した会社での新入社員の時の失敗など、思い出しては悲しくなり、ああ、私は思えばずっとこうだったのかなぁ、誰も幸せにできなかったんだなぁ。と、ホテルの客室に戻って両親に何か書くか、何時に死のうかと思っていた矢先、お客様からのアンケートの山がふと目に入った。
その頃は金策で走り回っていて、お客様アンケートどころではなかった。
夢中で読んだ。全て目を通した。
悪い事を書いている人は誰一人いなかった。
それどころか、熱烈なラブコールが山のようにあった。
完全に間違えている訳じゃない。
きっと何かが間違えているだけだ。
荷物を詰めて急いで戻ろう。
まだ出来ることがあるはずだと思い返したことが、いつも脳裏から離れない。
でも、年月は過ぎたが大なり小なり、今ともさほど変わらない。心配のネタも悩みの種も根本は変わってない。ただ、心臓に毛が生えてびくともしなくなっただけだ。
私は無能な経営者だ。
なのに何故、ベンチャー経営者、いや、もっと現実的に言えば零細企業の経営者を続けるのだろう。
厳しい言葉で罵られることには慣れてはいるが、厳しい言葉を私に吐かなくてはならない親族や関係者は、たまったもんじゃないし、そこが分からないのだろう。
会社たたみなよ。雇ってあげるよと言って頂きもした。
喉から手が出るような金額で、買収話も全くなかった訳ではない。
なのに。
私にも正直分からない。
別に社長になりたかったわけではない。
自由が欲しかったわけでもない。
この会社には何かがある。
そう思った。私にしか出来ない。
まだこの世にないものを生み出したかった。
まだこの世にないものを生み出せる気がする。
ただその一点だった。
それでも
きっと私は経営者に向いてないだろう。
ただ、この世にないものを作りたい。
そんな気持ちただそれだけで私は人生と家族を崖っぷちに立たせているのかもしれない。
新しいサービス、その運営会社はここにある。
まだ、産声を上げて、なんとかヨチヨチ歩きを始めたベイビーは、多くの期待と様々な問題を孕んで膨張を始めたところだ。
答えはまだ先にある。
株式会社グレイス
会社の生い立ちを聞かれることが増えたので、シリーズで書いていこうと思う。
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