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探求 第2章(できません編(3))

6個のケーキがちょうど収まる箱を考えよう。

その箱にケーキを詰めていくと、なぜか1個どうしても収まらない。このとき人は、「箱のサイズを間違えた(小さすぎた)」といい、作り直すだろう。

ここでこれまでの「6個」という言葉の使い方は実は間違いで、この状態(「5個」のケーキが箱に収まっている)が実は「ケーキが6個」というのであり、だから今、6個はぴったり収まっている、などとは言わない。

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もしもこれを許容するなら、「1個余る」「ぴったり収まる」といった語の理解を同時に変更しなくてはならず、つまりあらゆる語の理解が連鎖的に変更される必要があり、その時点で言葉は何も意味しなくなるだろう。

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朝起きたとき、空が完璧な黄色だったとしよう。

おそらくほとんどの人は、自分の眼がどうかしてしまったと疑うだろう。あるいはSF映画のように、上空にとてつもない異変が起きていると考えるかもしれない。

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「自分のこれまでの記憶にある空の色が実は青でなく黄色だったのかもしれない(だから実は何も変わっていない)」とか「「黄色」という語の意味が実は「青」だったのかもしれない」などと検討することはない。

検討しないばかりか、そのような検討は「できない」

この「できなさ」は一見すると、変更の影響の大きさを勘案して判断されているように思える。

例えば眼の異常を疑うのならば、それは自分一人の問題であり、上空の異常を疑うのであれば、この空の下にいる人達の範囲で収まる異常だ。より影響が小さい修正が、より良い仮説と言えるだろう。云々。

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しかし「自分のこれまでの記憶にある空の色が実は青でなく黄色だったのかもしれない」といった類いの検討を一度許せば、他のあらゆる物事も連鎖的に再検討しなくてはならない。

これは「影響が大きすぎる」のでなく、影響の大きさを推し量ること自体がもうできなくなるということだ。

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仮に、あらゆる数学的規則の決定権があなたにあり、規則の変更が一瞬で全世界に伝わるようになっていて、また人々はその変更を直ちに適用できる能力をもっていると考えてみよう。

このような世界で数学を改訂するコストは非常に小さい。ただ、あなたの裁量しだいだ。

しかしそれでもなお、あなたは規則の変更をけっして決断できないだろう。

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だからわれわれの世界をかたちづくる規則の一部には、変更の影響度やコストパフォーマンスでは決して計れない、改訂不可能な領域があるのだと、言わざるを得ない。

それは、ちょうどジェンガで遊ぶように、取り去ると連鎖的にすべてが瓦解するため、そうっとしておくしかないものだ。

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