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探求 第2章(できません編(4))
言語を、建築物の比喩で考えることには、それなりのメリットがある。
1. 互いに支え合っている。
2. 一つ取り去っても崩壊はしないが、取り去りすぎると崩壊する。
3. 梁は互いに同等ではない(より重要なものとそうでないものがある)
4. 基礎とその上位構造の区別がある
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しかし、建物の比喩がもたらす根本的な混乱も存在する。
建物は基礎から順に積み上げられていく。望めば、建築途中の様子を見学することだってできる。
しかしあなたは、自分が5歳の時の言葉の習得状況を、いま思い出せるだろうか。
様々な言葉をまだ知らなかった時のことを、すでに知ってしまっている今の状態から想像などできない。
それは「その言葉をもし知らなかったら」という、言葉を知った上での仮定のことであって、本当に知らなかった状態のことではない。
しかしだからといって「では人は「いつ」母国語の習得を終了したのか」と問うてはならない。
なぜなら母国語の習得に「いつ」も「昨日」も「明日」もないからだ。
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母国語は、それがひとたびそれぞれの人に与えられたなら、全体が一度に、完全に、あますところなく、与えられているしかない。
中間の状態はあり得ない。これが建築物と言語の最も大きな違いだ。
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ここで一足飛びに「なぜ中間はあり得ないのか」と問うのも時期尚早だ。(これの扱いは繊細で罠も多く、答えるのはたぶん非常に難しい)
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われわれの世界は、様々な「できなさ」「あり得なさ」を抱えている。
・光速よりも速く移動できない
・定規とコンパスで角の三等分は作図できない
・P=NP問題を解けない
・明日打ち合わせできない
・100mを2秒で走れない
なぜ、と問う前に、まずこの「できなさ」の身分を明確にしなくてはならない。
われわれがすべきことは、「なぜ」への答えでなく、「とは何か」への定義ではなく、それぞれの「できなさ」「あり得なさ」の正体を明確にすることだ。重要なのは透明性で、必要なのは明晰性だ。
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