綿飴

手の中でネットの海を泳ぎ回ることも
どんなに遠く離れた人と会話をすることも
手軽になった。

そんなインスタントな生活に囲まれてるからこそ、その選択肢の中で自分に肉付けできた掬いとれたものはなにか。手から溢れ落ちることがなかった何かは、これが自分だってどんな形で自信に変わったのだろう。

仕事とか恋とか言い訳して、さらに手軽さ故に後回しにして、理想の自分に近づけてないこと、私が私を諦めかけて“自分”を生きられていないことが何より悔しかった。

「理想の自分になれていない」にしなかったのは頑張った自分を全部否定したくないから。
自分を守れるのは自分だけなのを知った。

有難いことに私には心強い味方も沢山いる。
でも、人生だから孤独を引き連れて、たった1人で何かに立ち向かう日もこれからきっと悲しいことに数えきれないほどあるだろう。
独りきりの夜に飛び込んでしまうかもしれない。
どんなに見られていなかったとしても認められなくても、色濃く染まった時間を一分一秒逃さず知ってるのは自分だけ。
だからこそ、1番近くにいる自分自身で完璧ではない自分でも認めて受け入れることにした。
勿論、理想に近づいた私は受け入れるどころか、褒めまくって抱きしめてしまうかもしれない。
きっと最高で最強なので。
パワー


今日も日本の何処かしらで時間は平等って誰かがきっと言っている気がする。
私は私の手札で、私だけの時間を鷲掴んで、何処にでも飛べるように羽の一本でも生やしてみようと決めた。

きっと飛んでも地面ばかりが近くて、いつも遠くにある空を眺めてばかりの苦しい日々が続くかもしれない。
既に、自分の価値とか立ち位置とかどうでもよくなって、辛くて悲しくて全て投げ出したくなる瞬間なんて幾らでもあった。
実際折れたこともあった。

でも、目の前の手応えやいっぱいの心で感じる重さだけが全てじゃないことをもう20年以上生きてきてほんの少しだけど、わかってきた気がする。
まだ、自分で自分のことを諦めたくない。
自分自身の言葉を紡ぐことに最近は目を背けてしまっていたけど、また小さい歩幅で歩み寄る。

手軽な中で得た、軽くて甘い綿飴のようなご褒美が気がつかない間に手に乗っていたらそれでいい。
そんなご褒美で今は充分。
私は私を生きていく。
いつか出会うふわふわの砂糖を目指して。

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