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モテる人モテない人

自分はモテない。。。そんな風に思う人多くいるがそんな事はない。今回はモテるという事に焦点を当て、個人的見解を綴って参りたい。読み終わったあなたはモテている、、、かもしれない。

「モテる」とは?

まず「モテる」とはどういう事だろうと考えてみた事はあるだろうか?広辞苑には【異性などに大いに好かれ人気がある事】とある。ではその「大いに」とはどの程度を指すのだろうか?これは個人の匙加減によるものである。まず前提として知って欲しい事は「モテる」という概念が曖昧である事。例えば知り合いの異性全員から交際を申し込まれたらモテていると称されるかもしれない。ただその知り合いがたった2人だけならイメージも変わる。もらったプレゼントの数でも何個からが「モテ」で何個以下から「非モテ」になるのか誰も明確にすることは出来ない。言ってしまえばモテるというのはイメージ象であり、そこに存在する事象ではない。
育った環境や見て来た恋愛像が育んだ感覚のみで私達は「モテ」を理解している。

男女で違う「モテ」

モテるが曖昧な物である性質上、男女差もなかなかに見て取れる。例えば男性では性行為可能な女性が複数人いる状態を指す事が多く、女性は所謂イケメンが数人で自分を取り合うような状態をイメージするのだという。もちろん個人でも差があり、プレゼントの数、経験人数、単純に容姿のみ、と様々だが大きくカテゴライズすると肉体的、感情的、物欲的、の3つの「モテ」があるのだろうと思う。

意識の改革

モテるというのは都合の良い人間が周りにたくさんいる状況を指す事ではない。ましてや「非モテ」なんていう言葉は悪意のあるナイフのような言葉である。モテたくてしかたない人の行動を見ていると「他人よりも優れていたい」という自己顕示欲が透けて見え、実際に多くの人を魅了する言動とは逆だという事が分かる。大切なのは意識の問題。誰彼かまわずに色恋を仕掛けるのは外見上「モテ」としても逆なのである。
そもそも生まれた時点で両親から「モテ」ている状態である。少し暴論ではあるが誰しもがどこかで「モテ」を体験しているという事。「モテ」への道はそれをまず意識する事から始まる。謙遜する事も時に美しいが自分は非モテだと宣言し「そんな事ないよー」の言葉を待つような行為は愚の骨頂。モテる人は総じて「自分は誰かから愛される」という前向きな自信がある。

モテる人

容姿端麗であれば色んな異性が魅了される。がそんな人が性欲物欲丸出しで社会的道徳を拒否するような人ならばどうだろうか?「ただしイケメンに限る」という言葉がある。確かに容姿端麗な者は有利ではあるが自己分析をしっかりして適切に行動できる知性が必要だという意味で見れば正しい言葉である。例えば意中の人にプレゼントを貰ったら嬉しいが、見ず知らずの人にプレゼントを突然渡されても恐怖が勝る。容姿は確かに有利に働くが、相手との距離感を理解する事の方が重要である。
ただしイケメンに限るの真意は、容姿が良いからモテるのではなく、自己分析がしっかり出来た言動がモテる事につながり、その人の容姿が良かった、もしくは良く感じたという事である。「モテ」は容姿以外の要素の方が強いのだ。もちろん自分磨きをする事は大切な要素だ。だが、着る洋服の値段で誰かを見下したり、「ダサい」という感性の押し付けをするような人は「モテ」とは縁のない人だろう。自分磨きは字の通り、自分を磨き上げより良くするための手段である。磨いている過程で「あの人よりはマシ」と誰かと比べるようであればその磨き方は間違いである。

モテる人の特徴

ただ貞操が軽いだけの人、資産をアピールするだけの人、愛する一人をただ選べない人。一見モテる人が良く分析してみるとこういった人だったりする。もう一度「モテる」事の意識を見直して自分磨きを続けて欲しい。最後にモテる人の特徴を箇条書きにして終わりたい。

  • 老若男女全ての人に優しく、争いを好まない

  • 好きな物はしっかりあるが、それ以外の物への適応力がある(ブランドにこだわらない、どんな物も美味しく食べられる等)

  • 適度に謙遜はするが基本的には「ありがとう」と返す

  • 自分を卑下しない

  • 過去の話ではなく未来の話題が多い

  • 全ての行動の理念は「自分がしたいから」であり、見返りを求めない

  • YESとNOがはっきりしている

  • 自分がモテているという自覚はあまりない

  • 仕事の話はあまりしない

単純にこの箇条書き通りにしてもモテるとは限らないがモテる人には多く見られる特徴ではある。冒頭にも書いたがモテる事は存在し得ぬイメージ象であり、都合の良い人間をはべらかせるという事ではない。
相手を思いやり、正しくいようとする心がモテの真理なのである。

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