【人生を変える名作】「イントゥ・ザ・ワイルド」観る時期によって感じ方が変わる映画 感想・分析
こんにちは。グルメピエロ@ホームです。
NY在住、映像の仕事をしています。おうち時間で見た映画について感想を書く第6弾!! 今回も感想や分析を書いていこうと思います。
※以下ネタバレ含むのでご注意ください
今回は映画「イントゥ・ザ・ワイルド」。実話を元にした小説「荒野へ」を下敷きにした作品で、2008年にアカデミー賞にも部門別でノミネートもされた名作。
実家に帰ればDVDもサウンドトラックもあるが、アメリカには持ってこなかった作品。こちらのネットフリックスで最近配信されるようになったので、2年ぶりくらいに観た。これまでに少なくとも30回、好きなシーンだけ見返したりしたの入れたら多分50回くらい観ている映画。久しぶりに観たけど、セリフを英語でも言えるくらい覚えていた。
僕にとっては人生を変えてくれた映画。この映画との出会いがなければ、きっと違う人生になっていた。そのくらい大きな存在。ただ、今回はあることに気づいた。人生で初めてこの映画を観た大学1年生の頃と違う感じ方をしていたのだ。観る時期によって視点の変化を楽しめる映画。今回は僕の思い出も織り交ぜつつ、この映画を振り返っていこうと思う。
あらすじ
裕福な家庭に生まれ物質的に恵まれた環境で育ったクリス。学業もハーバード大学の大学院へ入れるほど優秀で明るい将来が約束されていた。しかし、生き方や社会に疑問を持ち、家族も金も全て投げ出し独りアラスカの荒野を目指す。
予告編
人生を大きく変えた
映画について分析する前に、この映画が僕の人生にどう影響したのか書こうと思う。初めて観たのは大学1年生の秋ごろ。周りに馴染めず、つまらない日々を送っていた。停滞する生活の中、「自分は何のために生きているんだろう・・・」と自問自答することすらやめ、ロクに大学にも通わずにTSUTAYAと家を行き来して映画を借りて観たり、音楽を聞いたり、毎日代わり映えのしない生活を送っていた。そんな中、いつもレンタル中になっていた作品があった。それが「イントゥ・ザ・ワイルド」だ。白く雪化粧した山脈をバックに、バスの屋根に座って遠くを見つめる青年の横顔が印象的ですごく興味を惹かれた。今思うと、あれだけ心が死んでいて、観る映画といえば馬鹿みたいなSF作品やホラーばっかりだったので、なぜ興味を惹かれたのかわからない。ただ、「あ、またないなー」と行くたびに毎回チェックをしていた。初めて作品を知ってから1ヶ月くらいがたった頃、やっとレンタル出来た。
急いで家に帰り、小さなパソコンで観た。DVDの読み込みはうるさく、スピーカーがしょぼくてカスカスの音しか出なかったのに、涙が止まらなかった。作品の素晴らしさもあったが、何より何もせず停滞していた自分への不甲斐なさ・悔しさを感じた。「何かを始めなくては」変わらなくてはいけないと感じた。
別に旅じゃなきゃいけない訳ではなかった。それでもここにいてはダメだと思い旅に出た。劇中の主人公クリスの言葉が何度も蘇る。
人生において必要なのは、実際の強さより強いと感じる心だ。一度は自分を試すこと。一度は太古の人間のような環境に身を置くこと。自分の頭と手しか頼れない苛酷な状況に一人で立ち向かうこと。
海外にも行った。国内をヒッチハイクして回ったりもした。旅をする中、自分がなぜ旅をしているのか、なぜ生きているのか考えた。その時も彼の言葉が自分に問いかけてきた。
愛よりも金よりも名声よりも真理が欲しい
ソローを引用したセリフだ。旅をしても「何か」が見えて来ない僕に常につきまとってきたセリフ。哲学の本を読んでみたりもした。余計わからなくなった。ただ、旅する過程でいろいろな思いも出てきた。その思いを映画にまとめてみた。それがとても楽しかった。何だか生きている気がした。
映画へ進んだり、今の仕事についた過程はまたの機会に書くとしても、いまこの地点にいる理由を紐解いた原点にいるのはこの作品だ。この出会いがなければ部屋に引きこもっていたかもしれない。僕にとって本当に大きな作品なのだ。
原作や引用される小説は今も手元にある。
観る時期によって感じ方が変わる
人生を大きく変えるほどの出会い。僕はこの映画にとても心を打たれた。そして、当時は崇拝すらしていたと思う。クリスを神のように尊く敬っていた。この考え方で叔母と一度口論になったことがある。叔母は父や母と違い、幼い頃から僕の感覚を割と理解してくれていた。親族の中では1番信頼している人物だ。その人と意見が真っ向からぶつかった。叔母はクリスの生き方を良しとしなかった。人は人との繋がりの中で生きるもので繋がりを捨てて生きることは信じられないと言った。僕は正直なところ、19歳の当時、映画のラストシーンの1つ前、死際のクリスがメモをする言葉を理解していなかった。
幸福が現実となるのはそれを誰かと分かち合ったときだ
(Happiness is only real when shared)
ラストシーン
想像の世界。笑顔で家族のもとへ帰るクリス。抱擁を交わすと太陽は急に隠れていく。
現実の世界。「もし笑顔で家族の元へ帰ったならば、今みているこの景色は見えていただろうか?」と締めくくる。
僕はこのシーン、彼が最後にたどり着いたであろう「真理」、そうしたものを求めていた。ただ、彼がその前に書き記した「幸福が現実となるのはそれを誰かと分かち合ったときだ」という言葉もまた「真理」であると思う。酸いも甘いも噛み分けた叔母にとっては、僕の求めた行為は経験積みで、「幸福が現実になるのは・・・」の部分を経験則から分かっていた。それも含めて叔母の地点からはこの映画のクリスの行動は受け入れられないという決断になったのだろう。
そして初めて映画を見てから10年以上たった今の僕はどうか。結婚して家族ができた。「幸福が現実となるのはそれを誰かと分かち合ったときだ」というあの時わからなかった言葉の意味も今では良くわかるようになってきた。全てを捨てていく不器用さを見て、もう少し上手くできないかともどかしくも感じた。きっとこれは僕が大人になったからだろう。ただ、同時に感じたのは、19歳の自分が感じた衝動や強い思いを今抱えていない自分への危機感。こうやって僕は再び鈍感になっていってしまうのか・・・
成長と同時に映画を観るて自分の今の位置を確認する。こんな見方ができる映画はそうないと思う。
呼吸するカメラ
構造を分析するには主観が入りすぎているので、、今回は撮影と編集に注目する。この映画では、いろいろな撮影と編集が試されている。特に好きなのは旅するクリスと共に歩みを進めるカメラ、弱りゆくクリスを捉え追うカメラ。呼吸するかのごとく撮影がされている。終盤、弱りゆくクリスは動き回れない。彼に代わってカメラが彼が欲しいものをズームする。観客はクリスを観ているが、弱っているクリスの目線にもなっているのだ。そして、最後のシーン、息を引き取ったクリスの横顔を捉えているが少しズームアウトする。なぜだろう。これまでクリスの目線で物事を展開してきたのに。命が無くなったから少し距離をとって物として観る必要があったからだろうか。あのカットにはとても意味を感じた。
感想
この映画は若ければ若いほど影響を受けると思います。ただ、僕の見方に変化があったように、人生の過程で何度見てもいい映画だと思います。その度に、視点の違いを家族や友人と話してみるのも楽しいと思います。
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