いつもがある、あたりまえがあること
過去のnoteで、これまでに出逢った方々の人数のお話しをした。
当時の概算で行けば2,000人以上、今では四捨五入で3,000人近いご縁をいただいていると思う。
今回はそのなかでも特に自分に大きな影響を与えてくれたある後輩のお話しをちょっとだけ。
価値観の形成期
今回登場するある後輩は、もし出逢っていなければ、今の自分はないと断言できるほど大きな影響を与えてくれた人。
彼女との生い立ちは似ていなかったけれど、お互いの境遇や価値観、距離感になんとなく心地よさを感じて親しくなった。でも別に先輩-後輩の関係に過ぎず、それ以上でも以下でもなかった。様々な肩書や立場に囚われながら日々を駆け抜けていた自分にとって、社会的なものをすべてを脱ぎ捨てて生身で話ができる環境が心地よかった気がする。
そんな彼女とは抽象的な話をしてばかりだった。
今となっては思い出せるものも多くはないけれど、高校生という価値観の形成期真っただ中だった自分にとって、彼女との時間が唯一無二の時間だったことは間違いない。
そして彼女との話のなかでひとつだけはっきりと覚えていることがある。
それが今回のお話し。
「幸せ」とは
これは自分が高校3年の夏の面接でもらった問い。
高校3年の自分には難しくて、満足に答えることができなかった。
学校に戻ってからも一人で悶々と考え、ふとしたタイミングで彼女なりの「幸せ」を聞いた。
彼女らしい答えだな、と納得しつつ、とても大切なものをもらった気がした。
「幸せ」と聞かれるとどうしても大きなものとか、なにかで測る/計ることのできるものを探してしまう。でも本当に大切なものは目に見えない。
そしてあたりまえのように日常に転がっていて、自分が気づかずに通り過ぎているだけのモノだったりする。「幸せじゃない」のではなく、幸せに「気づけていない」、ただそれだけのことが多くある。
くだらないことで笑い合える人がいて、飲もうと誘ったら飲みに行ってくれる人がいて。全力で叱ってくれる人がいて、全力で支えてくれる人がいる。
そんな幸せを「あたりまえ」と捉えてしまっている自分がいたりして。
そんな自分が怖くなったりもして。
頑張れる理由
彼女は、こうも言っていた。
自分の記憶のなかに、誰にも変えられない記憶があり、そのなかに大切にしたいと思える人たちがいる。そしてその人たちと生きていくことができる。
だから今を頑張ることができる。
とても深く共感し、どこか座右の銘のようなものだったりする。
しんどくなったときに帰れる場所があり、逆にしんどさを感じた誰かにとっての「帰る場所」になれる自分がいる。
全部を投げ出したくなったときに支えてくれる人や、投げ出したもののうち「本当にいいの、大切じゃないの?」と気づかせてくれる人がいる。
自分が追い込まれたとき、綺麗な言葉とか、美しい表現が自分を救うのではなく、その人が本気で自分を想って紡いだ言葉、それらが織りなすあったかい時間が、自分をすっと掬い上げ、救い上げてくれる。
そうやって、自分にとって大切な人がいて、その人にとって大切な人でいることができる。それがたまらなく幸せで、ありがたい。
そんなありがたみを噛みしめながら、2022年の後半戦を楽しんでいく。
今までいただいたご縁や価値観に感謝しながら、そしてこれからいただくであろうそれらにわくわくしながら、生きていく。
今回はこのあたりで。ではまた。
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