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かわいそうだったからお金をあげた
「かわいそうなひと」
— 後藤大 🎁 おくりもののうた (@gotodai0926) October 22, 2019
にならないのが大事だなと思った。
「かわいそうなひと」
と思わないのも大事だなと思った。
もう死んでしまったばあちゃんが昔「路上で歌ってた人がかわいそうだったからお金をあげた」と言っていて複雑な気持ちになった。今はやっていないけれど13年ぐらい僕も路上ライブをやり続けていたからだ。
「路上ミュージシャンはかわいそうなんかじゃない」と心の中で思った。
かわいそうに見える人がかわいそうだとは限らない。
たとえば身体や精神の障害を持つ人を無条件でかわいそうだと思う人がいるけど、五体不満足である乙武さんを筆頭に笑って過ごしている人はたくさんいる。その人にはその人の特徴や価値観があり、自分の物差しで他人の幸せは測れないのだ。
だいたい「かわいそう」という言葉は相手を下に見ているから出てくるものだと思う。僕は辛そう、苦しそうとは思ってもかわいそうだと思うことはほとんどない。
たまにあまりにひどい状況の人や動物を見ると反射で同情してしまうことがあるけど、すぐに考えを改めるようにしている。
今日は「人に頼る」ことについて考えていたんだけど、弱さを見せた時に同情されるのではなくて、弱さを見せてもファンでいてもらえる頼り方をしたいと思った。それはお客さんだけではなくて身内や関係者に対してもだ。
「友達だけどあいつのファン」って思ってもらえるのはかっこいい。
そんな視点で改めて今までの自分や、周りの人の活動を見ているとお客さんにかわいそうだと思われるような発信がたくさんあるなと感じた。
「主催ライブ〇〇人目指してます!」「ワンマンライブこの会場にチャレンジします!」という活動が主流になりはじめてから、「必死になっている人が好き」というお客さんが増えた気がしている。
本人はそんなつもりはないかもしれないけど、もしかしたら「かわいそうな人を支えている自分」が好きな人が増えたのかもしれない。
ミュージシャン側にかわいそうだと思わせてしまう発信や空気が蔓延しているのかもしれない。
「相手をひとりの個人として対等に扱う気持ち」
僕の考える「敬意」という言葉の定義だ。お互いに敬意がなければ「ファンと演者」にはなり得ない。
音楽や自分自身、やっていることの「ファン」になってもらえる活動や発信をしていきたい。弱さを見せる時でも希望を持ったかっこいいひとでありたい。
読んでくれてありがとうございます:-D
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