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日常のゲーム化

左手の指を怪我して縫った。不便な面もあるけど、無理だったら人に頼もうとか、ギターなしのアレンジにチャレンジしようとか、制限がかかったことで癖や習慣を打ち破るきっかけになっている。

指が一本使えないだけでこんなにできることが減る。何でもひとりでやろうなんて傲慢だなと体で実感した。いい経験。

以前、忙しいのに毎日が退屈でしんどかった時に考えた。どうしてゲームは楽しいのだろう。日常との違いはどこにあるんだろう。結論から言うと「ルールがあるかないか」だった。

小学生の時にはまっていたマジックザギャザリングというカードゲームが、パソコンのアプリでできるようになった。

プレイヤーは魔法使い。マナ(自然エネルギー)で魔法を唱えて相手と戦う。カードの種類は、「土地」「クリーチャー」「インスタント」「ソーサリー」「ブレインズウォーカー」「エンチャント」「アーティファクト」の7種類。土地からマナを生み出して、召喚したり魔法自体で攻撃したりする。

クリーチャーはモンスター。ブレインズウォーカーは召喚獣のようなもの。これが召喚系。インスタントはどのタイミングでも使える魔法。ソーサリーは自分のターンの大きな区切りでしか使えない。これが魔法系。エンチャントとアーティファクトは装備品なのだけど、ここで土地の種類が関係してくる。

土地には「平地」「山」「沼」「森」「島」の5種類があり、それぞれ「白」「赤」「黒」「緑」「青」と色分けがされている。魔法には基本的に色があり、その色のマナがなければ唱えることができない。そしてアーティファクトには色がない。そこがエンチャントとの違い。だれでも使える装備品なのだ。

そうやって様々な魔法を駆使して、ライフを削り切るか、特殊条件を満たすことで勝利することができる。

もちろん強い魔法ほどマナが多くかかる。土地は1ターンに1枚しか出せないので、強力な魔法ほど使うのが難しい。強いものを使うか、弱きものを強化するか。はたまた相手の妨害をメインにするのか。手札が土地ばかりになったり、逆に土地が来なくて魔法が使えなかったり、魔法ばかりでクリーチャーが呼べなかったり事故も起こる。

そういうバランスを考えてデッキを組むのが、面倒くさいけどたのしい。うまく相手が仕掛けにはまってくれたり、コンボがスムーズに炸裂した時は気持ちがいい。

これが楽しいのは、「ルールがあるから」だ。毎ターン何枚でも土地を出していいよ。1枚の土地から何回でもマナを出していいよ。となると途端につまらなくなる。

自分も相手も「ルールの中で試行錯誤する」からおもしろいのだ。ルールとは「制限」。ではなぜ制限がないとつまらないのだろうか。

これについては「マインクラフト」というゲームで説明したい。マイクラはカードゲームと違って、明確なルールがない。いきなり広い世界に放り出されて「それではこの世界で自由に生きてください。どうぞ〜!」と始まるのだ。

初めは仕組みを理解したり、家を作ったりと分かりやすい目標がある。だけどある程度プレイするうちに、やることを見失って途端につまらなくなってしまう。そう、「なんでもしていいよ」と言われると人は何をしたらいいのか分からなくなって、やることをなくしてしまうのだ。これが「退屈」の正体だと考える。それを防ぐために、一応「実績」システムがある。

「クリアしたら、実績あげますねー」という、夏休みのラジオ体操のスタンプシステムだ。これを目指すのもありなのだが、マイクラを本当に楽しめる人は総じて「自分でルールや目標を設定するのがうまい」ように思う。僕はそれが下手なので、マイクラでも日常でも退屈してしまいがちだった。

ルールは壊すものでも、守るものでもないと思う。ルールとは、楽しんだり、大きなバグを防いだり、自由を感じるために「使うもの」ではないだろうか。問題があれば変えればいいし、それが良いものなら守ればいい。ルールに縛られているなら、それは呪われた剣に操られているのと同じだ。

話を指の怪我に戻すと、今けっこう不便だ。ギターも弾けないし、多分風呂に入ったら激痛に襲われる。仕事だって迷惑をかけてしまう。でもこの制限を使ってゲームを作ってしまえばいい。右手だけで料理を作らないと負け。ギターなしで曲をアレンジする。そう捉え直すだけで遊びに変えられる。

ゲームとは「制限の中で結果を出す楽しさ」が存分に詰まったコンテンツなのだ。そりゃあ、日常で受け身になっていたら、結果が出るのが楽しくてゲーム漬けになる。だから「日常のゲーム化」が毎日を楽しくするコツだと思っている。それは心の中のことでもそうだ。

同じ仕事をするにしても「遊び方を見つけようとするゲーム」をまずやる。辛いことがあった時「卑屈より笑いを選ぶゲーム」をする。もちろん毎回うまくいくわけじゃない。できないことの方が多いかもしれない。でも、やろうとすることこそが一番大事だ。電源を入れないとゲームは始まらない。

プレイするから勝ちも負けもある。波乱万丈もある。それは大変なことかもしれない。でも、僕はコロナ禍で思い知った。感情が動かなくなることが、退屈になってしまうことが生きていて一番しんどい。

僕らは今日もリアル人生ゲームの板状にいる。サイコロを振るのは自分なのだ。


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