自我を手放す
ツイッターで毎日やっている勝手に作曲が今日で18曲になった。
ありがたいことにご本人に拡散していただいてたくさんの人に聴いてもらえたものもある。逆にあまり気付かれなかったものもある。
どちらかというと気づいてもらえない(反応してもらえない)ことの方が多いんだけども少しずつ傾向が見えて来たような気がする。
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その中でもずば抜けで広まっているのが
しろまんた さんの 「先輩がうざい後輩の話」と
桜井海さんの「おじさまと猫」だ。
実はこの2つは今でも伸び続けている。
そしてどれぐらい伸びているかチェックしなくなった。
こんなにたくさん反応をもらえてものすごく嬉しいのだけども
伸びて嬉しかったり気になってしまうのは他の伸びてない曲だった。
この2つは僕の手元を離れて遠くに飛んで行ったんだなと思った。
これは発見だった。
僕は認められることで満たされるものとばかり思っていたけど
そうではなくて認められないことに反応しているだけだったのだ。
子離れできない親のように自分の手元にあるものを過剰に守ろうとしてしまう。それが僕の長年の苦しさの正体だった。鳥を大空へ放つように手元にある自我を手放していきたい。
僕の器はあまり大きくないみたいで本当にやりたいことをうまくやれてない。
これから過ごしていく中で結果なしでも手放せる時が来るのだろうか。
それができれば最高に幸せだろうな。
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主にこの2つのツイートのおかげでツイッターのフォロワー数が2週間で50人ほど増えた。ライブやって、路上やって、ツイキャスやって3年で100人も増えなかったことを考えると本当に嬉しい。
僕は今ツイッターのフォロワーを増やしたい。
目標10000人!
現在の僕には影響力がない。
「私には影響してるよ!」という話ではなくて知らない人が後藤大をパッと見たときにまだまだ反応はしてもらいづらいのだ。パッと見て価値を感じてもらえるかが本当に大事だ。
音楽関係者が見た時、なんとなく検索で知ってもらった時、
そして勝手に作曲をやった時にもフォロワーが900人ではありがとうで終わるけど10000人いたらコラボしましょうという風になったりするだろう。
そうなんだよな、コラボとかしたいんだよな。
ライブにもいっぱい来てもらって一緒に笑いたい。
目的はそこなんだよなあ。見失わないようにせねば。
フォロワー数って言いかたしてるけどちゃんと向こうには人がいるってことも大事ですね。
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先輩がうざい後輩の話、おじさまと猫の2曲は少しずつ人から人へと拡散されている。そこからプロフィールを見てくれて興味を持ってくれた人がフォローしてくれている。
人を惹きつけ続けられるのってもしかしたら手放せたものだけなのかもしれない。手放すってことは誰かのものになれるってことだ。
結局はそこなんだな。
と思いながらも今日書いた曲が少し広まっていて嬉しい気持ちになっている。
こりゃたいへんだぞ。
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