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「べき論」から卒業する

みなさま、こんにちは。ごとぅです。
コロナウィルス前後で生活の仕方、考え方、働き方など様々なことを自問自答されることも結構増えているのではないでしょうか。
私自身もそうです。もう今年も後半に入り、今年がどうなるのか、来年はどうなるのか思案する毎日が続いています。

インターネット上でも様々な検討をされた記事や、個人の方が考えを主張される投稿が増えたように思います。まぁ今書いているnoteもその1つですね。
そこで見かける表現で、ちょっぴり私が気にしているのが「~~べき」という表現です。今回はこの「べき論」というものを考えてみます。

「~~べき」という言葉は思った以上に強い

最初に、「~べき」という論調をするときはどういうときかを考えてみます。そうすると、言い手の方のポリシー・信念・主張が見え隠れすることが多いように思います。
そこで、「べき」の言葉そのものについても、調べてみました。
すると・・・

2 適当・妥当の意を表す。…するのが適当だ。…するのがよい。
5 義務の意を表す。…しなければならない。

う~ん、結構与えるインパクト強い印象ですね。。。
おそらくたいていのケースでは「適当・妥当の意を表す」という意味で使われているんだと思うのですが、こちらも言い手の「評価」が含まれたニュアンスになっていることが多いのではないでしょうか。

見方や立場が変わると「~べき」ではないのかもしれない

もうちょっと
 「適当・妥当の意を表す」という意味
で使われた前提で深堀してみようと思います。
この場合の「~べき」は言い手の立場の方や状況だからそのように映る、ということもありえるのではないでしょうか?
立場や状況・見方が変わると意外と「~べき【ではない】」なんてこともあるかと思うんですね。
そう、何が言いたいのかというと、言い手の方が自分の価値観を強要しているように映りかねない、ということです。
また、そのように映った場合、相手の方は言わないにしても拒絶感を抱くのではないか、と思うんですね。それだけ「~べき」という表現は強いと私は考えます。
そこで、少なくともこの可能性を理解したうえで「~べき」と書いた方が良い気がしています(私は逆で、そう思われる可能性あるので「~べき」は避けます)。

「べき論」ではなく、どう伝えるか?

ここまで「べき論」を考えてみましたが、自分が「べき」と思っていたとしても、相手によってはそうではないことがあることまで論じました。
では、それも踏まえてどのように伝えるのが良いか?を考えてみましょう。
自分自身の信念やポリシーを自分の考えとして伝えられれば良いと思うんですよね、なので

・私なら「~~~~」と思う
・私があなただったら「~~~」する

とお伝えするのをオススメしますね!

多様化と言われる今だからこそ

今回なぜこのような記事を書いたかというと想いは2つありました。
1つは「多様化」と言われる現在、自分の考えに固執するのは多様化とは逆行しているかもしれない、つまり、自分の考え以外を受け入れするための心構えが必要なのではないか、と思ったこと。
そして、もう1つは、このコロナウィルス禍で結構神経をすり減らしてらっしゃる方は多々いるんだろうな、と思います。その中で「べき論」を主張されたときのトゲトゲ感を思うと、これだけで余計なトラブルになってしまうかもしれない、と思ったのです。

おわりに

今日の記事は結構細かいことを書いた気もします。
が、私もそうなのですが「~べき」って結構無意識で使っちゃってると思うんですね。
それだけ意識を強く持たないとまた使ってしまう、そう思います。
オンラインでのコミュニケーションが増えている以上、表現での印象はオフラインの時よりは残りやすいと思うので、細かい点から気を付けて、気持ちのよいコミュニケーションをとっていきたいですね!


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