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心理的安全性を考えるようになったきっかけ

みなさま、こんにちは、ごとぅーです。
早いものでもう7月ですね。
7月というとどうしても思い出す出来事があるんです。
そして、それは心理的安全という、当時はこの言葉の存在すら知らない、あとから知るとまさにこのこと、を考えるきっかけになりました。
今回はそのエピソードをご紹介しようと思います。

Javaエンジニアだった当時

今から12年さかのぼって時は2009年の7月。当時はJavaエンジニアでした。
身体の調子が戻って就職しすぐに外の現場に出向。出向してからは1年近くがが経過していました。
そう、今では法的にはNGと言われるまさしく多重派遣です。
プロジェクトそのものは結構大きく、メンバ自体は100名近くいるような大き目な規模のプロジェクトでした。

笑顔がとても印象的な「癒し系」のチームメイト

100名近くのプロジェクトですから人の出入りもほぼ毎月。
誰かしらが卒業し、誰かしらが新しく入場してくる、出入りの激しいプロジェクトではありました。
その中で2009年になって1人の男性が参画してきました。
若干ぽっちゃり体系だけど今でいう完全な「癒し系」33歳のOさん。
私の真正面に座ることになった彼は、なんだかんだ毎日会話していましたね。ツッコミ入れたときに見せる笑顔と娘さんが生まれたばかりということでうれしそうに話をされる姿はとても印象的でした。

あとから考えると予兆と取れた

とはいえ、人の出入りが激しいプロジェクト。ということは当然プロジェクトの状況としてはあまりよろしくはありませんでした。
日に日に増えていく残業、所属していたチームもプロパー(正社員)の方とそうでない方のコミュニケーションギャップは私からも見て取れました。
Oさんもほかの方同様、残業が明らかに増え、見るからに疲れやストレスがたまっていそうでした。
時折話しかけるようにしていましたが、私自身も残業の雨あられになってしまい、参画当初の頻度では会話できなくなっていました。
また、コミュニケーションギャップから仕事の調子もあまりよくなさそうでプロパーの方からおしかりを受けることも多かったOさん。
そのせいからか、毎日相当な回数ため息をついていたのは今でも覚えています。後から考えると、予兆だったのではないか・・・と心から後悔しました。

起きてしまった出来事

そして・・・・。
いつものごとく残業が終わり、まだ作業しているOさんに挨拶したとある金曜日。これがまさかOさんと最後にした会話になるとは当然思っていませんでした。
週末明けた月曜日出社すると、プロパーのお偉い方をはじめやたらてんやわんやしていたのは今でも覚えています。定時の9時になっても出社しないOさん。しばらくして聞こえてきたのは・・・・・

Oさんが週末脳出血で亡くなった。

ということでした。
ぽっちゃり体系だったとはいえ、33歳という若さで亡くなったと考えると、ストレスが原因であることは想像に難くありません。
もっと私がケアすることで確実に防げたか、というとそれは分かりませんが、私にOさんにできることはあったことは今でも確信しています。
そして、ショックだったのはこれだけでありませんでした。
プロパーの方に「チームメイトだし、通夜くらい行かせてほしい」と直訴したところ・・・・

商流が異なるから遠慮してほしい

と断られたのです。
人の生き死にに、商流なんてへったくりもなかろうに・・・。
その夜、私は自宅で冥福を祈ったのをまだ覚えています。。
あれから12年、Oさんの奥様とお子さんが元気でおられることを心から祈っています。

繰り返さないためにいま自分ができること

Oさんとの出来事を通して当時考えるようになったのは、

・辛いこと・状況をきちんと辛いと表現できるチームづくりが必要
・メンバー1人1人の表情なりしっかり観察・把握・フォローも必要
・チームの目的達成にプロパーかどうかや商流は関係ない

ということです。
どのようなバックボーンだとしても、同じプロジェクトで働く以上、同士だし、たとえそれが仕事をお願いする立場であろうとお願いされる立場であろうともみな同じ1人の人間である、ということを強く思いました。
そしてその1人1人が少しでも充実した仕事をしていくためにも、それに適したチームが必要であると考えました。
これが今でいう「心理的安全」に近いものなのだろう、と思います。
そのきっかけになったOさんのことはこれからも心と頭に留めていきたいなと思います。

それにしても、もう12年かぁ、はやいね!Oさん!


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