「コミュニティ」と「つながり」の重要性が増す未来の社会
■経済成長によって人も社会も豊かで幸せになるという価値観の崩落
社会が少しずつ大きく変わろうとしていることを感じています。右肩上がりの経済成長によって、人も社会も豊かに幸せになっていくというモデルは、段々と時代に合わなくなってきました。経済成長の副作用としての「環境問題」が顕在化し、「格差」の問題やそれと関連する「孤独・孤立」の問題もより現代的な課題として顕在化しつつあります。
高度経済成長期は、たくさん勉強して、いい学校に入って、いい会社に入れば、収入と安定(福利厚生・終身雇用)が約束されて、それが幸せの一本道であるかのような価値観が社会全体に共有されていました。それが完全に崩れたわけではないですが、価値観が多様化し、幸せに向けた(みんなが歩く)太い一本道が、複数の道に分かれているのを感じます。
それは日本が「成長社会」から「成熟社会」へと進んだことによって、「これ以上、経済や収入を上げていくだけでは、人や社会が幸せにならなそうだ」ということに社会全体で気づき始めてきたからだと思います。学力偏差値といった画一的な価値基準や、「就職人気企業ランキング」といった価値基準は少しずつ存在感を弱めています。
人口減少や少子高齢化も影響しているように思います。少子化・人口減少によって少しずつ受験や就職の競争は弱まってきていて、高齢化によって社会のモードは成熟・定常の方向に進みつつあります。社会全体が少しずつギアを切り替えて、次の価値観やモードが何なのかを探し始めているように思います。
■次の時代の豊かさの鍵は「コミュニティ」と「つながり」
では成熟社会や定常社会における豊かさの鍵は何になってくるのでしょう。それはずばり「コミュニティ」と「つながり」になっていくのだと思います。
自分が自分らしく居られる居場所があること。楽しくて、ほっとできて、心が元気になる居場所があること。一緒に人生を楽しんでいける仲間・つながりがあること。何かあったときに、頼れたり、助けを求められる仲間・つながりがあること。
そんな居場所や仲間やつながりがあるから、人生が充実して、生きることへの前向きな気持ちが湧いてきて、明日が楽しみになる。そのとき、「孤立」や「息苦しさ」や「生きづらさ」は減るような気がします。そして、人生における「ウェルビーイング(幸福・健康)」は高まっていくと思います。そんな「コミュニティ」と「つながり」を各個人がどのように持つことができるか。さらには、そういう状態が実現しやすい環境を社会がどのように用意していくことができるか。それが次の時代の豊かさの鍵になるように思います。
■コミュニティのかたちが変わってきている
今までのコミュニティと言えば、大家族や親戚などの血縁関係、会社や職場などの社縁関係、地域や隣近所などの地縁関係が主なものでした。しかし、個人差や地域差はあれど、これらの既存のコミュニティは時間をかけて大きく構造変化し、今までのような基盤・よりどころとしてはその存在感や効力は弱まってきています。これらの既存のコミュニティの弱体化やそれによるつながりの希薄化は、現代の孤独・孤立の構造的な要因になっていると考えられます。
一方で、現在や未来に目を向けると、これを補ったり代替するような新たな動きも少しずつ出てきています。1995年の阪神淡路大震災を契機に、1998年にNPO法が出来て、NPO法人というものが誕生しました。今では「NPO」という言葉は当たり前に使われるようになってきています。それ以外にも、市民活動、サークル活動、勉強会、読書会、朝活、コミュニティカフェ、こども食堂、居場所・サロン、コワーキングスペース、オンラインサロンなど、様々な活動やプロジェクトがいろいろなところで立ち上がって動いています。
私は今は「コミュニティ再編」の時期だと捉えていて、コミュニティにとっては「谷間」であり、これから山登りがはじまると思っています。「谷間」に向かってくだってきたこの数十年間で、血縁・地縁・社縁といったこれまで日本社会を支えてきたコミュニティは弱体化して地盤沈下しました。それによって孤独・孤立という構造になりました。現代は孤独・孤立に起因すると思われる社会課題も大きく顕在化しています(自殺・うつ・児童虐待・ひきこもり・孤独死など)。そして、ここからは山登りが始まり、10年~20年かけてコミュニティを再編していくフェーズだと思います。いま新たに人々をつなぎ直す“コミュニティのかたち”が求められています。
■コミュニティの運営がうまくなる
そんなふうにこれからはコミュニティがより必要な時代になっていくのですが、「コミュニティ」の難しいところは、商品やサービスのように与えられるものではなくて、自らつくり出す必要があるところです。企業が商品開発して売るようなものではないですし、自治体が行政サービスとして提供するようなものでもありません。個人・住民・市民が自らつくり出したり運営することが必要になります。
しかし、残念ながら、現代社会においては、コミュニティをつくったり運営したりする経験は必ずしも多くはなく、それほど求められもしないですし、スキルトレーニングもほとんどありません。コミュニティやつながりの必要性が高まっているのにも関わらず、それをつくったり運営したりする経験や能力を多くの人が持っていないという状況にあります。ここには大きなギャップと課題があり、この状況を大きく変えていく必要があると考えています。
多くの人が子どものときから、そして大人になっても、コミュニティを運営できる経験とスキルを積んでいけると良いと思います。具体的にはミーティングをやる力や、イベントを企画・運営する力、まわりの人たちを巻き込んでチームビルディングしながら活動を進める力、みんなとわいわい楽しく活動する力、など。こういう経験とスキルを身に着けて、地域のイベント・お祭などの運営を担ったり、趣味のサークルや楽しいプロジェクトを自分たちで運営したり、自分たちが必要としている活動の運営スタッフをしたり。
良いコミュニティとつながりに恵まれることが人生のウェルビーイング(幸福・健康)につながるのだとしたら、それを自らつくったり、つくろうとしている動きに加わって一緒に運営したり、そうやって“自分たちで良いコミュニティをつくり運営する力”を育むことがこれからの社会にはより必要になってくるように思います。NPO・市民活動・地域活動のような団体運営から、少し大きめのイベント・プロジェクトの実行委員会、さらにはちょっとした勉強会やホームパーティーまで、“コミュニティ運営がうまい人”が増えていくことが、社会のコミュニティやつながりの充実につながっていくと思います。
■コミュニティに参加する力
もう一つ育むべき大切な力は“コミュニティに参加する力”です。孤独・孤立の現場に触れていると、コミュニティとつながりからの断絶を感じます。これはごく一部の人たちの話ではなく、社会構造の変化によって影響を受けた現代社会全体の問題であり、みんなの話です。
今までは比較的「与えられるコミュニティとつながり」が多い構造でした。大家族というコミュニティとつながりが与えられ、親戚関係が与えられ、学校のクラスというコミュニティが与えられ、終身雇用の会社コミュニティが与えられ、地域コミュニティとご近所づきあいが与えられる、というようなものです。しかし、この数十年でこれらの圧力は和らぎ、人々はこれらのわずらわしさから離れられるようになり、自由度を高めてきました。
これは良い面が多分にあると考えられますが、コミュニティとつながりを選択する自由度が高まるということは、それだけそれを自ら獲得する能力と責任も同時に伴うことになります。これは早稲田大学石田光規先生が指摘するように「選択的関係の主流化」であり、これからの社会は自らのコミュニティとつながりを自らの手で選択して編集する(編む)力がより求められる社会構造になっていきます。
このとき社会で用意する必要があるのが、“コミュニティに参加する力”の教育です。自分に合ったコミュニティを探し、見つけ、参加する力。そこでメンバーとして、ときにスタッフとしてうまくやっていく力。うまくいかない人間関係があったときに、関係性を良くするために働きかけたり、うまく中和したり、距離を取ったりして、上手に人間関係を調整する力。そうやって、自分にとって最適なコミュニティとつながりを自分のまわりに設置・編集する力がこれからはより必要になってくると思います。
これらの教育は学校教育や社会教育、そして生涯学習の文脈の中で行なわれてきていますが、まだまだ十分とは言えないように思います。成熟社会・定常社会となり、ウェルビーイング(幸福・健康)やヒューマニティ(人間性)を中心に考える価値観が重要視される時代への大きな転換点において、“自分を健康で幸せにするコミュニティとつながりを自分のまわりに編集していく力”はより大きな時代的テーマになっていくと考えています。
次の10年~20年という長期的なスパンでものごとを眺めたとき、「コミュニティ」と「つながり」の重要性はますます高まっていくように思います。その大きな潮流の中で、私たちはさらなる仕掛けや挑戦に取り組んでいきます。そして、それは私たちらしく楽しく快活なものでありたいし、人を大切にしながらやっていきたいと考えています。この旅はまだまだ長そうなので、自分たちの幸せや健康も大切にしながら、じっくりとビジョンを見つめて歩んでいきたいと思います。そして何よりこのビジョン・世界観に共感してくださるみなさんに参加してほしい・連携してほしいと思っています。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?