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トイレに関する話(たぶんその1)

実家の元の家は昔ながらの造りなのか、トイレは廊下の先、風呂場に行く途中にあった。手前が男子の小用、その隣が性別問わず、大っきい方用だった。小用の便器、朝顔って言ってたが、その底には3つくらい穴が開いてて、虫除けみたいなスーッとする芳香剤が転がっていた。大きい方は勿論、ボタ落ちで汲み取り式だった。トイレなどと言う洋風な名前ではなく、お手洗いもしくは御不浄なんて言ってた。バキュームが来るまで溜まっている訳だからまぁ、御不浄などと言う失礼な名前を頂戴しても仕方なかったかもしれない。埼玉の一般家庭における水洗式の普及がいつ頃だったかよく知らないが、僕が中学生だった1967年から69年までは、まだボタ落ちがメインストリームだったと思う。
通った中学もボタ落ちで、こんなことがあった。
学帽が突然、学校で行方不明になった生徒が続出して、僕のもやられたのだが、なんとボタ落ち便所に大量に投げ込まれていたことがわかった。埼玉は浦和の中学だったが、やるべーよ、なんて言っちゃうほどローカルで…ああそうだ、小学校では男子はほぼ全員、鼻水を常に垂らしていた。鼻と上唇の間に、常に、二本線が引かれている光景。中でも指折りの鼻垂らしに向かって先生が「いい加減も甚だしい!」と怒鳴りつけたのを僕は「いい加減の鼻垂らし!」だと聞き違えたくらいだ…まぁ、そう言う文化的背景があった中での学帽ボタ落ち事件だったのだ。顛末がどうなったのかまったく思い出せないが、被害者にとっては悪戯の範囲を超えていた。
さて、中学時代と言うのは悪いヤツはどんどん悪いことをやる、所謂不良になるやつが出始める頃だったから、教室で椅子に画鋲を針を上にして並べ、その席のやつがまんまと尻に画鋲を刺して悲鳴を上げるといった痛い悪戯も流行っていた。教師の中には、悪戯は勿論、宿題を忘れたりすると罰として顔にマジックでメガネや髭を描くやつもいたから生徒も生徒なら先生も先生だったと言える。それで、画鋲の罠に落ちたヤツが1年後には不良の仲間になっていた、なんてこともあった。
その中学に不良グループとして学内で名を馳せていた連中がいて、札付きだったのだが、その不良たちが、学校に忍び込んだ変質者を見事捕らえ、表彰されるなんていう少年漫画みたいな出来事もあった。こんな風だ。
ある日授業をサボって校舎の裏でタバコを吸っていた不良3人組、そのひとりが、おい、なんか臭せえな、とあたりを見廻したら、女子便所に通じるマンホールの蓋が迫り上がってくるではないか!おお、なんだ!?と見ていると蓋の下から見知らぬ男の頭が出て来たので、3人組はなんだこいつはと、ひっとらえたと言うのだ。事件が解決して、その3人組はそのときの様子をギャグっぽく再現しながら周りを取り囲んだ生徒たちに武勇伝を聞かせていた。
何年かして、同窓会で今や学級主任に昇進した僕らの担任だった先生が、いまの不良は悪さをするにも暗い、変質者を捕まえたあなたがたの世代の連中のように悪いヤツだけど、いいこともする明るさがないのよのね、と言ってたっけ。ボタ落ち便所が並ぶ当時の中学校ならではの話だ。


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