ドサクサ日記 4/25-5/1 2022

25日。
アジカンのリハーサルと録音エンジニアのダブルワーク。演者として活動グループの真ん中にいるときと、それを支える側のひとりでいるときの景色の違いについて考える。支える側の技術ももちろん磨かなければいけないが、それはあくまで演者の技術や表現の向上があってこそ。入力としては演者のほうが強い。ただ、エンジニアとしてできることもたくさんある。タッチできる場所と、その強弱。

26日。
DTMを始めてよかったのは、音符の長さを意識するようになったことだ。音をアンサンブルのどこに置くのかについて考えるのは普通のことだと思う。「走ってる/モタってる」みたいな話。しかし、グルーヴにはとっては音符の長さ(短さ)や休符が重要になってくる。のべつまくなしに話し続けるやつがいたら、会議も進まないだろう。黙ってる時間こそが、間をコントロールしている。みたいな話。

27日。
ナビゲーションのアプリは恐ろしい。絶対に車では通れないような細路地を平気な顔でルートに指定してくる。そうしたリスクを理解しているつもりではあるが、はじめて訪れた東京の下町などでうっかりナビを盲信して突き進み、エラい目に会うひとが後を立たない。この日は俺もそのひとりだった。もっとも、どこへ行くにも車を使い、広く快適な車内を望み続ける我々が悪いのかもしれない。

28日。
音響用の安い部品を買ったら、値段なりの安い作りだった。部品の性質上、音質に違いはほとんど出ないはずだけれど、値段が少し高いものと比べて、ひとつを取り付けるのに数分の時間を失う。分解すればすべからくアミノ酸、みたいな割り切り方ができないのは、それが何らかの文化的な形を維持していること自体に価値があるからだ。安いモノを望むとき、何が割り引かれているのか良く考えたい。

29日
若い頃は屈託や焦燥だけを抱えて、祝詞と呪詛の区別もつかないような思いを客席にぶち撒けていた。それはほとんど未明の何かで、丸っと抱きしめてポジティブな何かにするまで随分と時間がかかった。最近の若いミュージシャンたちは照れることなく、生きる喜びを全身に発露させていて清々しい。ネガティブな何かを内心やネットで捏ねるほど人生は長くない。グネグネだけど、せめて姿勢を正したい。

30日
荒吐ロックフェス。折坂悠太、NUMBER GIRLのライブを観て袖で盛り上がった。昔からの仲間たちや、先輩にもたくさん会えてよかった。慎ましくマスクをして、それぞれに楽しむ観客たち。彼らへの尊敬の念は尽きない。リスナーや観客あっての音楽だと思う。海の向こうの巨大フェスは、別の世界線のような騒ぎだった。僕らは僕らなりに、自分たちの現場をゆっくりと温め続けたいと思う。

5月1日
JAPAN JAM。蘇我の楽屋エリアは、すっかり夏のROCK IN JAPANに向けたレイアウトになっていた。ひたちなかの楽屋だけが、ごっそり移動してきたような感じだった。ひたちなかでしか見られなかった景色を思うと残念な気持ちもある。マジカルな風景を何度も見た。今やフェスはNIMBYのひとつかもしれない。しかし、守るべきは演奏と鑑賞の機会だと思う。ガワや場所の話が大事じゃないとは言えないけれど、どんな人がどんな思いで何を感じるのかということのほうが重要なのは当たり前だろう。音楽産業の歴史は短い。フェスも然り。長い人類史から考えれば、録音物だってさっきはじまったくらいのものだ。私たちは音楽という営みのなかの一瞬でしかない。けれども、川の流れのように未来へと繋がっていることも意識したい。彼らが未来から、僕らを眺めている。その一点を、僕らは生きている。