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ドサクサ日記 8/22-8/28 2022

22日。
ネット上の炎上記事を誰かがクリックするたび、その裏で儲けている人がいる。Yahoo!のコメント欄がなくならないのは、記事に公共的な双方向性を持たせようみたいなことではなく、小さな承認欲求や自己顕示欲を利用して、そこから小銭を回収する仕組みを使って一円でも逃すまいとしているというだけだ。それはもはや、国民的なエンタメでもある。誰も何も読んでいない。読むことの難しさを思う。

23日。
臨時で焼鮭が入った崎陽軒のシウマイ弁当を食べた。いつも通り、とても美味しかった。本来は焼いた鮪の醤油漬けが入っているはずだが、原材料の調達に問題があったのだという。焼き鮪は酸っぱくて塩っぱくて固く、焼魚の選択肢は山ほどあるなかでどうして鮪を選んだのだろうと、初めてシウマイ弁当を食べたときからずっと思っていた。赤身の魚をよく食べる静岡でも、鮪や鰹は積極的に焼いて食べない気がする(兜焼きを除く)。焼いてもそんなに美味しくないからだろう。個人的な感想としては、これからも焼鮭のほうが嬉しいなと思った。しかし、シューマイ弁当の個性を問題にするならば、鮪のほうが良いのかもしれない。他では食べられないということは、とても魅力的なことだからだ。ちょっと甘めのタケノコを含めて、「なんでだろう?」の魅力を思う。それも含めての「これだよね」感。

24日。
久しぶりの休暇。温泉に入ったり、美味しいものを食べたり、温泉に入ったり、温泉に入ったり、温泉に入ったりした。つまり、温泉に入った。温泉街に行く、と決めた瞬間から、なんだか癒された気分になるのはどうしてだろう。もはや回復が約束されたような心持ちになって、体が軽くなる。地中から湧いた温かい湯に使るだけなんだけれども、プラセボ的な印象から膨れ上がるポジティブなエナジー。

25日。
「世の中はクソだ」と、とてつもなく頭の良い人がサラっと語るのを「なんか面白いな」と盛り上がるのは本当に良くない。そんなことは人生において一度くらい思ったり考えたりするのが平凡な人間の有り様であり、クソを前提としてどう生きるのかが常に問われている。その人もそういうことははっきりと分かっていて、本当に愚かな何かに向けて乾いたリップサービスをしているだけという虚しさ。

26日。
BASEBALL BEARの公演にゲスト参加。バンドの演奏がとてもタイトで素晴らしかった。3ピースのバンドは誰かがサボっていると、それが如実に現れる仕組みになっている。ゆえに、ピンと張り詰めたステージなることが多いのだけれど、そうは見せないしなやかな演奏だった。そして小出君のギターの音がとても良かった。ギター用のアンプは国産のSHINOS。まだまだサヴァイブしようぜと談笑して散開。

27日。
そのまま大阪のスタジオで作曲活動。メンバー皆と終電近くまでわきゃわきゃと作業するつもりだったけれど、近くで大きな花火大会があるらしく、何もかもが混雑する前に作業を終えて退散することにした。時間は短くなったけれど、作業自体は実にわきゃわきゃとした和やかなムードで進み、デモ音源がアジカンらしくブラッシュアップされた。この歳になってもバンドが楽しいというのは幸福でしかない。

28日。
犯罪行為を非難するのならともかくとして、他人の人生の選択に乗って誰かを叩いたり誹謗している人たちのことを思うと、惑星破壊みたいなボタンをポチっと押したくなるのだけれども、そんなボタンはどこにもない。なくて良かったと思う。どうか皆さんそれぞれに幸せであれ、と思うことの大切さは、その思いの集積によって自分自身が社会から許されることにある。多様性の肝。その逆の恐ろしさよ。