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ドサクサ日記 8/7-13 2023

7日。
潔がコロナ感染ということで、3人でリハーサル。インドネシアで演奏する曲の確認をした。夏のワンマンライブはこの公演のみで、30分から50分の夏フェスの真っ只中に90分以上のセットリストを仕上げるのは、かなりの集中力が必要。本番まで4人が揃わないことが不安だけれど、潔の体調は回復傾向にあるとのことで安堵した。夜中に横浜に移動して録音エンジニア業務。家系ラーメン美味い。

8日。
この日も潔抜き、アチとジョージを加えた5人で夏フェスセットリストの演奏確認。ドラムがいないことで、アンサンブルにおけるそれぞれの演奏の癖がわかって面白かった。ケンさんがグリッドに対してエロく当て過ぎなので、「それだと山下達郎バンドでは死ぬほど怒られるのではないか」と説明。タイトという言葉も解釈がいろいろだけれど、基本的にオンでいてくれたほうがボーカルはありがたい。

9日。
KANA-BOONとのライブの予定だったが、潔の療養期間内ということでキャンセルになってしまった。新型コロナ感染は誰のせいでもないけれど、楽しみにしてくれていたそれぞれのバンドのファンとKANA-BOONに対して申し訳ない気持ちでいっぱい。彼らの10周年、ツアーファイナルという記念すべきツアーでもあったし、いつの日かリベンジさせてもらえたら嬉しい。その際は倍返しということで。

スグル君とのコラボ曲『Heaven』がレコードになったので、手に取って欲しい。配信でシングルを出すときやMVが公開されるときも嬉しいけれど、自分の作った作品がCDやカセットやレコードになる瞬間は格別だ。特に、自分はレコードが好きなので、嬉しい。開封したときのなんとも言えない匂いが好きだ。両A面でDAOKOさんの曲も収録されているので、ぜひ。

10日。
スタジオ作業の後、病院で精密検査など。腱の断裂はないとのことで安心したのだけれど、関節唇というところに損傷があった。そのために肩まわりに炎症が起きているとのことだった。炎症が治るのをまってリハビリをして、可動域を増やして筋肉を鍛えていくと痛みは治まっていくとのこと。どうにもならなかったら手術ということになる。ともかく、原因が分かると気が楽になる。身体と精神の不思議。

11日。
南相馬の追悼福興花火に参加。十三回忌ということで、今年は節目の回。萱浜に来ると色々なことを思い出す。はじめて南相馬に来たときには、道中の田んぼに漁船が打ち上がっていて、なんとも形容し難い風景だった。この場所ではズボンのポケットからiPhoneを取り出すことすら不謹慎だと思った。津波の被害だけでなく、当時は原発事故の影響も考慮しなければいけない状況でもあった。避難によって人もまばらな原町のスーパーの駐車場で、様々な想いを抱えて緊張しながら歌ったことを俺は生涯忘れないだろう。最前列で耳を塞ぎながら俺の演奏を聴いていた(拒んでいた?)おばあさんが、誰よりも熱狂的にアンコールをしてくれたことも忘れられない。『The Future Times』という新聞を仲間たちと作る過程で、福興浜団の上野さんに出会った。津波の跡が残ったままの自宅の隅で、当時の体験を聞いた。俺は取材に出かけたのに質問などほとんど出来ず、カメラマンの渋谷さんとの対話を聞きながら、さめざめと泣くことしかできなかった。あれからずっと、萱浜に通って歌ってきた。歌うことが何の役に立つのかは良くわからないけれど、無力感でいっぱいのまま、みんなの傍に立とうと思った。それしかできないと思った。南相馬にはいろいろな縁ができた。今度はふらっと遊びに行きたい。

12日。
腰が低く丁寧なタクシー運転手に出くわす。アプリの配車で少し待たせてしまったが、とても優しい口調で、言葉遣いも丁寧だった。しかし、交差点でもたつく同業他社の車に向かって「ボケ、ゴルルルラァ!!」と態度が豹変して、ギャップ萎えしてしまった。そのあとは再び紳士的なキャラクターに戻ったのだけれど、こういう場合、ざわついた心情をどのように落ち着けるのがいいのかがわからない。

13日。
ROCK IN JAPAN FES.に出演。蘇我の景色もなんとなく目に馴染んできたように思う。観客たちが代替わりをしたようで、なんだか全体に若返ったような雰囲気だった。俺たちはもう20年もいろいろなフェスに出させてもらっている。ありがたいことだと思う。ソラニンやリライトや転がる岩とは別に、また新しいアンセムが作れたら嬉しいなと最近は思う。みんなで唄える歌があるのは素晴らしいことだから。