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ドサクサ日記 3/21-27 2022

21日
都内某所でライブの収録。D2021のYouTubeチャンネルで近いうちに公開される予定。共演のみなさんのライブが大変に素晴らしかった。マシンライブの身体性。使用機材や音色やサンプルの選択にも、その人の人柄や生活や人生や哲学が宿る。そうした様々な要素が具体的になっていることは稀で、なんかよくわからない塊のまま飛んでくるのが音楽。その機微を一枚一枚、想像で捲る。それが楽しい。

22日。
CBSで作業。随分前に買った16chの1/2インチのテープレコーダーにステムファイルを録音する。それをそのままProToolsに戻して録音。つまり、2度、同じ曲を再生して録音する。サーというノイズが加わって、丸っこく溶け合う音。これが良い音かどうかなんて人それぞれだろう。ただ、この作業が果てしなく楽しかった。テープレコーダーはふたつのチャンネルに不具合があったが、概ね状態良好。

23日。
毎週、素晴らしい作品が発表される。そのいくつかの作品を前にして、うっかり絶望してしまいそうになる。しかしまあ、今週に限らず、過去を振り返ればとてつもない作品がネットやライブラリーには積み上がっていて、そういうことにいちいち絶望していたら表現なんてできないと思う。メラメラと燃え上がる何かを相対的な物差しで巻き取らずに、自分らしい達成に使いたい。彼らの傍らに凛として。

https://open.spotify.com/episode/5A9s0NEuT8Jyj5lJujzxi1?si=6ff19f9cd2274fe5

24日。
CBSでマスタリング作業。音楽はどこまでも楽しい。それは音楽の見方や聞き方や考え方に無数の角度があるからだ。ポップスとノイズ/アンビエントでは写実性の目的も度合いも違うが、こんなにも曖昧模糊としていて、それゆえに難しくも豊かな表現方法に魅了された自分は幸運だと思う。サウンドをどのように聴いたり感じたりしているのかというのは、自分の音楽観や世界観そのものだと思う。

25日
休日。知らない街でパン屋を探して歩き回った。案外、探すと見つからないのがパン屋なのかもしれない。漬物屋の大将にパン屋の場所を尋ねた。「この先50mくらいのところにある」と言っていたが、パン屋は見当たらなかった。もう少し行くと大将が言っていたのとは違うパン屋があった。ロールパンを買って公園で食べる。花粉がしんどいと思うことも増えたが、春の野外で食べるパンは美味しい。

26日。
10代の頃の自分にとって、自作のメロディに乗る言葉は何でもよかった。適当な英語で歌った。いつしか日本語で詩を書くようになり、そこから言葉がぐっと自分の身近くに来たように思う。魂を写実するには、母語である日本語が親密だと感じる。日本語で考えているだけでなく、日本語と一緒に受け取った文化的な感覚を使って、俺は生きてきたし、生きているからだ。他国が攻められて、公用語が侵略的に置き換えられる。なんてひどいことだと思う。そして、ああ、私は日本語(それに連なる文化の一切合切を含む)こそが故郷だと思っているのだと感じる。それらは標準語みたいな概念が捏造される前から、地面にへばりついていた。人々の中を通って、渡し渡されてきた。言語は本来、国家の所有物ではない。しかし、書き記すことは政治そのものでもある。ゆえに、抗って、書くのだ。わたしの言葉を。

27日。
Foo Fightersのテイラー・ホーキンスが亡くなったことを知る。国内外を問わず、多くのミュージシャンがメッセージを発信していた。多大な影響を受けたバンドであり、そのバンドの重要な役割を担っていたドラマーだった。彼らのスタジオでアルバムを制作したこともあった。その際には、彼のドラムスタイルを意識しないわけにはいかなかった。尊敬の念を送ると共に、彼の死後の幸福を願う。