ドサクサ日記 2/27-3/5 2023
27日。
身体が固まってしまって、頭が回らない。ただでさえ小柄な人間ではあるが、肩甲骨と背骨の間くらいに実存としての私と観念としての私がギューっと収縮して、実態よりも小さな物体になったような感覚がある。疲れを癒すというよりも、飲酒によって疲れを誤魔化す。するとどうなるか、睡眠が気絶と化す。疲れは一層抜けず、そうした悪循環の果てに、魂も益々小柄になってゆくのだった。
28日。
久々に運動をした。これによって少しだけ身体が緩んだような気がする。魂や精神にもいい影響があったと思う。釈先生の涅槃経の講義を受けて、死について考える。仏教では、死しても現在に抱えている悩みから救われることはないと考えるのだという。なぜか。それは輪廻するからだ。現世の悩みが、来世に持ち越される。そういう無限性と向き合って、いろいろなことを、じっくり考えなければと思う。
1日。
参加していたLINKのEPが配信になった。いろいろな時期を経て、また新しい兆しを全身から放っている彼らが眩しい。音楽は、PUNK ROCKは、一生続けられるんだということを体現している。これは商売なんかじゃなくて、創作なんだということ。若い頃は、耳に入ってくる音楽のほとんどを「クソ」だと偉そうに吐き捨てていた。それは別に自分が高尚な何かだったわけではなく、むしろ、何ひとつ持っていないがゆえの不安や嫉妬からくる感情を、見境なく投げつけていただけだろう。酷い言葉を投げつけたくなる何かが全くなくなったわけではないけれど(それは俺の至らなさゆえの感情だろう)、世の中の多くの表現物に対する愛は確実に増した。むしろ世界のクソ性を、少しでも減らすために、こうしたロックンロールが今日も響く。それぞれの場所での、それぞれの達成。そうした瞬間を尊敬する。
2日。
コリアンタウンには美味しそうな店がたくさんある。友人などに尋ねれば、あそこが美味しい、あそこのアレを食べろ、などと外したら一生後悔するようなアドバイスがもらえる。しかしながら、同行者の意向で、なんとも言えない観光料金が加算されたような食品ばかりを食べる羽目になる日もある。それはそれで、特別なのだけれど、やっぱりまったく流行りとは無縁の、美味しい韓国料理が食べたかった。
3日。
ひな祭り。妹がいる友人の家に行くと、むちゃくちゃ豪華な七段飾りの雛人形が飾ってあって、妙な劣等感を抱いたことを思い出す。俺の実家のあたりでは男の子も人形を買ってもらう習慣があった。菅原道真、天神さんの人形だ。近所にもそれ専用の人形屋がいくつかあって、子どもが生まれたら爺さんが買ってやるみたいな風習だったと記憶している。ああいうの、今も続いているのかしらと不思議に思う。
4日。
あまり調子が良くないので、些細な言い回しとかでメンタルが激烈に落ち込んでしまう。基本的には楽天的で、「なんとかなる」となんでも考える傾向にある。これは生まれ育った地域とか環境に起因する性質だと思うので、俺は幸運だったと言える。むちゃくちゃに落ちんだとき、それが夜中であるならば、一度寝てみる。朝起きて、少し気持ちが和らぐことがある。問題の先延ばしも、生きるには悪くない。
5日。
久々のライブハウス。息を吹き返すような時間だった。ブラックアウトの歌詞が迫ってきて、想像以上に身体や魂がエモーショナルに反応してしまった。感情はコントロールしているようで、実は身体の反応に付き添っていると思う。まずは、身体が感動して、それに脳が意味を見つけるような順序が、感情やフィーリングの順路だと俺は思う。Cody Leeはステージ袖で最後まで観た。楽しそうでとても良かったし、すべてが可愛らしくて微笑ましかった。それは彼らを見下しているとかそういう意味ではなくて、我々は彼らの父親でもおかしくない世代で、ある種の父性を持って彼らを眺め、かつての自分たちをそこに重ねていたからだと思う。特にライブ後半の演奏が素敵だった。合奏が「揃う」瞬間はいつだって美しい。横浜ではLINKのライブがあった。限定生産のCDの販売も盛況らしくて、とても嬉しい。