見出し画像

ドサクサ日記 1/24~30 2022

24日。
最近よく妄想していることは、メタバースでこそ公共事業をしたらどうかということ。他のnoteのマガジンでも依然に書いたことだけど、仮想現実で巨大公共事業を行えば、自然への影響のみならず労働者の身体的負担を少なくしながら(自宅でも病院でも、寝たままでも参加できる)、富の再分配が行える。アプリで決済まで済ませる仕組みを広く普及させれば、他の社会保障にも使えるはず。

25日。
続。メタバースに何を作るかは難しい。本当は何でもいいのだろうけれど(モンスター退治でもいいのかも)、「そんなことでお金をもらうなんてけしからん」という多くの人が共有している考え方を克服しなければ、「けしからん」と言われるのかもしれない。しかし「働かざるもの食うべからず」という言葉が僕たちを苦しめている。この言葉を過去のものとすることが、本当の貧しさの克服だと思う。

26日。
街から人が減った。馴染みのお店は来週から営業を取りやめて店を暫く閉めるのだという。物事は大きな単位で考えると難しい。あなたと私の誓いなら、今すぐにでも変更できる。次は家族だったり、仲間内だったり、職場だったり、参加する人数が増えるに従って問題が複雑になる。国や社会のルールとなると、じっくり話し合わなければならない。顔も名前も知らないひとだらけの共同体のもどかしさ。

27日。
新木場のスタジオコーストが閉店した。とても良いライブハウスでありクラブだった。建物の向こうに貯木場が見える東京の突き当たりのような場所にあって、通うのに便利とは言い難かった。しかし、複数のステージが組める構造がアーティストたちの様々な発想を実現させてくれたと思う。楽屋エリアも広くてリラックスすることができた。ああいう場所を失うのは、文化的な損失だと断言していい。

28日。
スタジオでクタクタになるまでミックス作業。集中しているとあっという間に時間が過ぎてランチを食べ損ねる。そういうときは饂飩に限る。混雑していない時間帯の饂飩屋は平和でいい。調理が面倒くさそうな饂飩を気兼ねなく注文することができる。なぜなら、列にほとんど人がいないからだ。一時的に欠品している天ぷらだって、揚げてもらうのを躊躇しなくて済む。外食時の不可避な緊張感も和らぐ。

29日。
今年もAVMAの時期がやってきた。胃が痛い。個人で始めた音楽賞ではあるけれど、責任の重さを感じている。自ら賞金を払って、このような苦行をする必要があるのかと思う日もある。すべての音楽を網羅できないことに対する罪悪感もある。賞を企画するだけで、傷つく人もいるだろう。けれども、何か、自分の果たすべき役割のひとつなのではないかと感じている。その直感を、具に書き記すのは難しい。とにかく、作品を作ることに対する希望のようなものが、ひとつでも増えてくれたら嬉しい。そもそもアワードが必要なのかという疑問は抱えたままだ。忌々しい権威の、そのひとつに自分がなるという恐怖。しかし、賞があってもなくても、権威的な立場に据えられることがあるかもしれない。だからこれは、俺の生き方による問題で、ただ誠実に行動を積み上げていくしかないのだと思う。

30日。
昼間に珈琲を二杯飲んで無理矢理に覚醒し、夜半から酒を飲んで就寝というよりは覚醒したまま気絶する。そういうことを繰り返すと、ふとしたときにとんでもない虚脱感や睡魔が襲ってくる。生理的な諸現象を追い越して、化学物質が体内を駆け巡る。その力ばかりに頼っていると、身体の芯ようなところだけが摩耗して、いつかは倒れてしまうのかもしれない。ゆっくり寝たい。とにかくゆっくり。