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ドサクサ日記 10/10-16 2022

10日。
「体育の日」が「スポーツの日」になったのはいつだったか。語感としてはスポーツのほうが柔らかくて好きだ。体育という言葉は学校の外周を5周くらい走らされそうなニュアンスを含んでいて怖い。学校の授業では、どうしてあんなに長距離走をさせられたのだろう。競技によっては必要かもしれないが、クラブ活動も然り。もう一生分走った気がするので、健康法としてのランニングに興味を持てない。

11日。
理由はよくわからないが、メキシコ料理がたまらなく好きだ。ワカモレやサルサソース、トルティーヤ、チリコンカン、それらを思い浮かべるだけで涎が出てくる。ドリトスとかドンタコスをメキシカンと呼んではいけないかもしれないが、あの手の味のスナック菓子は無限に食べられる気がする。もう一度メキシコシティに行ける日は来るだろうか。アメリカで食べるメキシコ料理も美味しい。

12日。
横浜アリーナのリハーサル。アルバムに参加してくれたシンガーやラッパーがずらりと揃って、実質的なツアーファイナルみたいな公演だと思う。当日が楽しみで仕方ない。世代によって状況は違うけれど、どこでも平日の公演は集客が厳しいと聞く。「コンサートの現場は戻って来たが、観客が戻ってきていない」という言葉も聞こえてきた。欧米の中堅クラスのバンドのツアーが厳しいという情報も目にした。好況なところももちろんあるだろうけれど、コロナ禍の影は深い。ただ、意外と俺たちは朗らかで、演奏中は「ここにいる人、全員愛おしいな」というような気分で演奏している。そういうことをしみじみと、そして強烈に感じたツアーは初めてだと思う。10周年の横浜スタジアムの感慨を何倍にも濃くしたような想いが、毎晩、身体全体を突き抜けて広がっていく。ただただ、毎晩、素敵な夜にしたい。

13日。
新代田でライブ。東郷清丸がむちゃくちゃよかった。ひとりでの演奏を数年続けてきただけあって、仕上がりが半端ない。繊細なタッチまでしっかりと届く。ふと、アンディ・シャウフの来日公演を思い出した。ひとりの演奏だけど、後ろに管弦楽団の音が重なる様を妄想する。コロナ禍を経て、彼は新しい形態にトランスフォームしているんだろうと思った。自分は自分らしく、彼と同じ地平に凛として立つつもりで演奏した。他人の家の芝は一生青いが、それを羨んだところで自分の庭が綺麗になったりはしない。俺は俺なりに、真っ直ぐ鳴らすしかないのだ。ミル君、マヒト、アチコ、ジョージ、辻君、藤本君、店長の西村さん、いろいろな人に会えたのもよかった。永井さんを交えた対話も良かった。プートルのフライドチキンも美味しかった。なにより音楽が好きで良かったなと思えた1日だった。

14日。
デパートで弁当を買って帰り、さて食べようと思って弁当を見ると、蓋の内側の縁に丸っと何らかのタレが回り込んでいて凹んだ。タレか何かがこぼれたのだろう。注意して弁当を開かねば、テーブルや手がベトベトになってしまう。本来は料理にかけるべきタレであるからして、弁当の醍醐味をいくらか損なわれているだろう。できるだけ傾けず静かに歩いてきたつもりだったが、弁当の持ち運ぶは難しい。

15日。
札幌。美味しい魚介などを食べ続けると、反動で無性にジャンクなものが食べたくなる。恐らく体内に、これまでの人生のなかで育んできたグルメに関するメーターがあり、美味しいものを食べ重ねてその値が短期的に積み上がると、妙な嫌悪感が脳ではなく細胞内に込み上げる。すると体内のグルメ濃度を下げたくなって、深夜にカップ麺を買ったり、背脂ギトギトの濃厚なラーメンが食べたくなる。

16日。
地域のお祭りには荒ぶる魂を鎮め、エネルギーを好転させるような機能があるという話を友人たちとした。いつでも我々はコントロールの難しい生のエネルギーを持て余していて、芸術や表現にぶち撒ける機会が見つかるのは幸運なことだと思う。そういう役割を担うものは他にもたくさんあるけれど(芸能やスポーツや格闘技やYouTubeだってそうだろう)、音楽を作って演奏するのは楽しいんだということを、自分の肩身の範囲で伝えていきたいなと最近は強く思う。仲間がいるとまた違った楽しさと出会える。自分の曲のいくつかはスタジオでひとり半泣きになりながら書いたものだが、そのときの魂の震えを誰とも共有できないことを想像すると寂しい。孤立無縁のまま世間と決裂する決意も持っているが、この感覚が私ひとりのものではないと知ったときの安堵と興奮は、生きる力に繋がっている。