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わきまえなさの現在地 2024
2021年以来のフジロックだった。
当時、新型コロナウイルスのデルタ株が急速に蔓延するなかでのフジロック開催には疑問があった。感染拡大が収まるのではないかという見通しで『忌野清志郎 Rock'n' Roll FOREVER』にブッキングされていたが、状況は悪くなるばかりだった。予算の規模も形式も社会的な意味も、すべてにおいて違うオリンピックとフジロックを真正面から比較するのは難しいと思うけれど、感染症対策において、自分の理念と行動が矛盾していたのは事実で、当時の判断については、今後もずっと反省せずにはいられない。
自分とアジカンの評価が一体になってしまうのは仕方のないことかもしれないが、ASIAN KUNG-FU GENERATIONとしての出演ではなく(バンドでのブッキングならキャンセルの判断がされていたと思う)、個人としての参加であったことは改めて記したい。メンバーやスタッフに落ち度はなく、すべて自分の責任で行ったことで、批判を受けるのはバンドではなく後藤正文であるべきだと思う。
あれから、少しフジロックへの心理的な距離が乱れてしまって、正直に言って随分と悩んでいた。自分はどうあれ「出演者」の域を出ず、フェスの思惑とは別のところで言葉を綴り、そこには齟齬があり、悲しみもあり、また、あれほど好きだったフジロックを踏んづけてしまったような後悔があった。もう出ることも呼ばれることもないだろうというような、ある種の諦念と罪悪感を抱えて過ごしていた。
かなり落ち込んでいたところ、カメラマンのMitch Ikedaさんに声をかけていただいて、フジロックが手本としているイギリスのグラストンバリーフェスを取材させてもらった。相互扶助を行うアーティストのアトリエや、フェス全体をじっくり歩いて、本当にいろいろなことを学んで、考えた。身体はボロボロのままだったけれど、精神が少しずつ回復していった。80年代から通い続ける花房さんと過ごして、いろいろ話せたことも大きかった。
そして、フェスに参加するということ(あるいオーガナイズすること)とは、どういうことなのかということを、思い知ったというか、本当に考えさせられた。
グラストンバリーを経て、今年のフジロック。自分のステージのことは後で書くけれど、それよりも、俺は会場内を端まで歩いて、本当に感動してしまって、いろいろな場所で泣きそうになった。いかにこれまで、フェスを解像度の低いところから眺めていたかがよくわかった。無数の、と書いただけで違和感を覚えるが、誰かの確かな手仕事によってフェスティバルはできている。
そんなことは当たり前だし、ナイーブで素朴な感想だと、かつての俺でも思うだろう。けれども、今年の俺には真新しい景色に見えたし、そういう体験だった。自分が何かを考え、言葉を発するとき、どうしても問題を捕まえるために一般化という作業を行う。その危うさというものを、もっと早くに俺は認識するべきだった。あれから出会った見田宗介さんの言葉は、座右の銘に近い。
コロナ禍を、オリンピックを、フジロックを語るとき、そこには「切れば血のでるような<人生>のひしめき」があるということを、意識していなかったわけではないけれど、その厳しさが足りていなかったと思う。未熟だったと思う。だからと言って何かについて語るのをやめるのではなく、その都度逡巡しながら、引き裂かれながら、引き返して考え直しながら、書いていきたいと思う。
ここからは素敵なフジロックの風景を。
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去年のグラストンバリーでドラマーの池畑さんに会って、いろいろな話をした。彼の地でのご縁があって、今年の『Route17〜』に誘っていただいた。本当にありがたいことだと思った。上手く言語化できない様々な思いが、ここ数年の自分の心身を巡っていて、それは日替わりで浮いたり沈んだりしていて不安定だったけれど、このご縁には全力で応えたいと思った。
池畑さんとじっくり話して、MY GENERATIONと日本語版のImagineを歌いたいとお伝えした。Imagineについては自分がイメージするバージョンのデモを作って送った。「ルーツにある音楽を演奏するのはどう?」と提案してくださったけれど、欧米のレジェンドが作った英語の歌を、Route17の素敵な演奏のうえでただ歌うのではなく、現在の日本で演奏する意味を考えたかった。
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Imagineは忌野清志郎さんがRCサクセションで歌ったバージョンが元になっている。歌い出しは清志郎さん翻訳の歌詞ではじまり、最初のコーラスで俺の言葉が混じっていくように書いた。2番目のヴァース(サビ)からはほとんど自分の言葉で訳詞を書き直した。Johnとも清志郎(敬称略ですみません)とも、ある意志の面では溶け合いたい、あるいは自分らしく引き継ぎたいと思って歌詞を書いた。それが入るサイズの器なのかという問題はどうあれ、俺はそうしたかった。
「清志郎みたいにやれよ!」。これは東日本大震災のあとに自分に向かって飛んできた言葉だった。「日本の若手には清志郎みたいなロックミュージシャンはいない」といくらかの人たちが嘆き、そうした憤りをぶつけてくる人もあった。「あんたがやりなよ」と思ったりもしたが、この言葉が妙にひっかかり続けて、俺はこの問いにずっと拘泥というか執着していたのだと思う。愛と共に屈託があった。
震災のあとは『THE FUTURE TIMES』という新聞を仲間たちと作った。より良い未来を将来の世代に渡したいという一心で、自費で発行し続けた。毎号7万部刷っていたことが信じられない。中世のミュージシャンは各地の情報を伝え歩くニュースペーパーの役割をしていたという本を読み、現代にその役割を復活させようと考えた。今読み返しても、考えさせられる記事をいくつか作れたと思う。らしさで言えば、自分らしい活動だったと言える。
その一方で、清志郎的な役割についても考えた。
自分がこれまでに行ったあらゆる表現に対しての批判を一身に受けることが、表現についての責任だと思う。一回性のものとして、記録と再配布は望んでいないが、何度でも批判されること、現場で説明を求められること、仕事をキャンセルされること、そのすべてを生涯において受け入れたいと思う。信用については、ソーシャルメディアではなく、自分が生身で立つ現場で、人と関わりながら、ひとつひとつ積み上げ直していきたいと思う。
自分が抱えた憤りをコスプレで増幅したり、宙吊りにしたりするのは、戦争において兵士が個ではなくなってしまうことと、メカニズムが似ている。そんなことは多くの人が直感的に気がついていることで、「自分の言葉でやれ」という指摘は、真っ当な批判だと思う。最初は反発していたくせに、清志郎さんの威を借りるようになったのは俺なのだと思う。俺は丸裸のまま、丸裸の自分らしさで、ダサさも弱さも人間らしさも全部抱えて、もう一度地べたからやり直したいと思う。
それが人生でもある。毎日、情けないがあらゆる失敗をやり直している。
フジロックのステージに持ってあがったプラカードは、先輩のチャーべさんのギャラリーで作った。言葉は自分で考え、デザインはチャーべさんに相談した。こういうモノを作って持って行かざるを得ない、そうしなければ!と考えてしまう性分とは、ずっと付き合うしかないのだと思う。どうして英語なのかと聞かれれば、フジロックは生中継があり、パレスチナだけでなく、多くの人の目に届くことを意識したからだ。アンプの上に立てているプラカードも同じく。
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なぜ歌は日本語訳なのかと問われれば、それが自分の魂とつながった言語だと感じるからだ。すべてが自分の言葉と音楽だとは言えないが、グラデーションのように、あるいはマーブル状に、俺は自分の魂や言葉を、先人たちの表現に連なるように表したかった。Johnや清志郎への屈折した敬意や愛情を、改めて、自分らしく、たとえちっぽけでも、「これが俺のやり方です」と真っ直ぐに表現したかった、それが愛や尊敬だとわかるかたちで。
もっとも、生まれたときには一言も言葉を知らず、ひとつの音楽も知らなかった。俺は徹頭徹尾、すべての先人の言葉やメロディを編み直しているだけなのだと思う。表現というか、生きるとはそういうことなのかもしれない。
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ステージの後で交わした言葉は一生忘れないと思う。
SNSでの議論には疲れたというか、多くの人が「Twitter(現X)やめろ」と随分前から指摘してくれた通り、自分には向いていないようにもようやく思ったし、メディア自体の性質も変容したと思う。プロフィールにpoetと書いているくせに、雑な言葉を乱発している自分にも、どこかで嫌気が差していて、考え直すにはとてもいい時間だったと思う。指摘し続けてくれた人たちに感謝している。言葉については、引き続きどこに綴るかをよく考えて、然るべき場所で書いていきたいと思う。
ローカルというのが、ここ最近の自分のテーマになった。地域というローカルもあるし、生身の自分というのも最小単位のローカルだと思う。ネットは自意識も仲間との繋がりも拡張してくれるけれど、身ひとつでできることには限りがある。そうした限界をしっかり抱えて、少しでも社会や未来の音楽の足しになるようなことを行っていきたいと思う。もちろん、常に考え直しながら。
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最後に、こうしている今も、感染拡大を繰り返している新型コロナウイルスに罹患した人たちを救護する人たちがある。そうした人たちの献身があって、私たちの社会はいくらか前向きな気持ちで、様々な困難に立ち向かうことができているのだと思う。もちろん、俺はその恩恵を受けている。改めて、医療従事者の皆さんに感謝の意をここに記したい。
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