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ダイアモンド・オンライン「40歳からの起業」の成功法則の連載秘話

2024年2月からダイアモンド・オンラインに連載寄稿していました「40歳からの起業」の成功法則が6月5日の寄稿もって最終回を迎えました。この連載は私のこれまでの起業経験と現在のインキュベーターの目線で40代に起業を決意した起業家を対象として、(実は)ネットエイジの西川社長の著書でもある「起業は楽しい!」を元ネタにして私の経験を基にシナリオを企画し連載しています。連載に際して私のベンチャー企業でのキャリアであるトラックレコードを秘話的に振り返っていきます。

起業家としてのトラックレコードを振り返る

私がベンチャー企業に足を踏み入れたのは30歳を超えてからでした、当時在籍していたエンジニアリング企業でシリコンバレー研修のメンバーに選出され、1週間程度ですがシリコンバレーに滞在したのが30歳でした。当時のシリコンバレーはドットコム・バブル目前でインターネット黎明期でした。Yahoo!やAdobeなどはあったもののIntelやIBMなどの半導体製造企業とPCやワークステーションなどのハードウェア企業が乱立している正にシリコン(半導体チップ)バレーでした。

研修では多くのベンチャー企業を訪問し、当時はキューブと呼ばれる個室でのエンジニア中心の開発環境と新たな産業を産み出していくベンチャースピリットの世界観に触発されたことからシリコンバレーで働くことへの情熱が沸点に達しました。その決意の2年後にシリコンバレーのテクノロジーベンチャーの3回の面接とコーディング試験をクリアし、なんとかシリコンバレーベンチャーにエンジニアとして滑り込みました。そのベンチャーが米国の店頭市場に株式公開を経験したのが34歳です。

シリコンバレーベンチャー時代のエンジニアリングキューブ(個室)

その後米国のドットコム・バブルが弾けたことでビットバレーブームの残り香の漂うインキュベーターのネットエイジにエンジニアリングマネージャーとしてジョインしました。そのネットエイジが2006年にIPOにこぎつけたのは41歳、ネットエイジのビジネスユニットからスピンオフしたフィードパスをMBOして2011年にYahoo! JAPANにバイアウトしたのは46歳でした。この当時20代でIPOを経験する起業家が多い中で、こうしてみると私の起業家としてのトラックレコードは40代以降に刻まれたものです。

2005年頃のネットエイジオフィス

「40歳からの起業」の成功法則のシナリオ仕立て

今回の連載は起業を決意してから、エグジットするまでの経営イベントをテーマに8回に渡り連載しました。特に20年前と現在とではベンチャー(今やスタートアップ)を取り巻く環境も大きく変化したことから、自身の経験をもとに現在の環境の中でハードシングス(答えがない難問と困難)を乗り越えていくシナリオ仕立てにしています。

この連載は順番に読んでいただいても、特定の回だけ読んでいただいてもよい構成にしていますので、起業家を目指す40代の方々を中心に目を通していただければと思います。

最後に稚拙な原稿に多くの赤を入れていただいだダイアモンド・オンラインの編集者である吉岡綾乃さんに感謝します。


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