楽観視の弊害
ぼくは非常に楽観的な人間だなと自覚してる。
だいたいのことは「なんとかなる」と思ってるし、実際になんとかなってきた。だから悩むこともあんまない。いや、悩みはする。するのだけれど、どうしようもないことがわかるとその悩みを手放せる。
trouble never troubles you until trouble troubles youという英語の文法理解によく使われる文があるのだけれど、ぼくはこの文が好きだ。「悩みがあなたを悩ませるまでは悩みはあなたを悩ませない。」という意味なのだが本当にその通りだと思う。
悩みはきほん杞憂なのだ。
だから自分がコントロールできないことについて考えてしまうときはいつもこの言葉を思い出すようにしてる。
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そんなわけでぼくは楽観的な性格で実際かなり助かっているのだが、弊害もあるなっていうのを最近感じる。
楽観的というのは客観的であることと似てると考えていて、目の前で起きていることがどこか自分ごとではないように感じる。
俯瞰するような視野があって、身体から目が乖離して物語を読む人の立場に転送されてしまうのだ。
なので映画とか綺麗な景色とか見ているときにどうしても入り込めないことが多々ある。
綺麗な景色を見ていても、これ何年経っても覚えていられるかなとか考えてしまう。イベントを至近距離で見れない。離れてしまう。近づけない。
楽観視は「いま」単体を見ることを拒み、過去、未来という時間軸の中の「いま」を映し出してしまう。
だから映画で泣ける人を羨ましく思ってしまう。「いま」そのものを100%感受できているから。五感フル動員で。
助かることも多くあるのだけれど、出来事に対してドライ気味になってしまうのは悲しいのよね。
これはあるあるですか??
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