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失敗はいいことか?

「失敗することは恥ずかしいことじゃないよ」という言葉をよく聞く。そして続けざまに「だから失敗を恐れずに行動していこう」なんていう。

少し批判的に書いてしまったけど、僕はこの意見には賛成である。ただこれだけだと聞こえが良すぎるし、言葉足らずだよなと思うのだ。

失敗は恥ずかしいことじゃないと言われると、その言葉にあぐらをかいてしまう。

確かに失敗を恐れて何もしないよりは失敗を恐れずにアクションを起こせた方がいいのだけれど、ただひたすらチャレンジだけして得た失敗に価値はない。


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部活の試合なんかその代表的な例だと思う。

頑張って練習してきて、いざ大事な試合を迎えて負けてしまった。そしたらみんなで口を揃えて「この悔しい気持ちを忘れずに、この敗戦を糧にしてまた明日からの練習頑張ろう」というだろう。

だが、実際にこのような敗戦をちゃんと「糧」にできたチームはどれだけいるのだろうか。「もうあんな思いしたくないから練習頑張る」は間違ってはいないけど、曖昧すぎるとも思うのだ。ぼんやりしているが故にその後の数日間の練習をいつも以上に気合いを入れてやるくらいしかしない。目的がぼんやりしているとモチベーションもそう長くはもたない。

「頑張る」にはいつだって具体的な目的語が必要なのだ。


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中途半端な努力の末の失敗に価値はないと思う。本気でやるからこそ、失敗には価値が生まれる。

先ほどの試合の例で言えば、相手はどのようなチームか。どのような戦術を使うのか。また、それに対してどのように対応するのか。

「頑張る」の方向性が必要だ。

「何をどう頑張るのか」まずはそれを明確にすることだ。方向性の欠けた努力が生む失敗は当然の結果であってそこに価値はない。

そしてそのような準備をして上で失敗が起きたとするなら「何がどうダメだったから失敗した」とその原因の正体を見極めなければならない。当たり前の話だが、敵の正体を知らずには攻略できない。

失敗を定義できないのにその失敗を糧にできるはずがないのだ。失敗には必ず原因があり、その原因を取り除くことで初めて成功への可能性は高まるのだから。

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そして失敗は繰り返さないことがとても大切だ。

僕はいま外国語の学習に励んでいるのだが、同じ傾向の問題を複数回間違えてしまうことがある。

もちろん知識が定着するまでは時間がかかるので一回きりのミスで済むことはそう多くないが、それに甘えて復習しないのはもっとダメだ。

それでは全く成長しない。マリオで何回も同じ場所で死ぬのと同じで、学ばなければその先へいけない。いつも同じとこでクリボーに当たる。

失敗を定義せずそれに基づいて努力の方向を修正しないのは、やってる気になってるだけだ。

最初は小さなズレでも進めば進むほどそのズレは大きくなっていく。ズレに気づいた瞬間に修正でするのが一番ダメージが少ない。自分を疑わず、googlemapを見ずに歩くんじゃなくて、ちょくちょく確認しながら進む。一見時間がかかりそうに見えて実は一番早くて確実なのだ。

石橋は叩きすぎなくていいけど、まったく叩かずに進むのは無謀である。

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失敗することは恥ずかしいことじゃない。ただし、それはマインドセットの部分であって、実際に行動する際はまずは本気で成功を目指さなきゃダメだ。失敗してもいいんだなんて気持ちではダメだ。


本気で挑んでいる人はかっこいいし、そういう人が僕は好きだ。


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