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就活をするにあたって。「やりたいこと」と同じくらい必要なこと


就活を考えるにあたって一つ参考になるツイートに出会った。


このツイートを参考を見て、思ったことをシェアしていく。


ぼくは今のところやりたい仕事がない。それは探すという努力を怠っているのがでかいのだけれど。


でもやりたい仕事があったとしても、それを目指すっていうのは曖昧だなと思う。

例えばバスケが好きでも、大体の人は試合が好きだ。ただただ楽しいからね。でも、試合で勝ったり、活躍するためには練習が必要だ。それはつまり、つまらないと感じるような基礎をこなすことを求められる。

だから「バスケが好き」を一つとっても、やること全てが好きなわけではない。より細かく因数分解できる。ぼくもひたすら基礎練よりかは断然試合の方が好きだ。

だからまず「やりたいこと」は何の、どの部分なのかを把握しないとなって思った。

また、やりたいことをするためには「やりたくないけどやらなくちゃいけないこと」があることもわかった。

やりたくないことはできる限りないほうがいいけれど、それは、ある程度仕事できるようになってから手に入れられるカードだ。

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そう考えると、やりたいことがない人というのはやりたいことを探す作業も必要なのだけれども、それだけではなく、それと同時に、もしくはそれ以上に、やらなくちゃいけないことをラクに、面白くする能力を身につけるのがいいんじゃないだろうか。

バスケでいったらドリブルやディフェンスの練習といった、したいことじゃないけど、やらなきゃいけないことの中にどのような楽しみを見つけ出すか。そういう能力が必要なのではないだろうか。

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したいことを探すのはもちろんなのだけれど、それは仕事をしていくうちに変わっていくかもしれない。やっていくなかで得意なことや苦手なものがより浮き彫りになっていくだろうから。

だからぼくは「やりたくないこと」をこなさなければいけないという前提に立って、やりたくないことに面白さを見つけ出す能力、少しでもラクにする能力を磨いていきたい。

これは非常に汎用的な能力だし、人生の豊かさも増すと思う。

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ユーモアが大事だと思っている。

この本の中で、盲人の方の興味深いエピソードが紹介されている。

彼はごはんを食べるときにいつもふりかけをかけるのだが、ふりかけの袋がユニバーサルデザインではないため、どの袋がどの味かというのが手触りでわからない。彼はそこで見えない悲しみを嘆くのではなく、ふりかけ選びを運試しとして捉えることでその不便さを解消していた。

これについて作者の伊藤さんはこう述べている。

見えないことに由来する自由度の減少を、ハプニングの増大としてポジティブに解釈しているのです。「情報」の欠如を、だからこそ生まれる「意味」によってひっくり返している

外から見れば行なっている行為はなんら変わりないのだけれど、意識の違いでその中身は180度違う。

晴眼者のぼくと比べて世界をより面白く「見えて」いるのはどっちだろうと考えさせられる。

このようなユーモアが、やりたくないことから旨味を抽出する一つの鍵になるのではないだろうか。



読んでいただきありがとうございました。