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「日本には歴史ある文化があるのですから、体で独自の文化を理解するようにしなさい。」

ポートピア81にグレース・ケーリーが来日し、神戸そして有馬にやって来た時に、ステファニー公女に言った言葉。

グレース・ケリーはフィアデルフィアの裕福な家庭で育ち、1951年22歳で映画デビューをはたした。ヒッチコック監督のお気に入りの女優だったが、27歳で引退。
カンヌ国際映画祭で知り合ったモナコ大公レーニエ3世と結婚。
長女の妊娠をマスコミに悟られないように、エルメスの鞄「サック・ア・クロア」でお腹を隠した。この事でバックが有名になり「ケリー・バック」と呼ばれるようになりました。

日本文化を愛好し、華道や植物が好きで押し花を愛好したという。
1981年、神戸ポートピア博開催期間に日本にやって来た。10日間の滞在中に有馬温泉にもやって来ました。

しかし翌年の1982年9月13日、自らハンドルを握った車で事故を起こし死亡したのです。
死後、レーニエ3世の指示により、本格的な日本庭園がモナコにつくられました。

ローバー3500

歴史と文化の活用

有馬にやって来た歴史上の人物一覧にグレース・ケーリーが記載されています。残念ながら御所坊は利用してもらわれなかったが、有馬の歴史の1ページだと思います。

長女のカロリーヌを妊娠した時、お腹のふくらみを記者の目から隠す為に使ったエルメスのカバンが、ケリーバックと呼ばれるようになったそうです。

戸矢理衣奈さんのエルメスという本があります。
その中に記載されています文章です。

エルメスのデザイナー、デュマは「日本では伝統は単に過去の継承になっている。一方、われわれは伝統に新しい要素を常に取り込み、揺さぶり続けてきた。そこが違う。京都にはエルメスに力を与えてくれるエネルギーの源があるが、日本はそれを生かしていない。・・・」(朝日新聞1991年11月16日)

ハリウッド女優がつかう鏡

ある日「ハリウッドの女優の鏡をもらって欲しい」と言われた。

その鏡を見た瞬間、驚いて笑ってしまった!
何故なら・・・
このようなモノを、何故買ったのか?
どうするつもりだったのか?
それにしても、このようなモノは何処に売っているのだろうか?
等、まったくわからなかった。

しかし聞くと、老人ホームなどで老女に化粧をしてあげたい。
その為に女優がメイクしてもらう様な鏡と椅子とメイクセットを入れる鞄を購入したそうだ。それも衝動買いをしてしまって、結局一度も使用していないという。

御所坊の新しく改装した部屋、502号室に旅行鞄を置く為のスペースを設けている。

この場所に、この鏡を置くのも良いかなと思った。
しかし、そこに置く理由がいる。
そこで連想ゲームを頭の中で始めた。

ハリウッドの女優の鏡・グレース・ケリー・エルメス・メイク・化粧というキーワードが浮かび、旅行鞄を置くスペースだが、せっかく旅に来たので、移動式のメイク台で化粧をされるのも良いかな。

そして何故? そのようなものが置かれているのか、理解してもらう説明や仕掛けがいるなあと考えた。

有馬筆

化粧というと、日本製の化粧筆が女優さんやモデルさんの間で使用されていると言います。それらは広島県の熊野町でつくられる筆なのですが、この筆の技術は有馬温泉から伝わったものです。

毛筆元祖頌徳之碑(昭和22年建立)

1835年(天保5年)に佐々木為次(ささきためじ)という若者が摂津の国(兵庫県)有馬へ行き、4年間筆の作り方を学び1839年(天保9年)に熊野の地へ戻ってきました。
また、1846年(弘化3年)には井上治平(いのうえじへい)が広島浅野藩の御用筆司(ふでし・筆づくりの仕事をしている人)から筆づくりの技術を学び、同じ頃音丸常太(おとまるつねた)が摂津の国有馬で筆づくりの技術を学びました。

3人は筆づくりの技術を熱心に村人に教え、彼らの熱意と村の人々の努力により筆づくりは熊野の地に熊野筆が根付きました。

と熊野町の毛筆元祖頌徳之碑に書かれています。

有馬筆は現在でも2社残っており、その一つが、灰吹屋 西田商店で「人形筆」を製造しています。
筆の需要が時代と主に減り、有馬の伝統工芸品として現在に残っています。

有馬温泉で筆づくりが栄えたのは、植生の豊かな六甲山があり、そこに生息する小動物の毛を使用する事が出来たことと、筆の軸に使用する良質の竹が取れたことによるものです。


歴史や文化をお客様に知ってもらい、体験してもらう事が有馬温泉の旅であり、御所坊での滞在だと考えています。

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