見出し画像

通知表なんていらない

今日は小学校の一学期終業式。

終業式といえば「通知表」!

我が家の小6長女、小4次女、小1三女も、もれなく通知表をもらってきた。

以前、小学校の教員をしていた経験から、わたしの通知表に対する思いを書こうと思う。

まず、ズバッと結論から言っちゃうと
「通知表っていらなくない?!誰得なん?!」ってこと。

そもそも、通知表ってのは、担任の先生一個人の主観でしかないと思う。
もちろん、テストの点数や授業中の発言やプリントの出来なども反映されるけど、それだけじゃない。

◎、○、△のバランスで、本当は◎あげたいけど○にしとこう!なんてのもある。

それに昔の相対評価と違って絶対評価になったとは言え、学校によってはクラスの何割が◎で、△は何割って大体の目安がある。
(少なくとも、わたしの勤務してきた学校にはあった。)

その結果、どうしても△を付けざるを得ない子もいる。

こんなん全然絶対評価じゃないじゃん!

そんなものに先生たちは頭を悩ませ、多くの時間を費やして通知表をつくる。

よく、◎の数×100円(もしくは1000円)でおこづかいがもらえるっていう家庭もあるみたいだけど、本当にくだらないっ!って思ってる。

そもそも、一教師であるただの他人の評価なんだよ。
先生だってただの人間。

神様でもなければ聖人君主でもない。

平たく言っちゃえば、
「あなたに評価される筋合いはないのよ!」(爆!)

いや~、こういう言い方をすると、すごく嫌な親なんだけど、、、(笑)

でも、わたしは教員時代、
「私なんかが評価しちゃってごめんね。子ども達がヤル気を持てるように、めっちゃ時間かけて一生懸命考えて作ったのは確かだけど!でもまぁあんまり深く受け止めないで軽く流してねー」って思ってた。
「評価する」っていう仕事がなけりゃ、もっと教師を続けてたかもな。

子どもとは言え、人格を持った一人の人。
教師と子どもという関係だけど、そこには人間としての上下はないと思ってるから、他人を「評価する」なんて、ほんとにおこがましい事で嫌いだった。

ただ、一生懸命勉強を教えて、楽しく学校生活を過ごすだけで十分じゃない??

この「通知表」を無くせば、先生達はもっとノビノビ授業ができるし、本当の意味で子ども達のためにもっと時間が使えるようになると思う。

実際、「通知表」を無くす取り組みをして、成果をだしてる公立校もあるしね。


それでね、「通知表」による、先生という他人からの評価じゃなくてね。
本当に必要なのは、「自分がどれだけできたか」とか「もうちょっとここ頑張りたいなぁ。」っていう『自己評価』だと思うんだよね。

そういうのを、学期ごとや単元ごとにきちんとやっていく方が、子ども達の意欲もアップするんじゃないかなぁ。

「他人(先生)の評価」なんてどうでもいいんだよ。

勉強の目的はいい成績をとることじゃないから。

いかに、人生を豊かに出来るかってことでしょ。


6年生と4年生の上二人は、もう何年目かの通知表。
面白いことに、毎年「評価」がガラッと変わる。

△だらけの年もあるし、そんなの嘘のように◎が並ぶ年もある。

それだけ見たって、先生一個人の主観だって分かるでしょ。

「今年の担任はうちの子に厳しいな。」とか
「今年の担任は大きな目で見てくれてるな。」とか。

要するにわたしは、「我が子の評価」ではなくて、「担任の先生の我が子への見方」を通知表から読み取っている。


まぁ、しょせん通知表なんてその程度のものなのよ。


ってなわけで、通知表ごときで一喜一憂して、ナーバスな夏休みを過ごすのはもったいない!

夏だもん!休みだもん!
パァーっと晴れやかな気持ちで楽しく毎日を過ごしましょー!

ついでに宿題もなくなっちまえっ!!!(爆)
↓こちらの記事もよかったら(笑)



わたしの記事がお役に立てれば幸いです。 これからも、クスっと笑っていただけて、それでいて皆様のお役に立てるような記事を書いていきたいと思います。 よろしければ応援よろしくお願いいたします💓