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ウィズ・コロナ時代の経営守るべき原則・とるべき行動 (2)

2 昭和の経営者からの3つの質問

 私の入った組織のトップはとても優れた経営者でした。人をよく見て仕事を任せ、その人の長所、強みを引き出すのが素晴らしく上手な人でした。教えようとするのでなく、問いを投げかけて、部下が自分なりに考えるように仕向けました。その人の持っている内なる力を引き出すのです。

 その結果、彼の部下たちは成果をあげ自分に自信をつけていきました。私自身もそんな彼の下で組織経営を学び、経営チームの一員になっていきました。。

 彼は部下によく質問をしました。その答え方が曖昧だったり、何度か聞き直すたびに答がずれていったり、丸暗記したような話し方だったりすると、さらに突っ込んだ質問をします。どうしてそう考えるのかとか、本当に心からそう思うのかとか、質問は続くのです。

 そんな彼が誰に対してもしていた3つの究極の質問があります。

「何のために我々はいるのか?」と「誰の、どんな未来を叶えるのか?」と「何が問題で、誰が解決するのか?」です。

1)「何のために我々はいるのか?」

彼(トップ)は、組織の目的(組織がある理由つまり理念)を明確にして、組織の構成員みんなが本気でその目的の達成を目指すことの重要性をことあるごとに語っていました。

我々の組織は複数の学校で成り立っていました。複数の学校グループとしての組織目的を、ミッションと呼んでいました。我々の組織のミッションは「職業教育を通じて社会に貢献する」でした。彼はこの言葉の意味をことあるごとに誰彼となく問いかけました。そして、答を回答者の言葉で答えることを求めました。自分の言葉にし、自分の考えを話すことを求めたのです。

何だか抽象的で具体的には何をどうすればいいのかよくわからない、この言葉にそんな印象を持っていた組織メンバーは私を含めて大勢いました。すると、彼は「職業教育を通じて社会に貢献するためには、何をどうすればいいのかこそ、みんなに考えて欲しい。何のために我々はいるのかを、具体的に考えて欲しいんだ」と言いました。

 メンバーで議論することになりました。そして、職業教育を通じて社会に貢献するとは、次のような行動をすることだとまとめました。

「今社会が求めているのはどんな職業か、その職業はどんな能力を持った人材を求めているかを吟味して、そんな職業人を養成する新しい学科を作っていく、学科を作ってからも社会が求めることの変化に応じて学科を変えていくことだ」

 つまり、新しい職業ニーズに答える新しい学科を作ること、そして職業ニーズの変化に即応して学科のカリキュラムを変えていくことが我々のミッションを叶えていくことだと考えたのです。

 昭和58年(1983年)に入職して、私が最初に所属したのは医療系の専門学校でした。この学校で、「職業教育を通じて社会に貢献する」というミッションがどれほどダイナミックに組織を成長させるのかを体験することができました。

 当時は、高齢化の進展に伴って、高齢者の医療が大きな社会的課題になってきていました。高齢者の医療は変化しつつありました。高齢者の医療には福祉的な要素が必要不可欠になってきたのです。

 昭和60年(1985年)ごろになると、病院からの求人は、事務系の仕事であっても、高齢者の心身の変化についての知識や、支援的なカウンセリングができるコミュニケーション力を持った人を求めるようになってきました。また、国の福祉制度のことがよくわかる人材を求められることも多くなりました。学科の定期的な会議で、そうした変化を学科のメンバー全員で共有しました。

 そこで、医療事務の学科に、福祉を学べるコースを作りました。1年目は1クラス分の学生を集めるのに苦労しました。

 でも、私は知らなかったのですが、その頃福祉の資格を作ることが厚生省(現在の厚生労働省)で検討されており、昭和62年(1987年)に日本初の福祉系国家資格として、社会福祉士と介護福祉士ができたのです。私の勤める学校でも福祉を学べるコースの受験者が大幅に増え、平成元年(1989年)には、医療系の学校から分離独立させて福祉の学校を立ち上げることになりました。

 平成に入って以降、日本は急速に高齢化社会になり、福祉施設の数も急増しました。また福祉の仕事も細分化されていき、福祉に関わる仕事の種類も必要な人数も急増していきました。福祉の資格が作られる前に医療系学科の新コースから始まった私たちの福祉専門学校は学科を増やし教育内容を革新し続けました。

まさに社会が求める新しい学科を作り、社会が求める仕事の種類が増えるに従って学科内容の変更や、新たな学科設置を続けたのです。その結果、比較的短期間に、私たちの福祉専門学校は、受験生からも福祉業界からも福祉の新しい流れに即応する専門学校として評価されるようになりました。

 この経験があってから、私のチームでは何人か集まると、社会が学科、学校に求めているのは何かということを議論するようになりました。

 また、組織のミッションについて二つの行動傾向がでてきました。

 1つは、ミッションを実現するために取るべき行動について、何をするかは関係するメンバーが自分ごととしてよく考え、関係者間で議論して決めるようになりました。誰かに命じられてやるのではなく、自分たちで決め、行うのです。

 もう1つは、ミッションの実現のために自分たちが選んだ行動と結果を比較して、行動の良し悪しを判断し、なぜそのような結果になったのかを議論するようになってきました。行動の評価と評価結果の要因分析を、自前でするようになってきたのです。

2)「誰の、どんな未来を叶えるのか?」

「この学科の顧客は誰ですか?」と最初に彼(トップ)に質問された時は戸惑いました。顧客という言葉の語感が、なんとなく学校に不似合いな感じがしたからです。「この学科は、誰のどんな未来を叶えるのですか?」彼はそう言い直してくれました。

 学生とは、我々学校関係者にとって、どんな存在かと彼は私たちに問うたのです。そして、学生とは教育を受ける者と受動的に捉えるのでなく、自分の望ましい未来のために自分が必要と考える教育サービスを買う主体、能動的な存在として捉えることを彼は私たち組織メンバーに求めました。買う主体、能動的な存在が顧客の意味です。

 学科の新年度カリキュラム改訂の議論の時でした。議論は徐々に深まっていき、この学科に受験してくる学生はどんなタイプの学生なのか、学生をカテゴライズしていきました。高校での成績とか、好きな科目であるとか、家庭環境であるとか、クラブ活動であるとか、好き嫌いであるとか、交友関係であるとか、思いつく限りのカテゴリーで受験学生の当てはまるカテゴリーを見つけようと議論しました。

 この学科で学びたいと考える学生のタイプを決めると、次にはその学生はこの学校で何を学びたいのか、どんな学生生活を送りたいのか、を議論しました。できるだけ学生の立場に立って、自分が学生の頃のことも思い出しながら、学生の期待することを想像しました。

 学生が期待するのは、将来なりたい職業がはっきりと決められること、なりたい職業に直結した学生生活であること、途中で将来が見えにくくなった時にも進路への意欲を再構築する支援があること、実際になりたい職業につけること、などの意見が出ました。要するにここで学べばプロの職業人になれると期待できることを学生たちは求めていると考えました。

 こんな期待をかなえて学生に満足してもらうために学校は、我々は、何をすべきかを議論しました。そして、以下のような教育プログラムや年間スケジュールや教育スキル向上の研修を決めました。

 入学後に開ける未来の生活ビジョン(学生生活→職業生活)に満足してもらい受験してもらうために、受験生への学校説明会は、学生生活や卒業後の職業生活を擬似体験できる参加型のイベントにすることを決めました。体験を通じて自分の未来をイメージしてもらうのです。

 入学後は、将来の職業を強く意識してもらうように、自分のなりたい未来を答えてもらうカウンセリングを繰り返し行うことにしました。

 学生生活の満足を高めるためのカリキュラムを以下の3つの視点で構成しました。

 職業現場で即戦力として役に立つ実践的なカリキュラム(実学教育)

 職業人としての倫理観や職業観と対人コミュニケーション能力を養うカリキュラム(人間教育)

 英語力を育み、価値観や文化の違いを尊重できる国際的な感性を養うカリキュラム(国際教育)

 顧客(学生)の期待を実現するためには、顧客(学生)の声に耳を澄ましてよく聴かなければなりません。カウンセリング的なコミュニケーションが重要です。そこで、担任や科目講師や就職担当者までが重層的に学生を観て支援するカウンセリングシステムの採用を決めました。

 カウンセリングの基本は受容と共感です。相手の存在を受け入れて、相手の心に共感することが大切です。カウンセリング的なコミュニケーションとは、受容と共感のコミュニケションをするということです。カウンセリング的なコミュニケーションを身につけるために、スタッフ全員が毎年カウンセリングの研修を一定時間受けることにしました。

3)「何が問題で、誰が解決するのか?」

 彼(トップ)は組織の成果とは、計画した目標が達成されることだと言っていました。そして、彼の指導の下に以下のような1年ごとの事業計画の作り方と運用の仕方ができあがっていきました。

・年度の終わりに、計画の達成状況を判定し(年度終了前なので、一定程度予測が入る)事業総括を文書にする。

・前年度の事業総括をよく検討しながら、(定量的・定性的な目標、目標達成のための年間スケジュール、組織の活動方針と役割分担、予算を決め)新しい年の事業計画を文書にする。

・事業計画に従って、事業活動を行う。

・年に数回中間で計画の進捗状況をチェックする。目標達成が可能かどうかを判断し評価して、残る期間での目標達成のために必要な計画修正をして実行する。

・その年の終わりに目標達成状況を判定して、事業総括をする。

 事業総括→事業計画→計画実行→中間チェックと修正→事業総括という一連のプロセスを繰り返しました。

 何年かに一度(初めの頃は5年に一度、やがて3年に一度)中期的な計画を作りました。作り方、活用の仕方は、1年間の事業計画と変わりません。

 ただ目標の設定の仕方が違いました。1年間の事業計画では、目標は今の実力で達成可能なレベルに(前年度の達成状況と、当該年度の顧客の変化を考慮して)設定しますが、中期計画では、過去の実績よりも、未来にこうなっていたいという願望や意欲を表に出して目標設定します。

 事業計画の実行と振り返りの中で、彼は我々によく問いかけました。「何が問題か?」と、そして「誰が解決するのか?」と。定期的に全員参加の会議をしていましたが、計画の実行成果がでない時はいつも、この問いが発せられました。

 組織にはさまざまな部署があり、色々の要素が折り重なって計画の未達成は発生します。ここに根本原因があると特定するのは難しいですが、その時々に発生する細々した問題に対応するだけでは、計画達成は困難です。根本的な問題に対処できていないからです。

「何が問題か?」という彼の問いに答えようとする中で「数字による仮説と検証」の大切さに気付いていきました。数字以外のことを答えると必ず、なぜそう思うのかと、彼は突っ込んできます。そのやりとりの中で、数字をもとにして考えることが、自然にメンバー皆に根付いていったと思います。

 事業総括→事業計画→計画実行→中間チェックと修正→事業総括という一連のプロセスを、「数字による仮説と検証」のプロセスとして行いました。

・事業総括は、数字をもとにして変化を推し量ります。指標となる数字を決め、一定の条件のもとでの数字の変化から、その背後の事や物の変化を読み解きます。数字の変化から、変化の理由を想定します。表に見えている数字の変化から、その奥の見えない変化を想像するのです。

・その想像をもとに考えた対処すべき変化に対策を立て、新しい事業計画を作ります。

・そして実行します。この事業計画は、変化に対応するものですが、変化の原因はあくまでも想定したもので、その対策も、きっと効果があるだろうと想定したものです。つまり「仮説」です。やってみなければ正しかったかどうかは判りません。だから、数字の変化に注意しながら、中間チェックをして計画を修正しながら、心を込めて全力で実行します。

・事業計画の実施期間終了後は、その結果と計画を比較して、仮説を検証します。何がどこまで当たっていたか、当たっていなかったかを考えるのです。事業総括です。

この一連のプロセスを毎年繰り返します。

 数字による分析を繰り返していると、ロジカルな想像力が身についてきますし、何度も仮説を立てた問題に関しては、勘が働くようになった気がします。

 根本問題を特定したら、「誰が解決するのか?」という問いです。この問いは組織全体で問題を解決するために発せられています。根本的な問題は組織の全ての部署が何らかの形で関係しています。問題の特定と対策は、スタッフ全員の経験と知恵を結集して決めますし、解決行動も全員が何らかの形で参加するように決めます。

 でも、決めることに参加したからやる気になる、というメンバーばかりではありません。人の考えは色々ですし、人の心の中は見えません。

 彼(トップ)は、組織の方針決定の後、個々のメンバー(全員だったり、何人かのメンバーだったり、その時によって違っていましたが)と対話をしました。その対話の中で、彼は「誰が解決するのか?」という問いを様々に言い換えて発していました。「あなたは何をして解決に貢献するのですか?」と問うたのです。

「誰が解決するのか?」という問いは、問題解決を自分ごとにさせる問いでした。



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